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2003年度第二期リレー小説
「蘇る大森林 〜ノエリットの奇蹟〜」第43回             村崎 永
(頑張りどころ間違ってるかもしれない……。ま、いいよね。多分)


「……急がないと次の『渦』が起きるって、何度言わせる気なんですかーっ!!」
「うおっ?!」
 兎のドロップキックがアイゼンの膝裏に決まり、剣士の体が一瞬後ろにかしいだ。しか し、すぐにバランスを取り戻し、同時に兎を捕らえた動きはさすがである。
「いきなり何しやがる! お前な、こっちもいろいろ立て込んでるんだよ。分かるだろ?  大体、渦とかが起きたら起きたでジークの奴が見つかるかもしれねえじゃねぇか。とに かく、あいつを見つけないとまずいんだよっ」
 兎を吊るし上げながらアイゼンが怒鳴りつけると、兎は最大級に不満そうな声を上げ た。
「あなた馬鹿でしょ?! どういう思考したらそこまで楽観できるんですか! こんなと ころでこんな馬鹿のために命を張るのはもう嫌です! ああああ、白姫!! 死ぬ前にも う一目お会いしたかった……! あなたに誓った忠節を尽くせず朽ちる私をお許しくださ い……」
 兎は涙声で嘆いて見せた。苦虫を噛んだような顔でそれを見ていたアイゼンだったが、 兎が本当に涙をこぼしているのを見ると、少し気遣う表情になる。
「なあ、その白姫っての。お前の恋人か何かか?」
「あなたに何が分かるんです……私たちにとって姫は……そんな下世話な言葉でくくれる ものじゃないんです……」
 めそめそ泣きながら話し始めた兎にうんうんと相槌を打つアイゼン。いつの間にか、剣 士は胡坐をかいて座り込み、兎はその膝や草地を行き来しながら全身を使って熱弁を振 るっている。
 その様子を見定めてから、フリエは探りの術に入った。この機会を作ってくれたアイゼ ンに感謝のまなざしを送るが、当然のように、応える視線は無い。アイゼンは熱心に兎の 話に聞き入っている。
(やっぱり、無自覚だったのね……)
 とにかく、ありがたい。何故か分からないが、このまま<通路>を出てはいけないとい う気がする。得体の知れない胸騒ぎに過ぎない感覚だったが、今はそれに縋る気になっ た。アイゼンの言うような幸運に期待しているわけではない。だが、この特殊過ぎる環境 から消えた人の痕跡を辿ることは、同じ場所からでなければ不可能であるようにも思え た。そして、ジークは必要なのだ。なんとしても。
 彼が残したと思しき紙片をもう一度見る。そこにある、大きな可能性。
(これを書いた人間が誰なのか、私は知らなければならない。私の紙と私のペンを使っ て、この術法を記した人間が誰なのか。……ジークさんはそれを知っているはず)
 心を落ち着けて、ジークの消えた場所に意識を凝らす。何もない空間に、少しずつ何か 影のようなものが重なって見えてきた。
(これは……『渦』の痕跡? その先にある空間は……)
 更に視界を進めようとしたフリエは、強烈な眩暈に襲われて反射的に術を絶った。想像 を絶する闇の深みと、そこを漂う淡い光を放つ世界たち。上位世界だ。フリエが使った程 度の術では、あの中で人一人を見つけることなど出来はしない。それどころか、不用意に 入り込めば自分自身を見失う結果になりかねなかった。
『無茶を、しましたね』
 異質な声を感じて振り返ると、白兎の静かなまなざしに出会った。
『私の言葉を真に受けたのですから、あなたばかり責められないのでしょうが。……お や、この『声』には慣れませんか? いいでしょう』
 兎は咳払いをした。アイゼンはきょとんとして兎を見つめている。
「まったく、世話がやけますね。事態が切迫してるのは事実なのですが……、素直に先に 行く気になりましたか?」
 フリエはため息をついた。
「いいえ。やはり、ジークさんを捜すことを優先すべきだと思います」
 兎はやれやれと首を振った。
「あなたも結構頑固なんですね。まったく私は運が悪い。いいでしょう、手伝って差し上 げますよ」
 心もちふんぞり返った兎の耳を、アイゼンがつまんで引っ張った。
「おいレニ、話が見えねえぞ。俺にも説明しろ」
「またっ! 何勝手に呼んでくれてるんですか、あなたは!」
 ぷりぷりと怒る兎と妙に上機嫌なアイゼンを眺めながらフリエが首をかしげていると、 アイゼンがにやっと笑った。
「いい名だろ? こいつ、名前が無いって言うんで俺がつけたんだ」
 満足気なアイゼンに対して、兎の方は不満顔だ。
「頼んでいません、そんなこと! 第一、何であなたにつけられなければならないんです か?! そもそも私たちに名が無いのは必要が無いからであって……」
「いいじゃねえか。俺たちが使うだけだろ? それに、無いよりあった方がいいに決まっ てるさ」
「そっちの理屈を押し付けないで下さい!」
 白兎がヒステリックに叫ぶ。その様子を見ていたフリエがつぶやくように言った。
「でも、本当にいい名前ですね。……『翼』を意味する古代妖精語です。象徴するのは、 気高さ、俊敏さ、自由。失礼ですけど、少し、意外でした」
 その言葉に、アイゼンと兎は顔を見合わせる。
「なんか、おまえにはもったいなかったか?」
「ま……、白兎随一の実力者である私に相応しい名前……かも知れませんね」
 一転、アイゼンは考え込み、兎のほうは心なしか嬉しそうな様子だ。
「……やっぱ『ちび』とかのほうが……」
 アイゼンが口を開くと、兎はそれを遮って言った。
「私を『レニ』と呼ぶことを許可します。この話題はこれで終了! ほかに大切なことが いろいろあるでしょう?!」
 そして、そういうことになった。
 フリエがジークを捜す決意を話すと、アイゼンはそれに賛同した。
「まあ、もともと一緒に動かなきゃまずいって話だし。他の連中だってどうなってるか分 からないが、この状況でジークを一人にしておくのはとりあえず避けたいからな」
 フリエは頷いた。
「ええ。個人的に気になっていることもありますし。しかし、私の探りの術では限界があ ります。……レニ、あなたが言った『手伝う』とは、どういうことなのですか?」
 新たな名で呼ばれた兎は、まだ少しくすぐったそうにしながらもフリエに答えた。
「あなたにはテレパシー能力がある、と話しましたね。他の魔術では助けられませんが、 その分野なら私たちの専門です。あなたにとっては未開発な能力ですが、私が導けば少し は使えるようになるでしょう。先の探りの術にこの能力を合わせれば、探査可能域が拡が るのではないですか」
 おお、とアイゼンが感心する。
「おまえ、言ってることがかなりソレっぽいな。セミナーの講師みたいだ」
 レニは無視して話を続けた。
「結果について確信はありませんよ。しかし、試す価値はあると思っています。あなたが 使った探索の術には、もともと対象へと自らの意識を飛ばすという面があります。これは 心話にも共通する性質で、だからあなたの無意識のテレパシーを私が聞くことになったの です。また、これも確認しておきますが、心話による会話が成立するのはその能力のある 二者の間でだけです。適性のないものには、話すことはもちろん話者の声を聞くこともで きません。いわば専用の耳と声を必要とする、異質な会話手段なのです。」
「意外に不便そうだな」
 アイゼンが感想を口にした。まだ実感のないフリエは、考え込みながらそれを聞いてい た。
「仮に私にその耳と声があるとして、ジークさんを探すのに役に立つのでしょうか。ジー クさんに耳がなければ、私に声が出せても聞こえないということになるのでは?」
 そう問うと、レニは長い耳を揺らめかせて首を振った。
「いろいろ応用が利くのですよ。相手を呼ぶ声が十分に大きければ、耳を持たない相手の 注意を引くことも出来ますし、場合によってはその無意識に働きかけることも出来ます。 今のあなたにそこまでは期待できませんが、先に述べた共通性によって探索の術の性能が 上がることくらいなら見込めると言っておきましょう。……さて、つい長々と話してしま いましたね。余裕もありませんし、すぐに始めるとしましょうか」
 レニはフリエに近づき、膝にのせるよう指示した。フリエはおそるおそるといった手つ きで兎を抱き、膝に上げた。手がわずかに震えている。
「怖いのですか? まあ、危険は常にあります。怯えるなとは言うのは酷かもしれません が、気は確かに持ってください」
 レニがそう言うと、フリエは引きつった微笑みを浮かべて頷いた。
「始めましょう」
 アイゼンが見守るなか、フリエとレニは精神集中に入っていった。

 一人取り残されたアイゼンはしばらく仲間たちの姿を見つめていたが、何も起こらない のを見るとまた立ち上がり、フリエから距離をとってから剣を抜いた。そのまま構え、い つもの素振りを始める。自分に出来ることが何もない、という時間は居心地の悪いもの だ。
(だが、もしまた『渦』が起きたら……あいつらの体を守るくらいは俺にも出来るさ)
 状況を悲観して悩む気分はどこかに失せていた。身のうちに何か新しいものが宿ったよ うな、違和感に近いがずっと安らかな感覚がある。アイゼンは剣を振るい続けた。
(がんばれよ。先生、レニ!)
「アイゼン!」
 鋭い呼び声を聞き、アイゼンは剣を収めて駆け寄った。叫んだのはレニだった。フリエ はまだ術を続けているらしい。
「どうなったんだ? 上手くいってるのか?」
 アイゼンが訊ねると、レニは曖昧にかぶりを振ってみせた。
「分かりません……。ええ、彼女を導くことは上手くいったと思います。思った以上に筋 のいい生徒でしたよ。ですが、探索に本腰を入れたところで彼女を見失ってしまったので す。一度同調を解かれてしまった私では、あの空間で彼女の目を追いかけることは出来ま せん。あとは……待つしかありませんね……」
 いつになく心許ない口調の兎を抱き上げて、アイゼンは笑った。
「大丈夫さ。おまえの役目は果たしたんだろ? 先生もすぐ帰ってくるさ」
「あなたという人は! この状況でよくもそこまで楽観出来ますね! まったく、私のよ うな判断力のあるものがこの場にいなかったら、どうなっていたやら!!」
 じたばたと動く兎に相槌を打ちながら、アイゼンはフリエとジークの無事を願ってい た。



「父さんに初めて会ったときにね、母さん思ったの。ああ、この人は他の人とは違う、私 はこの人と出会うために生まれてきたのかもしれないって……」
 うっとりと語る人は今の私より十歳も若く、懐かしさと共に意外なほどの可愛らしさを 感じる。その言葉に、幼い私と妹が答える。
「うん、父さんってすごいもんね!」
「わたしも、父さんはちょっとヘンだとおもう!」
 母はそんな二人を愛しげに抱きしめる。
「そうして思ったとおりに、母さんと父さんは結ばれて、あなたたちが生まれたのよ!  母さんの大切な娘たち!」
 母の腕の中で、双子が顔を見合わせてくすくすと笑う。幸福で愛おしい思い出。あの頃 はみんながいた。母さんも、父さんも、ウリスも。
「エルカ! フリエ! ウリス!」
 父は仕事から帰ると、いつもちょっと大げさなくらい大きな声で家族の名前を呼んだ。 そして、家族全員が揃うとひとりひとりの顔を丁寧に見つめた。私たちに何か心配事があ ればすぐに察してさりげなく気遣い、何かいい事があって喜んでいるときには嬉しそうに 話を聞いてくれる、そんな父親だった。私は父が大好きだった。
 父と同じく母も研究を生業にしていたが、彼女の仕事場は家だった。たとえ仕事の邪魔 になっても、母は子どもたちが幼いうちは目の届くところに置きたがったので、私たちの 遊び場は必然的に母の広い書斎になった。書物は玩具で勉強はゲームだった。それで飽き 足らない部分は、妹と一緒に気ままな空想を遊ばせることでいくらでも補えた。その頃か ら、ウリスは私より一枚上手で、私はそんな妹との遊びに夢中になった。その頃はまだ誰 もが私たちを平等に扱ったから、妹を妬む必要などどこにもなかった。
 母はいくつかのルールを守る限り、私たちを自由に遊ばせていた。本を傷つけないこと と、自分を傷つけないこと、やったことの責任はきちんと取ること。遊びが行き過ぎたと きには、きっちり後始末が待っていた。本の修復や分類の方法、それに関わる基本的な魔 術はこの時期に習い覚えたものだ。それぞれのいたずらについて、最初の一度目には、母 は必ず丁寧に後始末の指示を出し、もうしないように言い聞かせた。二度目が起きてしま うと、今度は黙って後始末に向かわせた。そしてそれが済むと、私たちに低い声でこうい うのだった。
「今度やったら、眠っている間に、鼠が鼻の先をかじりに来るからね?」
 これは、母が言うと洒落にならなかった。母は生き物に意志を伝える術に適性のあった 人で、その力は強くはなかったけれど、鼠の一匹くらいなら操れることを私たちは知って いた。結局、同じいたずらを三度試したことはない。
 私たちが九歳になったころ、母が死んだ。病にかかって、あっけなく逝ってしまった。 その日、父は仕事に出ていていなかった。次第に多忙になっていた父は、その頃には例の 習慣を守れなくなっていた。母が倒れたのは、父が長期の仕事に出ていない間のことだっ た。
「今日は、父さんが帰ってくる日ね……?」
 衰弱した声で母が訊ねる。私たちは頷く。医者は疲れが出たのだろうと診断していた し、母は強い人だったから、私たちの誰も母が死ぬなんて思っていなかった。母自身もそ うだったろう。
「母さん、立てないみたいだから、今日は父さんに食事の支度を頼もうか……。久しぶり よね? 父さんの料理……」
 母は笑った。何故かそのとき、初めて母が死ぬかもしれないという強い不安に襲われ た。私が泣き始めると、ウリスが言った。
「父さんを呼んで来る。フリエはここにいて」
 そのままウリスは飛び出していった。私は言われたまま、母の看病を続けていた。なん となく、ウリスのやりたいことが分かった。それは、私たちが次にやろうとしていた遊び だったから。
「エルカ! フリエ! ウリス!」
 玄関のほうから父の声が聞こえた。母は一瞬目を見張った。
「ロアデール? こんなに早く……?」
 しかし、真剣に母の表情を見つめている私と目が合うと、母はくすりと笑った。そのま ま何も言わずにくすくすと笑っていたが、次第に眠りの中に落ちていった。戻ってきたウ リスと一緒に、私は父を待った。しかし、結局夜に父が戻った頃には、母の眠りは覚める ことのないものにその性質を変えていた。
 母の葬儀のあと、私たちは初めて一人ずつ父に呼び出された。この先どうしたいかと問 う父に、私は父や母のように学問をしたいと答えた。父は頷いた。私のあとに呼ばれたウ リスは、私よりも長く父の書斎にいた。どんな話をしていたのかは、なんとなくお互いに 明かさなかった。
 私たちはそれぞれ学校に通うようになり、別々の時間が増えていった。私はその頃、父 の研究室に入ることだけを考えて勉強していた。ウリスは父に対して屈折した態度を取る ことが多くなっていた。私たちの会話も、どこか隔たりのあるものになっていった。当時 の私は、それを仕方のないことだと思っていた。目標が違ってしまったのだから、受け入 れざるを得ないことだと。実際にウリスが何を望んでいるのかは分からなかったが、自分 と同じように父の後を継ごうと考えているのではない、と私は判断していた。そして、そ れは私にとって都合のいいことだった。ウリスが相手では勝ち目がない、とどこかで納得 していたのだろう。
 結局、妹は十九のときに家を飛び出した。その後は、時々私宛てにあっさりした手紙が 届くだけになった。そこに記された住所は毎回違っていたから、私が出した返事が妹に届 いていたのかどうかは分からない。妹の手紙はいつも一方的な内容で、それを判断する材 料にはならなかった。
 父が倒れたとき、私はほとんど祈るような気持ちで手紙を出した。ウリスが家に帰って きてくれたときは、本当に嬉しかった。しかし、妹はあっさりとまた行ってしまった。私 は傷つき、裏切られたと感じた。父の部屋に行くと、やつれた父はそれでも泰然として寝 台から身を起こしていた。
「父さん」
 声をかけると、父は私の顔を見つめて微笑む。穏やかな表情。
「フリエ。ウリスは行ったね?」
「ええ」
 抑えようとしても、声には苦々しい響きが混ざる。
「あの子はあれでいいのだよ、恨んではいけない」
 父の言葉に納得できず、私は思わず涙をこぼす。
「でも」
「フリエ。私はもうすぐいくが、それは仕方がないことだ。どんな医者にも止めることの できない定めなんだ。私は今、ここでこうしていけることに、十分満足を感じているよ。 お前も、ウリスも、良く育ってくれた……。私のすべきことはもうやったんだ」
 父は暖かいため息をつく。その表情は、本当に安らいだものだ。
「いやです。そんなことを言わないでください」
 涙でくぐもった声で、私はようやくそう口にする。
「フリエ。強くなりなさい」
 泣き伏す私の肩に、父の手が置かれる。
「お前にこれを託そう……」
 顔を上げると、そこには朽葉色の本があった。表紙には、茨のリース。

(そんなはずないわ!)

 脳裏を閃きが走った。私は父の腕を掴んで言った。
「あなたは誰?」



『初めまして、書の持ち手よ。僕の名はヴェリルザ』
 モエルティマ博士の姿を裏返すようにして現れたのは、年齢も性別も特定しがたい、独 特の空気をもった青年だった。
(ヴェリルザ……七賢人の一人。『歴史書』の書き手ね)
 フリエは青年を睨み付ける。
(どういうつもりなの? どうして私の記憶を?)
『あのまま書を受けとってもらっても良かったのですが、目覚めてくれるあなたであって 良かったと、僕は心から喜んでいます』
 不可解な笑みを浮かべるヴェリルザに、フリエは苛立った。
(冗談ではないわ。私にとってあれは大切な記憶です。それを、あんな風に……)
『当然の怒りですね。しかしあなたは、あのようであれば良かったと望んでいたのでしょ う? 父親と妹に裏切られたと、どこかで恨んでいたでしょう?』
(……)
『その妹が、またあなたにこの書を返してきた。それならいっそ、最初からこのようであ れば良かったと、思ったのではないですか?』
 フリエは唇をかみ締めていたが、やがて顔を上げた。
(……ええ。その通り。私は、父やウリスと、全てを分かち合うことが出来なかったこと を恨んでいます。悲しんでいます。……そして、そんな自分を哀れんでいます)
 ヴェリルザはフリエを見つめている。
(それでも! 私は今の先に、今生きている大切な人と、ウリスや小さいフリエと通じ合 える未来を信じたいのです! 決して、過去を否定したいわけじゃない!)
 自分の心のどこかにずっとあった願いが、今はっきりと分かった気がした。人は一人一 人違う存在で、互いの思いを裏切ってしまうこともある。だが、それがその人の全てでは ない。例え裏切られても、信じ続けることは出来る、信じ続けてもいいのだとフリエは思 いたかったのだ。
『あなたは、いろいろなものを見落としているのかと思っていましたが……見ない振りを していただけなのですね。見なければ、信じ続けることが出来るから。見てしまったら、 それを拒んで孤独になってしまうから』
 ヴェリルザが静かに語る。フリエは頭を振った。
(そうかもしれません。でも私は……信じる振りをすることに逃げていただけで、実際に は自らの孤独に引きこもっていたのです。誰のことも、本当には信じていなかった)
『でも、結局偽りでは満足できないのですね』
(……そのようですね。私は真実が欲しい。それが例え、辛いものであったとしても。そ のために、ウリスのやることを見届けたいのです)
『わかりました』
 ヴェリルザは頷いた。
『フリエ=モエルティマ。あなたの前に僕は現れた。この意味が分かりますか?』
 フリエはヴェリルザをまっすぐに見た。
(私が書の主に足るか試しに来たのですか?)
『僕は誰も選びません。認めるだけです』
 ヴェリルザは微笑んだ。
『フリエ=モエルティマ。あなたは、書の主になる意志を持っていますか?』
 フリエは躊躇しなかった。
(ええ。ウリスのゲームに乗るためには、それが条件であるようですから)
『よろしい。僕はあなたを書の主と認めます』
 ヴェリルザはそう言うと、面白そうに訊ねた。
『彼女を信じるのですね?』
(疑いながら、ね)
 そう答えると、フリエもにこりと笑った。ヴェリルザは愉しげに笑みを返すと、独り言 めいた口調でぽつりと言った。
『あなたが受けてくれて良かった。僕は一度振られているのですよ。……だけど、僕にも この戦いに参加する権利と義務があった』
 フリエは思わず問いかける。
(……それは、ウリスのこと?)
 しかし、探求者は言葉を返さず、にこにこと笑うだけだった。
『そのために少々凝ったことをしてしまったことは許してください』
(凝りすぎです。あなたの趣味を疑いますよ。……あなた、ウリスに似ているのではあり ませんか?)
 フリエが怒ってみせると、ヴェリルザはとうとう声を上げて笑った。
『また会いましょう、書の主よ。せめてものお詫びに探し人の居場所を示してあげましょ う』
 白っぽくぼやけていた風景が徐々に遠ざかっていく。
(ありがとう、心から感謝します)
 フリエの声はかろうじて届いたらしい。最後に探求者の声が聞こえた。
『こちらこそ。……あなたに、暖かき追い風が吹かんことを』


 とっぷりと暮れた森の中、アイゼンとレニはひたすらフリエの目覚めを待っていた。フ リエが術に入ってから、もう一時間にもなる。早く<通路>を抜けたくて仕方のないレニ の苛立ちは、ほとんど限界と言ってもいい状態だった。自然、アイゼンがそれの相手をす る羽目になる。
「まったく、まったく、まったく、いつになったらここを出られるんですか?!」
 いらいらと同じコースを歩き続けながら、レニは叫んだ。
「もうすぐだろ。落ち着かないやつだな」
 アイゼンが言うと、兎は猛然と剣士に向かって来た。
「あなたは! そればっかりじゃないですか! 今まで一度も『渦』が起きていないから いいようなものの、ここが危険なことに変わりはないんですからね?!」
 レニの弱弱しい攻撃を足に受けつつ、アイゼンは面倒くさそうに言う。
「お前もそればっかりだろうが。待つしかないんだ、腹くくれよな」
(とはいえ、ちょっと待ち長いのも事実だな……。てか、先生無事なのか?)
 アイゼンも不安になってきた頃、ようやくフリエが動いた。
 ぐらっと体が揺れたかと思うと、目を開き、立ち上がる。やや足元が不安だが、意識は しっかりしているようだ。アイゼンはフリエに駆け寄った。レニも遅れてついてくる。
「大丈夫か?」
 問いかけると、フリエはアイゼンを見上げて頷いた。
「ジークさんの居場所が分かりました。まだ、上位世界の中にいるようです」
「あの空間に? 無事なのでしょうか?」
 レニが思わず言うと、フリエは眉を寄せた。
「分かりません。彼を連れ戻さなければ」
「しかし、一体どうやる?」
 アイゼンが唸る。フリエは少しの間考える様子だった。やがて、顔を上げると強い口調 でこう言った。
「<門>を開きましょう。ジークさんのところまで」
 レニが体を強張らせて叫んだ。
「上位世界にですよ?! あなた一人で出来るのですか?」
 フリエはきっぱりと答えた。
「ええ。――次の『渦』を利用します」





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