直に会津秋嶺
先月、僕の彼女が仙台にやってきた。はじめ、彼女からその予定を聞いたとき、僕は驚いたというよりも悩んだ。それというのも、彼女は仕事を休んで来るつもりだったからだ。僕は申し訳ないと思い、 「そこまでして来ることないのに」 と漏らしたら、彼女は怒って電話を切ってしまった。 十分後のメールには『とにかく行く』とだけ記してあり、もう彼女の決意は変えられないと僕は思った。 期末試験が終わってすぐの週末だった。その日、夏らしい太陽は一番町をいつもより清清しく照らし、まだ梅雨であることを忘れさせるほどだ。ただ、仙台の人には日差しが強すぎるのか、行きかう人々は幾分疲れているように見える。 僕は彼女を迎えるために、予定の二十分前には到着して、アーケードのベンチに腰を下ろす。テスト疲れのためか、僕はカゼ気味だった。ここ最近、ほとんど睡眠をとっていなかったので目の玉がすごく重い。 こんな状態で佐和子を迎えることは、自分にとっても気が引けた。だが、もうどうしようもない。 ただぼんやりと前を見て、僕は時がたつのを待った。そのうち頭が重く感じ、自然と伏し目がちになっていると、僕は電話が鳴っていることに気がついて跳ね起きた。 もちろん、かけてきたのは佐和子だ。今、ちょうど下車したところだと言うから、僕はすぐ立ち上がってバス停へと向かった。 彼女は僕を見つけるなり、小さく手を閉じたり開いたりしていた。彼女はTシャツにジーンズという、若々しい格好をしていたものだから僕は多少面食らった。まるで社会人とは思えないよそおいである。 「ひさしぶり」と僕らは言葉を交わして、顔よりもちょっと下を見た。なんだか唐突な再会に、気恥ずかしさを感じたのである。 すると、彼女は僕の手を握るなり、あいた左手を僕のひたいにあてて、 「やっぱり、熱、あるね」 と言った。 僕は目を丸くして、 「あれ。カゼひいたこと、言ったっけ?」 と不思議がる。 「だって、昨日の電話で言ってたじゃん」 ああ、そうか、と僕は一人で納得する。そして、知っていてもなお来仙する彼女の神経を疑った。 「これからどうする?」 僕は暗に『どこにも行きたくないけれど』という意思をこめていた。そのメッセージを知ってか知らずか、彼女は「帰る」と言った。 「帰る? 今来たばかりなのに」 「いや、直希んちに、ね、いいでしょう?」 僕は一向にかまわなかったが、観光とかするつもりじゃなかったのか、と逆に心配になる。だけど、とりあえずそのことには触れずに、「別に、かまわないけれど」と言った。 程なくやって来た路線バスに乗り込み、僕たちは郵便局前で下車する。街中のノイズから逃れたためか、心持ち涼しげな気分になった。僕は、佐和子のリュックを持とうとしたが、彼女はそれを拒んだ。 「何か見られちゃまずいものでも入っているのかよ」 と僕が言ったら、「そのとおり」と元気よく返された。 アパートに着いて、僕が先に玄関をあがると、少し遅れて彼女も「おじゃまします」と言ってから入室した。 「本当に何もないところだけれど」 座布団の一つを彼女の前に置いて、僕はテレビの前に腰を下ろした。佐和子は部屋の片隅に荷物を置いてから座ったが、きょろきょろと辺りを見まわしてばかりで落ち着きがない。 「本がいっぱいあるなあ、と思って」 そう言うなり、彼女は手近にあった一冊を本棚から取り出して、ぱらぱらとめくっていた。 「よくわからないけれど、面白そうだね」 と佐和子は言ったけれど、それは門外漢にはつまらない専門書である。僕は小さく笑った。「何か飲む?」と僕が聞いたら、彼女はまた違う一冊を眺めながら「自分でやるからいいよ」と答えた。 「それより、直希は熱があるんだから」と彼女は思い出したように言うと、いきなり押入れから布団をとりだして床に敷いた。そして、「横になっていなよ」と勧める。 だけど、僕は遠慮した。 「何で?」佐和子は首をかしげる。 「悪いじゃないか、せっかく来てもらったのに」 すると、今度は彼女が声に出して笑い始めた。何がおかしいのだろうか、僕は少し不愉快になった。「いいから、寝なよ」と彼女は僕の腕を引っ張ったけれど、僕が乱暴に振りほどこうとしたせいで二人はバランスを崩した。 「あっ……」 布団の上で二人が並ぶ構図になった。 彼女は僕に抱きよって、二人は静かに目を閉じる。重なりあった肌から、僕たちはお互いを直に感じた。 佐和子は今、ここにいるんだ、って。 目が覚めてから、僕は自分がいつの間にか寝ていたことに気がついた。台所のほうから、何かにぎやかな音楽が響いてくる。 「あ、もう起きたんだ」佐和子が台所から顔を出して言った。「まだ、もうちょっとかかると思うんだけれど」 「料理しているのかい。 野菜とか、どこで買ってきたの?」 でも、調理中の彼女には僕の言葉が聞こえなかったみたいだったから、僕はもう一度目を閉じた。そして思う。 彼女が今、ここにいること。 ひとりではないということ。 それは、普通のカップルなら当たり前のことなんだろうけれど、僕たちにとってはすごく貴重なひと時だ。 せま苦しい六畳一間に、たちこめる甘い煮物の香り。いつの間にかベランダに干されていた洗濯物は、僕の眠っている間に彼女が洗ったものに違いなかった。一方、曲がったアンテナのラジオは、雑音交じりに音楽を流している。とても安っぽい雰囲気で。 でも、それでいい。僕はうなずいて、白いご飯をいただいた。 お金なんかなくてもいい、とは彼女の言だ。もっとも、そう考える人間でなければ、学生とつき合おうとは思わないだろう。せっかくの有休を、病人の世話に費やそうとは思わないだろう。 それは、僕の思い上がりでなければ、佐和子は幸せを発見できる種類の人間だからなのだと思う。安上がりの料理にも、ユニクロのジーンズにも幸せを見出すのだ。それは、僕のような鈍感な人間にとっては、日常のすき間に埋まっていて見えない宝物だ。ややもすると僕たちは、カネやモノを幸せと結びつけるか、または、一転して幸せなんてどこにもないと開き直っている。でも、彼女にはどんな些細な出来事にもそれが見えるのだろうと僕は思う。 そして、彼女も知っているはずだ。自分にしか見えないものがある、と。だから自分はちょっと変わっている、と言われるのだ、と。 彼女は直に世界と触れている。だから彼女の生活は毎日が刺激的だ。 でも、彼女はけしてそのことを言わない。それは、声に出したらその瞬間、チープなガラクタに変わってしまうことを彼女もまた知っているからに違いない。 最終日、バス停で彼女を見送るとき、彼女が泣いていたことを僕は思い出す。 僕は、なんで、と尋ねた。来週には僕は実家に帰る予定だったし、そうすればまた佐和子とも会える。たった数日間の別れを、どうして悲しむのだろうか。 その日は雨だった。梅雨の終わりらしく、湿っぽさのなかにも暖かみがある。道路のへこみにある水たまりは、ずっとそこにあるように見えるが、実は流れ続けている。 何も答えずに彼女はバスに乗っていった。さよならと手をふる僕の目じりから、涙がつたった。どうして泣いたかは未だもってわからない。 でも、少しだけ彼女の心と直に触れたような、そんな気がした。 |