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傷痕

狭寡 台

「――地震でトンネル落盤。運悪く電車に乗り合わせた高校生男女が生き埋め……ローカル新聞の三面記事に載りそうなネタではありますねえこれは」
「そうだね、私らがその当事者じゃなかったら、の話だけどね」
「……変に明るいですね、こんな状況で」
「パニックに陥らないように気を張ってるっていう説明はダメ?」
「そういう風に言ってる人が一番危険が高いような気がするんですけど」
「いやね、よく考えてみたら極限状態なんだろうけど、そんなに危機感てものが感じられないんだよね」
「だから人の心配する余裕はある、と」
「え、そんなに余裕あるように見えるの」
「ええ見えますとも」
「じゃあ慌てふためいたほうがいいの」
「やめなさい」
「まあ実はね、この状況をささやかに改善するための道具があるのよ」
「それはそれは。きっと俺があっと驚くような素晴らしいものを出してくれるんでしょう」
「はい、懐中電灯」
「……」


   *


 彼女は知らない。
 俺にとって彼女という存在が、どんな意味を持つのかを。

 彼女の右頬には、虎か何かの爪で引き裂かれたような大きな傷痕がある。
 ――そう、俺がつけたものだ。

 まだ俺も彼女もガキの頃、小学校三年生くらいの時だったろうか。
 俺は、彼女のことが好きだった。
 ぱっちりと大きな目をしてよく喋る口も大きい、短髪の似合う彼女。
 快活で、奔放で、自分の考えていることを素直に口に出せる。怒った時には大声を上げて怒り、泣く時も声をからせて泣く。
友達の数も俺なんかよりずっと多くて、はきはきとものを言うもんだから教師にも好かれていた。
何より彼女は、背丈が異様に高かった。身長はクラスの中でも男子を差し置いてダントツ。加えていつも胸を張って歩くから、その姿は余計大きく見えた。
 そんな彼女の姿に、幼心にも確かに俺は恋をしていた。
 おそらくあれが、俺の初恋だった。
その頃の俺は引っ込み思案で人見知りも激しく、何をするにも恐がるような臆病者だった。
彼女は、そんな俺にも人と同じように接した。
それまで希薄だった人間関係というものが、彼女とのやりとりで変わっていった気がした。
時には遠慮のない言動に悩まされもしたが、彼女への憧れは変わることはなかった。
彼女の好きな食べ物、彼女の誕生日、彼女が見に行った映画。今でも覚えているくらいだ。
 彼女に嫌われないよう嫌われないよう、一生懸命だった。
 いつしか俺は、彼女の前で変わってゆく自分に気付いていた。


 俺には、母親がいなかった。
 物心つく前には既にこの世を去っており、母親と呼べる人の顔は遺影を含めた写真の上でしか知らない。
 男手ひとつで、親父は俺を育ててくれた。
 親父は温厚な人で、いつでも穏やかに笑っている。そのくせ怒らせるととんでもなく恐くて、怒ったときの親父ときたら、眼光だけで人を射殺せるんじゃないかと思うほどだ。
 それでも、普段は本当に優しい。仕事から帰って来た時に俺が泣いていればどんなに疲れていようが話を聞いてくれたし、俺が風邪をひけば必死に看病してくれた。寒い夜には一緒に寝てくれた。
 他の家ほど贅沢はできなかったが、十分幸せだった。
 子供には母親が必要だとかよく言われるが、俺はそうは思わない。必要なのだとすれば、親父は俺にとって父であり、同時に母だったのだろう。
 親父は俺の誇りだった。今も昔も、それは変わらない。

 子供とは――いや、人間とは残酷なものだ。
 ――たかが父親を馬鹿にされただけのことで、相手に一生に関わる傷を負わせられるのだから。

 正直、あの時のことはよく覚えていない。
 忘我の極みとでも言うのだろうか、頭の中が真っ白になって、何が何だか全くわからなかった。
 そうして気付いた時には、目の前は真っ赤な血の海だった。
 その中に、彼女が倒れていた。
 救急車も来たし、警察も来た。
 いろいろなことを訊かれたし、いろいろなことを言われた。
 親父からは何度も殴られた。何度も怒鳴られた。何度も涙を流された。
 親父を馬鹿にされたのだと言っても、取り合ってはもらえなかった。
 でも親父は、俺を見放すことも拒絶することも無かった。
 何が正しくて何が悪いのか、あの時は本当に分からなかった。
 ただ、自分が加害者であることは紛れもない事実。何を言われようが、自分がやったと答えるしかできなかった。
 ――事実を言ったから、俺は「凶暴な加害者」になった。


   *


「……親父は心配するだろうな」
「もしかして、お家が恋しくなっちゃった、とか?」
「そんなんではないです」
「強がらなくていいんじゃない?」
「……あんたにもいるでしょう、心配する家族ってのが」
「心配、ね。してくれてたらいいね」
「は?」
「それよりさ、これからどうしたらいいのかな」
「……水も食料も無いから、じっと救助を待つのがいいんじゃないですか」
「そこの隙間から風が漏れて来てても?」
「……まじですか」
「そこ掘ったりした方がいいと思うんだけど」
「――いや、無駄に体力を消費して、助け出される前にくたばるってこともあり得る。ここはやっぱり……」
「じゃあ私は掘ってみよう。キミも手伝って」
「じゃあ、ってあんた、その接続はおかしくないっすか」
「そしてそれでもそれゆえに掘ってみよう」
「……」


   *


彼は知らない。
 私の犯していた罪が、どれほど大きいものかを。

 私の顔には――正確には右頬から胸の辺りにかけての部分には、大きな傷痕がある。
 ――そう、彼がつけたものだ。

 確か、まだ私も彼も小学校三年生かそこらのがきんちょだった頃のこと。
 私は、図体も態度も大きい粗雑な乱暴者だった。
 そんな私に、どうして彼はついて来ていたのだろうといつも思う。
 目鼻立ちはくっきりして形は良い。それなのに地味でぱっとしない、いつも隅っこの方でしょぼくれているような、暗い男の子。
 正直言ってそれ以上のことはよく覚えていないけれど、何というかこう、見ていてイライラした。
 言いたいことがあるのならはっきり言えばいい。やりたいことがあるのならさっさとやればいい。
 そんなことばかりずけずけと言っていたような、そんな記憶はある。
 いつも私の周りには何人かの取り巻きができていて、ガキ大将みたいな気分だった。おまけになぜか私だけ背が人一倍高かったから、皆を見下して、王様気取りで優越感に浸りっぱなしだった。
 そんな状態が、あって当然のものだと信じて疑わなかった。
 学校の先生だって、きちんと言うことを聞いてさえいればそれだけで私を特別扱いした。
 私は良い子。
 私と仲良くしない子は、みんな悪い子。
 価値観(せかい)は一つだと、思い込んでいた。


 ただ、学校で好き勝手できた反面、家に帰って来れば状況は全然違うものだった。
 うちの親は共働きで、父親も母親も帰って来るのは遅かった。
 土日ですら両親が揃うことは珍しくて、毎晩毎晩冷たいご飯とおかず。両親が揃ったら揃ったで、夫婦親子の会話も無い、家族の団欒なんて夢のまた夢な食卓。がらんと静まり返って無駄に広い家の中が、大きな大きな籠のように見えた。
 今思えば、労働力の再生産なんてものは家庭でなくともいくらでもできる場所があったんだろう。
 それでも私には子供らしく、親に振り向いてもらおうと必死になった時期があった。
 運動会では何が何でも一番になろうと努力したし、テストだって毎回百点を目指して頑張った。
 それが全くのムダだと分かったのは、さていつのことだっただろう。
 一番だろうが百点だろうが、たまに反応を返してくれたと思ったら「次も頑張れ」の一点張り。あなた達は機械ですか?
 そのくせに、取り繕いの家族サービスでショッピングに出ればこの時ばかりはお金で子供の機嫌を取ろうとする。
 全く、娘がグレなかったことを少しは感謝してもらいたいものだ。
 
 子供って――いや、人間って、残酷なもの。
 ――そんな自分の物差しでものを全部計って、平気で人を傷付けられるのだから。

 あの時――何もかもが一瞬で、何が起こったのかもわからなかった。
 彼が何をしたのか、私がどうなったのか。そして情けないことに、私が彼に何を言ったのかさえ――覚えていない。
 ただ、これだけはわかる。
 私は彼の、触れてはいけない部分に無遠慮に立ち入ってそれを乱暴に踏み荒らしたのだ。
 気付いたときには病院のベッドの上。顔から脇の下まで包帯でぐるぐる巻きにされていた。
 誰もいない、何も無い病室。ベッドの脇に両親なんていなくて、代わりに担当医の先生がついていた。
 心臓が鳴る度に包帯の下がズキズキと信じられないくらい痛んで、私はベッドの上で転げ回り、泣き叫んだ。
 その時はただあの理不尽な痛みだけが、こんな時に傍にいもしない親よりもどうしようもなく憎かった。
 痛み止めで落ち着いた頃、知らない大人達がたくさん入って来て、いろいろなことを訊かれた。訊かれたっていうより、誘導尋問。質問に私は頷いて「はい」を繰り返すだけ。
 その中に、「あの子にやられたんだね?」というのがあった。
 少し躊躇ったけれど、私は「はい」と答えてしまった。
 時間を戻せるなら、この時がいい。
 私は嘘を吐いた。
 それを自覚したのが退院した後なのだから、もうどうしようもない。
 顔に包帯っていう不気味な格好で久々に学校に来てみたら、最初に聞いたのは「いい気味だ」の一言。
 私は耳がいいのだ。確かに誰かが、そう言った。
 そして胸に、その言葉がぐさりと突き立った。
 私に近付く人もだいぶいなくなった。態度が変わらなかったのは、特に親しかった二、三人くらい。
 私は、無神経に人を傷付け続けていたのだ。
 あの質問だって、自分が楽になりたいからって、被害者扱いされたいからって自分に都合よく答えただけ。
 たった一度の嘘が、私を卑怯者にした。
 ――その嘘のおかげで、私は「可哀相な被害者」になれた。


   *


「寝よう」
「はあ?」
「疲れたでしょ」
「……そりゃ、まあ」
「これだけ働いたんだからさ、そろそろ休んでもいいよね。少なくともキミは」
「いっこうに出口も何も見えないのに、ですか」
「ん、言いだしっぺは私だし」
「……何の話ですか」
「いや、キミの意見そっちのけにムリヤリ肉体労働させたあげくこうして二人でへたばってるわけだから」
「……それはあれですか、俺に対する労いの言葉ですか」
「うーん、半分」
「また微妙なことをおっしゃる」
「もう半分は――私のけじめ、ってやつかな」
「ほう、けじめ」
「うん、けじめ」
「それはまたどういった類のけじめなんですか」
「秘密」
「……あっそ」
「女に根掘り葉掘り尋ねるのは野暮ってもの」
「……以後気を付けます」


   *


 あの出来事から程なく、俺と親父は街を出た。
 彼女が病院から出てこないうちに、周囲の目から逃げるように。
 最後にあの街であったことといえば、彼女の親友からありったけの罵詈雑言を受けたことだった。同級生の中には、恐がって近寄ろうともしない奴もいた。

 新しい街に着いても、彼女のことを――あの出来事を忘れることはできなかった。
 ――あの子の傷は、もう一生消えないのよ
 彼女の親友が叫んだその言葉が、頭の中を芯から食い散らかしていくような、そんな錯覚を覚えた。
 彼女は、俺のことを恨んでいるのだ。
 その事実だけが、俺の中から消えなかった。

 転校後の俺の扱いは、まるきり問題児に対するそれだった。まあ本当に問題児なのだから当然だ。
 友達と呼べる友達もできず、教師からは色眼鏡をかけた目で見られる。
 次第に俺の居場所は狭まり、少しばかり俺は荒れた。
 俺が世界に嘘を吐いているのではなく、世界が俺に嘘を吐いているのだ。
 そう思えば、少しは気が楽だった。

 親父の再婚は、そんな生活の中での数少ない喜びだった。
 相手の家は裕福であるらしく、もう食費に困ることはないと言われたが、そんなことより俺は親父の負担が減ってくれるのが一番嬉しかった。相手側に籍を入れたから名字も変わったが、この際どうでもいいことだ。
 俺の新しい母親は、最初こそぎこちなかった。しかしさすがは親父の理解者と言うべきか、話してみると意外に俺とは気が合った。
 幸せそうな二人を見てどうして彼女の顔が浮かぶのか、俺にはどうしても分からなかった。


 高校に入学して彼女の姿を目の当たりにした時には、性質(たち)の悪い夢だと思った。
 あの頃の面影を残した大きな目、口元。あの頃と違って長く伸ばした髪。そして、想像以上に痛々しいまでの右頬の傷痕。
 俺の背が伸びたのか、背丈は俺が上だった。彼女もどういうわけか名字が変わっていた。
 もしかしたら、他人の空似、というやつなのか。
 しかし、彼女を見間違えるはずが無いのだ。
 そして――困ったことに、彼女の成長した姿に俺はまた、恋愛感情というものを抱いてしまったらしい。
 二度目の初恋、などと言ったら笑われるだろうか。

 はじめましてと、笑顔を見せて彼女は言った。
 本当に俺のことが分からないのだろうか。
それとも、あの時の恨みを晴らすため俺を騙そうとしているのだろうか。

 彼女の顔を正視できないのは、なぜなのだろうか。

 彼女を前に、俺はどうするべきなのか――


   *


「ったく、いつまで寝てる気だよ……」
「……起きてるから」
「……さいですか。なら掘削作業再開といきますか」
「うん……そ、だね……」
「? どうかしたんですか」
「ちょっと……頭、いたくて……ね」
「!? あんた、こんな熱……! 冗談だろ!?」
「な……こと言ってる場合じゃ……ないよね。さ、やろーか……」
「ちょっと待て、いや、待って下さい。病人怪我人は黙ってじっとしているべきだ。絶対そうだ。だから――」
「さてさて……どっちの方だったかな……」
「あの、いいから寝てて下さい。俺がやります。無理はやめましょう、ね?」
「キミさあ……人を傷付けたことある?」
「……は?」
「私はある……ありすぎて困るくらい。でもね……こういうときにぼけっとしてる卑怯な被害者になりたくないの。ただ……誰かを助けてあげられる……強い人でいたいの」
「……」
「わかった……? 私はガンコだからね。邪魔……しないでね」
「……俺を」
「うん……?」
「俺をこれ以上……加害者にさせないでくれ」


   *


 傷痕が一生残ると聞いたのは、割と早い段階でのことだった。
 その時はさすがに絶望した。こんな醜い顔で生きなきゃいけないなら死んだほうがいいと思った。
 でも今は違う。この傷は、忘れてはいけない私の過去そのものなのだ。
 そして、私が追い出すような形で転校してしまった、彼。
 彼は、罪をなすりつけた私を恨んでいるんだ。
 どんなに喚いても、この事実は消えない。体に残った傷よりもずっと痛かったかもしれない。

 両親の離婚は当然だった。大事なのは娘じゃなくて責任の行き先なのだから。慰謝料で相当揉めた様子が今でも目に浮かぶ。
 財源が無くなったのも、名字が変わったのも、いい機会だった。
 この傷を恥じるんじゃなく誇るんでもなく、ただ受け入れて生きて行こうと、最近ではそう思うことができ始めている。
 形から入ろうと髪を伸ばし始めたのが功を奏したのか、割と友達はできた。傷とは関係なく付き合ってくれている人もいるみたいでほっとする。


 高校にも奨学金で何とか進学できて、学校で彼の姿を見かけた時には、内心本当にびっくりした。
 くっきりして形の良い目鼻立ち。背が伸びて全然印象が変わっているあたりはさすが男の子。小学校六年生で成長がぱったり止まった私とは違う。
 あれ、でも、名字が違う。
 うん……多分、彼……だよね。
 自信が無かったからとりあえず初めて会ったフリをして、はじめましてと挨拶してみた。
 何だか反応が変だったけれど、問題はこれから。
 あの時のことについて、私は私の中で決着を付けなくちゃならない。
 何も言わないままただ日々を過ごすだけなら、逃げているのと同じ。

 たった一言、言えばすむことだと思うのに。
 
 さあ、どうやって切り出したらいいだろう――


   *

   *

   *


 暗闇に座り込む、彼と彼女。二人を挟んでちょうど真ん中の位置に置かれた懐中電灯の光が、狭い空間を仄かに照らしている。
「……で、光が見えたって……ほんと?」
「本当……。で、外に人が集まってて、もう少しで俺らは助かるようです」
「そ……か。よかった……」
 彼女は熱のせいで汗が吹き出てくる額を、彼は汗と土の混じった泥のついた額を、同時に拭った。
 ――場に降りる、静寂。
 そんな空気に耐え兼ねたのか、彼は大きく息をついた。
 これを好機と思い立ったのか、彼女は彼に声をかけた。
「――ところでさ」
「……何でしょう」
 訝しがる彼に、彼女は笑みを向ける。
「やっと本気出してくれたって感じ……だったね」
「どういう意味……ですか」
 懐中電灯の淡い光の中、互いの顔が幻のように見えていた。
「キミが一人で穴掘ってた方が……二人でやるより早かったもん」
「そう、かな……何やってるんだか自分でもよく分からなかったからな……我を忘れた、ってやつ」
 彼女から目を背け、彼は自嘲めいた声音で言った。
 そんな彼の態度に、今度は彼女が溜め息をついた。
「どーして、もっと早くそういう風に頑張ってくれなかったかな」
「俺が我を忘れるとろくなことがないんですよ……昔っから」
 彼のその言葉は、不思議な間が尾を引いていた。
「……そうなんですか」
「そうなんです」
 彼女が小声でその間を拾うと、彼は即答する。
 しかし彼女は、笑顔で続けた。
「でも今回は……違ったじゃん。私ら、助かったよ」
 その言葉に、彼は黙りこくってしまう。
 正対しようとしない彼に、彼女はおどけて言う。
「もっとイマを全力で生きてみましょうや」
「あんたは全力過ぎ。今は黙って縮こまってて下さい」
 思わぬ反撃に、彼女は目をしばたたかせる。
 呆れたように、彼はあさっての方向を向く。
「そ……かな」
「そうです」
 彼女は少しだけ口を尖らせた。
「だって、そうでもしないと人に迷惑かけてばっかりなんだもん」
「時と場合によります」
「それをキミが言う」
 彼は少しだけ身を強張らせた。
「――キミさ、ちっちゃい頃から生き方下手って言われるでしょ」
「あんたは言いたい事ズケズケ言い過ぎって言われるでしょう」
 彼女の話すペースに巻き込まれていると、彼はわかっていた。
 彼の言葉がやっと本音に近づいていると、彼女はわかっていた。
「うん……言われる。……他の人が言わなさ過ぎなだけだと思うけどな……私」
 すると彼は突然顔を上げ、彼女の顔を真っ直ぐに見据えた。
「じゃあ俺も言わせてもらいます」
 彼女も彼の目を正面から見つめ、それに応じた。
「うん、なに?」
 一瞬の間。
「その傷――」
「うん?」
 彼は言いよどみ、目を泳がせる。
「――いや、なんでもないです」
 彼女は彼から目を離さない。
「なに? じれったいなあ、早く言ってよ」
 
 再び、彼と彼女の目が合った。

「――じゃあ」
「じゃあ?」


 彼は彼女の傷痕に。
「色々迷惑かけまして、ごめんなさい」

 彼女は彼の傷痕に。
「はい、こちらこそごめんなさい」



   *



 二人は知らない。

 かつて二人を引き裂いた「傷痕」。
 今はお互いを引き寄せ、繋ぎとめているということ――


 この傷痕は、一生消えない。

 ――ずっと、いつまでも。










   〜あとがき〜
 まずはじめに、最後まで読んで頂き、本当に有難うございます。
 さて。
 ――あとがきというものも人様に見て頂く以上、読んでいて面白いものでなくてはならないのでしょうか。
 好きなものを好きなように、ただそぞろにつれづれに書く。そしてそれを自分ではない人に読んで頂く。この時、読み手側の意識を一切念頭に置かないなどということがあれば、ただ読んでいて苦痛なだけ。そんな当たり前のことを、最近になってやっと考えさせられ始めています。
 人に読ませる文章、人を惹き付ける構成、人を魅せる物語。どんどん課題が増えていきます。この作品がどれだけ読み易く、人に見せて良いものであるのかどうかは分かりかねます……が、今回の経験がこれからの自分にとって良い意味での『傷痕』になってくれれば良いな、と思っている所存です。
 ではもう一度、読んで頂き本当に有難うございました。



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