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純文学(小説)考究の企画ゼミ「黄昏の集い」第一回総括

6月1日(木) まとめ/眼鏡な人


 第一回のゼミでは、夏目漱石の短編「夢十夜」の第一夜を扱った。
本作品全体の鑑賞と解釈を重点的に行い、その後各個の表現についての評価を試みた。
 以下、話し合った内容を提出されたコメントペーパーと共に順不同で記述する。

●文頭で「こんな夢を見た」と書かれているが、果たしてこの文章に記述されていること本当に全て夢の中で起こったことなのか、それともそうではないのかという点について、「最初に『こんな夢を見た』と書いているのに、夢と思えないほど鮮明な描写があって夢なのかどうか判らなくなった。そうかと思えば描写が省かれていたりと、夢現彷徨っているような印象を受けた」「夢と現を分けることが物語の中では出来ないと思う。後半を考えると現、前半というより中半(原文ママ)を考えると夢の気配を感じたがはっきりとどちらともいえず、夢と現の境界の物語みたいに思える。もちろん現も夢の現ですが(原文ママ)」「『すると……』以降は夢の中の夢だったのではないだろうか」などの解釈がなされた。

●文章の最後で「『百年はもう来ていたんだな』とこの時初めて気がついた」と述べられているが、果たして百年は経っていたのかという点について、「百年は経っていない。幻想性や待った男の愛情の深さを表すための表現」という解釈のほか、「夢という舞台で物語が展開しているのだから、女が何らかの形で逢いに来たと考えれば百年は経っている」という考えも示された。

●上の点に関連して、女は果たして逢いに着たのかという事項に関しては「百合というモチーフが出されているが、百合は『百』と『あう』という文字になる。これで女が百合となって逢いにきたと考えれる」「『暁の星』を見て百年経ったと読めるので、女は星となって逢いに来たのではないか」「ラスト6行前からの文章でもしも露が空から落ちてきたのだとすると『暁の星』=『女』が成り立つのではないだろうか」「女がどういった形で現れたのかは解釈の悩みどころ。百合なのか、星なのか、状況そのものなのか、それともまた別のものなのか」などの解釈がなされた。

●真珠貝、星の破片、太陽などのモチーフについて、「女に恋焦がれてそのために全てに重ねられている」「『真珠貝』と『星の破片』は『海』と『空』の対比ではないか」「落ちてきた露は女が死の前に流した涙との関連ではないか」「『星の破片を墓標に』に対応しているのが終わりの『暁の星がたった一つ瞬いていた』なのではないだろうか」といった考えが出、本文の対比構造にそれらがかかわっているのではないかという考えが出された。

●本文の幻想的な雰囲気を作り出している技法について、「前半に「」が無いところにある」「死に対しての男の考えが前半で全く一定せず、考えが二転三転しているところに感じられる」「百合の花が露にあたってふらふら動いているという所で出来事の不確実性を暗示しているのではないか」といった考えがあった。

●鑑賞する上で、印象に残った表現について、女の眼に関する描写が挙げられた。特にそこで強調されていた黒という色については「終わりを暗示する」という考えが寄せられた。また、主人公が女を葬る場面で真珠貝を使って穴を掘る描写にも「綺麗だ」という感想があった。

●文体の効果について、冒頭部の情景でそれが夜であるということを感じさせる「夢」「夜」という単語の連続などの技法のほか、一見論理的ではないように思える第一印象から論理的な一面がしっかりと感じられる文章の運びなどが挙げられた。「文章に無駄が無いのがこの作品の淡々とした雰囲気を作り出している」という考えと共に「真珠貝についてだけ、贅肉ともいえる描写が付いているのはひっかかる」という意見も出された。

●その他「前半部がラフカディオ=ハーンの『破約』に似ている」「この話はこーゆー世界であって、こーゆー展開は当然のもの」「現代の作家とは違った美しさがある」「古い時代の文章という感じはしない」「夢というものはある心理学的観点からいうと人間の無意識が象徴化されて意識に浮かんできたものであるという。それを解釈するのはかなり難しい行いであるということはいうまでもない。つまり何が言いたいかというと、ごめんよくわかんない。(原文ママ)」などの感想が寄せられた。

 以上のようにゼミは進んだが、本作品についてある程度の読み込みは出来たように思う。読み手によって如何様にも解釈が変わっていくということを明確に示せたはずである。今回の反省点としては、ゼミ進行に合わせての記録をとっておかなかったことが挙げられる。それを改善し、次回のゼミを開催したい。

関連リンク:青空文庫 夏目漱石/夢十夜