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2004年度第一期リレー小説
「蘇る大森林 〜ノエリットの奇蹟〜」第42回
(森史上において最大級にやってますよ、はい)             超蜜柑


「ふはははは……はーっはっはっは!」
 過去の森――エンシャンルオートの断崖絶壁。幾筋にも枝分かれを繰り返しながら も、その流れ一つ一つが人間など簡単に呑み込んでしまうほどに巨大な滝。それを背 景にグディアルメフ教主ウィルドは高らかに笑っていた。
 得意げに高笑する彼の眼前には巨大屋台が出現しようとしていた。森を傷つけな い、という彼らをポリシーに乗っ取り、地面に落ちた枝だけを拾い集めて建造された この建造物は、高さにして凡そ50尺、広さにして2万平米に相当する。世界最大級 の建築物であるガラディアック要塞――建造後20年に渡り敵蛮族の侵入を阻み、今 なお難攻不落と称され恐れられている――を築き上げたとして世界最高との呼び声高 い大工の棟梁、第17使徒ローランドェルズを以てして組み上げられる屋台は「グ ディ屋台」と名付けられる予定と相成った。
「遂に……遂に邪神の手先と決するに相応しい舞台が整いつつあるわ! ふはは、腕 が鳴るというものよ!」
 歓喜に打ち震えるウィルドの前を巨大な丸太を担いだ第3〜第7使徒、ストゥン ラッド五兄弟の内の二人が通り過ぎていく。彼らは肉体労働は得意だとばかりに森中 を駆けずり回り、木材を調達しているのだ。因みに、その後ろで方角を指示していた のは地理学を専攻していた第12使徒であるガトバギだ。ガトバギの類い希な地理の 知識に基づいて、材料収集は実に順調に進んでいる。
 そして調達された木材は第9使徒、元王都聖騎士団部隊長ロースティンが加工す る。彼の卓越した抜刀術によって巨大な丸太がどんどん角材に生まれ変わっていく。 その角材をローランドェルズの指示通りに運ぶのはストゥンラッド五兄弟の残った三 人である。そして身軽で手先の器用な第11使徒、大道芸人イェルストン、第15使 徒である狩人ウェンスターが組み立て作業が実に手際よく行われる。その後の塗装、 装飾作業を一手に手掛けるのはご存知第14使徒、服飾業のマックンゼルである。こ うした実働部隊の働きによって、料理勝負宣言から2日という異例の速度で屋台は完 成を迎えつつあった。
 因みに残りの使徒達の仕事はと言えば、動物学者第10使徒ロイストルは周辺環境 に対する調査とその報告書の作成、元医者第13使徒チェンリキは屋台の安全基準調 査と作業中の負傷者発生に備えた簡易診療所での待機。今回の屋台制作にあたって最 初に行われた作業はこの診療所の建造であった。余剰予定の布と材木だけで構成され た簡素な代物だが、 チェンリキにかかればどんな場所でも大病院と化す。今回の作業に関して言えば、大 きな怪我人を出すこともなく進行しているが、こうした怪我人に備える方針はウィル ドが打ち出したものである。加えてクエヤレルヤは来たる料理対決に備えて断崖絶壁 の亀裂に生じた空間で瞑想させてある。彼には究極の料理を生み出すという一代使命 があるのだから、当然と言えば当然だろう。最後に付け加えるのであれば、第2使徒 祭祀長グルグスは作業中は休むことなく一身に大地の精霊に祈りを捧げ続け、屋台完 成の安全祈願とグディアルメフの勝利を強く訴えていた。
「うむ。実に壮大な眺めだ。我々人間が大自然に対してこれほどのアプローチが可能 であるなど、千年以上前にはまるで考え付かないことであろうな」
 使徒達の働きぶりを眺め、しみじみと呟いたウィルドの背後に巨大な影が落ちる。 今回一番の働き頭、グディ=アジェスラータである。額には捻り鉢巻、肩には手拭い を掛け、手製のハッピを着ての登場である。
「千年前と言えば、亡国ラシアンティアに一日城という要塞がありましたよ。何でも 材料をイカダに見立てて川上から流し、川下にて建造するという、それはそれは奇抜 な方法を用いたそうですよ」
「おぉ、アジェスラータ殿ではないか。いや、済まぬな……本来であれば我らだけで 行わねばならぬ事と言うに、お主にまで手伝わせてしまって……」
 二日前の一件以来、互いの距離を縮めた両者。ウィルドが申し訳なさそうに見つめ る先には、アジェスラータが運んできた巨大な丸太が山のように積み上がっていた。 アジェスラータは軽く首を振ると、肩の手拭いで顔を拭った。
「いえいえ……状況から考えましても、私が作業に加わった方が効率が宜しいでしょ うし、何よりもこうして労働に汗を流すというのは気持ちのいいものですよ。彼の世 界で事務に甘んじていた頃とは、充実感が違いますからね。やはり生物たる者、身体 を動かさなくては健康とは言えないですからね」
「うむ! なんと立派な心意気よ! このウィルド、実に感動した! お主と正々 堂々と勝負できることを心から光栄と思うぞ!」
 アジェスラータの発言に感動したウィルドが、両眼から熱い雫を零しながら何度も 何度も頷いた。アジェスラータも満更ではない様子で、軽く手を振った。
「止して下さいよ。……では、まだまだ作業が残っておりますので」
「うむ! ……しかし何と立派な邪神の手先か。邪神の手先でなければ、是非とも我 が教団の一員に欲しいところなのだが……」
 心底惜しそうに呟くウィルドを尻目に、アジェスラータは次々と作業をこなしてい く。丸太を運んだ後は一人で加工し、組み立て現場にまで運んでいく。今回の屋台建 造の立役者である。その働きぶりは他の使徒達も認めるところであり、この2日で彼 らの仲はすっかり良くなっていた。
 アジェスラータは同じく捻り鉢巻に手拭いを提げたローランドェルズの傍らに赴 き、彼の持つ設計図に新たな提案を加えている。
「この部分なのですが、強度的に些かの不安が残ります。そこでこの部分に新たな繋 ぎを設けましてですね……」
「成る程な。確かにこれならば強度は従来の二倍から三倍……いかなる災害にも十分 に対応できる構造というわけかい。よし、その方法で計画を練り直すとするか。お い、野郎共!ちょっと集合しやがれ!」
 棟梁ローランドェルズの号令の下に、それまで黙々と作業を続けていた使徒達が一 旦仕事の手を止めて集まってきた。その後、ローランドェルズに依って瞬時に書き換 えられた事業計画書の説明が行われ、各々が新たに追加された仕事をするべく現場へ と戻っていった。
「……みんな楽しそうだね、ヴェイド」
「あぁ……」
 主にアジェスラータと古参の使徒達が作業を行っている中で、この二日間手持ち無 沙汰に眺めているのは、第19、20使徒の白黒コンビの兎達である。ノエルもヴェ イドも危険の為、作業現場に立ち入ることを禁止され、同じく蚊帳の外に置かれた きゅーちゃんも寂しそうに地面に草を弄くって暇を潰している。その後ろでは、やは り立ち入り禁止を言い渡された挙げ句、「景観が悪くなる」という抗議を「男の大事 な勝負事に口を出すでないわ!」の一言で却下され、不服そうに佇む白兎の一族がい た。
「……暇だね、ヴェイド」
「あぁ……」
「きゅ〜……」
 三者の嘆息が図らずも重なった。それを機に、これまで我慢していた白兎達から一 気に不満が噴出する。彼らはこの二日間、何をするでもなく仕事の経過を眺めている だけだった。彼らとて暇ではない。
「白姫様! いつまで私達はここでこうしていればいいのですか! 我々は白姫様の たっての頼みとあって、特別にこうしてここにいるのですよ!」
「そうです! 本来であれば、あのような下賤の輩などと一緒にいる事自体が問題な のですよ! これ以上はとても付き合い切れません!」
 口々にグディアルメフの面々の誹謗中傷が飛び交う中、ヴェイドが戦士の鋭い眼差 しで白兎達を睨め付けた。その迫力に、彼らの口撃が一瞬止まる。
「ごちゃごちゃとうるせぇ奴らだなぁ。旦那が言ってたろうが、男の勝負だ、って。 決まったことに関して今更グダグダ言うんじゃねぇよ」
 きっぱりと、言ってやったとしたり顔のヴェイド。すると白兎一族は一斉に顔を付 き合わせて何やら会議を開くと、すぐさまヴェイドに向き直って再び文句を言い始め た。
「〇ヾ♂∞∴◎□◆〒〓※↑▼℃¥%¢*☆@§★#!」
 あまりの大音量にヴェイドの耳が完全におかしくなった。更に、全員が一斉に叫び 始めたので、それぞれが何を言っているのか、まるで分からない。キンキンする耳の 痛みと必死に闘いながら、ヴェイドが絶叫した。
「だぁぁぁっ! おめぇら、うるせぇぇぇぇ! 一人一人順番に喋りやがれぇぇぇ !」
 ぴた。またもすぐに白兎達は静まった。そしてまた顔を付き合わせて会議を始め る。
「……ノエル。お前も大変だな……」
「うぅん、そかな? ノエルはあんまり気にならないけど」
 平然と言い放つノエルに新たな脅威を感じつつ、ヴェイドは白兎達に視線を戻す。 すると白兎達も意見がまとまったのか、代表の白兎がずいと前に歩み出た。
「白姫様の教育係として申し上げますが、我々はこのような場所で時間を無駄に喰っ ている暇はないのです。白姫様には一刻も早くお戻り頂いて、早急に今後の段取りを 決めて頂かねばならないのです」
「今後の段取り? 何だそりゃ」
 白兎の習慣がいまいち分かっていないヴェイドが鸚鵡返しに聞き返した。白兎はや れやれこれだから体力馬鹿の黒兎は、というように嘆息するとわざとゆっくりと説明 を始めた。
「白姫様は我ら白兎の長の娘であらせられ、大変に高貴な御方です。かような野蛮な 地域に足を踏み入れる事など本来はないのですが、些かの手違いがございましてこの ような事態に陥ってしまいました。本来であれば、選定の会議を行わねばならないと ころですのに……困ったものです」
 そこで、白兎がノエルをぎろりと睨む。自然、威嚇されたノエルがきゅーちゃんの 背後に隠れる。
「選定? 何だそりゃ?」
 白兎達が一斉に嘆息する。その、示し合わせたかのような絶妙なタイミングにヴェ イドの表情が歪む。
「な、何だよ」
「あなた方は一体どのような方法で長を選出するのですか? まさか、旧態依然とし た最強の地位に就く者が長になるわけではないでしょうね?」
「全くその通りだ。黒兎一族選定委員による百匹組み手で勝利した者の中で行われ る、勝ち抜き戦で最後まで残った奴が長になるぞ」
 どうだ参ったか、とヴェイドが胸を張る。ヴェイドとて黒兎一族族長として、地獄 の百匹組み手を乗り越えた戦士としての誇りがある。そんなヴェイドの自慢げな様子 を哀れむような視線で眺める白兎達。その視線に気付いてか、ヴェイドが次第に狼狽 を隠せなくなっていく。
「な、なんなんだよ! 強ぇ奴のどこが悪いんだよ! 長って言ったらそうに決まっ てるじゃねぇか!」
 ふ〜ぅ……一斉に漏れる溜息。
「やはり黒兎一族は進歩のない、野蛮な一族ですね! 今の時代は選挙ですよ、選挙 ! 最も一族の信頼を勝ち得た者が一族を率いて新たな時代を築く、これが当選では ありませんか!」
「選挙ぉ? 何だそりゃ、食えるのか……?」
 クスクス、と漏れる失笑。馬鹿にされたのを肌で感じ、ヴェイドが涙混じりに絶叫 する。
「お前らいちいち馬鹿にすんなぁ!」
 さすがにそんなヴェイドを不憫に思ったか、ノエルが脇にやってきてそっと耳打ち する。とは言え、白兎一族の耳はとても聞こえが良いので、全て聞こえているのだ が。
「あのね、ヴェイド。選挙って言うのはね……」
 ごにょごにょ、と簡単に説明するノエル。ヴェイドはいちいち、ほぉほぉはぁはぁ と頷くばかりだったが、ようやく理解が深まったところで吐いた台詞は一言だった。 「くだらねぇな」
 瞬間、ノエルと白兎達が雷に撃たれたように固まった。白兎千数百年の歴史の中で 築き上げられた伝統を一蹴されたのだ。代表の白兎が青筋を浮かべながらヴェイドに 尋ねる。その声は完全に震えていた。
「……一体、何が下らないのか、説明して頂きましょうか?」
 白兎達の怒りをものともせず、ヴェイドは平然と答える。
「名乗り出た奴の人気で長が決まるんだろうが? じゃあ、何か。強くても人気ない 奴は駄目で、モヤシ野郎でも人当たりが良ければ受かるんだろ? そんな馬鹿な話が あるかよ」
「我々は合議に合議を重ねて、時代を担うに相応しい人物を選定するのです! そち らのような怪力馬鹿というだけで族長になれるほど、いい加減ではありません!」
「何だと、この野郎! 黙って聞いてりゃ馬鹿だ馬鹿だと! 俺のどこが馬鹿なんだ !」
「そういう筋肉的短絡思考が愚かだと言っているのです! 何でもかんでも力で他者 を制圧しよう、などという発想自体が知性に対して貧困だと申し上げてるんです!」
「何だと、こらぁ!」
「何ですか、えぇ?」
 ヴェイドと白兎が肉薄して啀み合う。今や両者の意見は完全に対立し、平行線以外 に道はない。そんなに者の板挟みになったようにノエルは困惑の表情を浮かべながら 見比べていた。
「大体、数で決まるんならどうしてこいつが必要なんだよ! 一匹分ぐらい、大した 事ねぇじゃねぇか!」
「あぁっ、何と嘆かわしい……。一票の重さがいかなるものかも知らないとは……。 崩壊です、民主主義の崩壊です! 先人が脈々と伝え、築き上げた素晴らしき民主主 義の制度を真っ向から否定するなんて! 何と野蛮な、何と前時代的な!」
 白兎が額に手を当てて仰け反る仕草をする。
「それに! 白姫様には、伴侶となる相手にもなるのですからその必要性は説くまで もないでしょうに!」
「伴侶が何だ、伴侶が! ……伴侶?」
 ぎぎぎ、とヴェイドの首がノエルに向けて曲げられる。ノエルはとても困った表情 のまま、小さく頷いた。そんなノエルに突っかかるように問い詰めるヴェイド。
「えぇ、あぁ……伴侶って、あれか? その妻とか旦那とかの?」
「あ、うん。代々、族長の娘は次の族長の妻になるのが習わしなの。で、ノエル が……」
「いや、待て。それ以上は言うな。取り敢えず混乱してる」
 ヴェイドは返す刀で白兎に向き直る。
「いつからそんな訳の分からん伝統ができたんだ?」
「千年以上も前から続く、由緒あるしきたりです。まぁ、野蛮行為しか能のないあな た方には分からないかも知れませんが」
 しばし目を伏せるヴェイド。不気味な沈黙が訪れる。その内、へらへらと笑い出 す。
「は、はは、ははは! け、け、結婚とか馬鹿じゃねぇの? こ、こいつ見ろよ、ま だガキじゃねぇか、ははは」
 現実逃避するかのように虚ろに呟いたヴェイドの発言に、ノエルが即座に反応し た。
「むか。ガキとは何さ、ガキとは。それに別に今すぐってわけじゃないよ」
「そうです。あくまでも将来における話です。それに、こうした事柄は早い段階に決 めてしまわねばなりません」
 ヴェイドの目が一瞬泳ぐ。が、すぐに首を振り乱し、ノエルに顔を近付ける。
「おい! お前はそれで良いのか! 何かよく分からん内にそんな相手を決められて !」
「え、えぇとぉ……」
 こちらも視線を外すノエル。その後もヴェイドの追求や白兎達の抗議、ノエルの困 惑は続き、こちらは別の意味で賑やかな状態になっていった。
 そしてグディアルメフ達や白兎達とは更に離れた木陰には、フリエとラグスティリ アが腰を下ろしていた。血色悪く幹にもたれるラグスティリアと精神面から顔色の悪 いフリエの取り合わせは、それだけでサナトリウムを連想させた。
「……なかなか、面白い方々ですね、あなたの連れは」
「…………」
 フリエは答えない。答えたくないのだ。これ以上訳の分からない連中に振り回され るのはごめんだし、何よりもラグスティリアに恐怖を感じていた。自分と母を引き離 す原因を作り出したエカーリオ……それを遙かに凌ぐと言われるラグスティリアが 今、傍らにいるのだ。
 フリエは油断なく横目だけでラグスティリアの様子を盗み見る。血色の悪い顔、と ても良好とは言えない表情。荒い息を抑えようとしている様までが見て取れる。こう して傍らに座っていると、とてもアジェスラータ級の魔神とは思えない。
「私が恐ろしいですか?」
 見られていた事に気づいていたのだろうか、ラグスティリアが軽く微笑みながら顔 を覗き込む。
「……別に」
「そうですか」
 それきりラグスティリアは口を開かず、フリエの傍らに座り続けた。居心地の悪さ を感じたフリエはその場を離れようと立ち上がろうとしたが、ラグスティリアがじっ とこちらを凝視しているのを理解し、上げかけた腰をまた下ろした。下手に拒否の態 度を見せて、機嫌を損ねられたら堪ったものではない。
(……こいつ、一体何がしたいの?)
 自分に一体どのような用件があるというのだろうか。だが、彼女は何一つ語らず、 吹き抜ける暖かな風を心地良さそうに受け入れている。彼女の持つ、渇き、色を失っ た髪がばさばさと無造作に揺れる。
「このように穏やかな日和だというのに、あなたは常に浮かない顔をしていますね」
 ひび割れた手で髪を押さえ付けるラグスティリア。不完全な人化の法によってその 身体は半ば朽ちている。その痛々しさと裏腹の彼女の余裕の仕草がフリエを苛立たせ る。
「……別に、関係ない」
「そうとは思えませんよ。我々を恐れているようですね」
「それは……そうでしょ。あんたみたいな人外の化け物なんて……」
 誰も聞いていない。この魔神だけだ。それが奥底のフリエを晒け出させていた。幼 子のふりはとうに止め、嫌悪を瞳に浮かべる。ラグスティリアはそんな彼女の眼差し を軽い笑みで返し、そっと手を伸ばした。フリエがびくりと身体を震わせて一歩、身 を引く。
「……何もしませんよ」
 子供をあやすようにラグスティリア。あまりの穏やかな声音に、フリエが視線を反 らして抵抗するのを止めた。潤いのない、渇いた手の感触が頬に伝わる。
「随分と苦労をしているようですね。まぁ、彼らと一緒と言うのなら理解はできます が」
 漏れる笑い声はひび割れた鈴だ。フリエは耳にこびり付く微笑に知らず顔を歪め た。
「もっとも、あなたの本当の苦労はそこではないでしょうに」
「何で……そんなこと」
 使う術の特性上、他人の機微には敏感なフリエが驚愕の表情でラグスティリアを見 やった。彼女は手を離すとゆっくりと立ち上がり、その場から立ち去ろうとした。
「待って!」
「人の扱う行為の術の大半は、この私が創り上げたものです。妖精達も、精霊達もこ の私の術を基盤に他の術を生み出したに過ぎません。あなたの、人の心に一定の指向 性を持たせる術も、遠く歴史を紐解けば私の術です。もっとも、私はそれだけではあ りませんが」
「人の心を……読んだの?」
 フリエの瞳に憎悪の炎が灯る。ラグスティリアは頭を振った。
「あなたの、というよりは大地を通してこの世界の記憶を得た際に偶然に、というと ころでしょうか。この世界を長く離れているので、事情を把握するには星の記憶を探 るのが一番手っ取り早いですからね。それに……人造家畜兵とは言え、エカーリオが この世界に召喚されるなど滅多にないことですし」
 ではご機嫌よう、とラグスティリアは姿を消した。彼女の気配が完全に消えたこと を確認すると、フリエはぎりっと歯を強く噛み締めた。

 結局、グディ屋台は二日半ほどの時間を掛けて完成した。完成に伴って行われた落 成式は盛大で、グディアルメフやアジェスラータは勿論のこと、その場に居合わせた ラグスティリアや白兎一族も囲んでの賑やかな宴席となった。ここでもまた、宴会部 長としての任を己に強く感じている第11使徒イェルストンが大道芸を披露しようと したが、数日前の失敗もあって全員から止められた。出された料理はクエヤレルヤと アジェスラータが共同で用意したものであり、その材料のほとんどはアジェスラータ が刈り取ったゾルキーであった。人間として究極の料理人と魔神として至高の料理人 によった調理されたゾルキーは、元来スジが多い上に脂身が少なく硬い、というハン デを乗り越えて実に素晴らしいものに仕上がっていた。これを受けて両者はそれぞれ の実力を感じ取ったのか、食事中は言葉少なであった。
 そしてその日はそのまま夜を迎えることとなり、決戦はいよいよ次の日の朝という ことで決定した。時間が勿体ないと抗議する白兎一族達だったが、そこは知将と名高 いアジェスラータに実に論理的に説得され、やむなく引き下がったのだった。

 そして、いよいよ朝日が昇った。
 過酷な戦いを強いられる彼らを激励するかのように、朝日は力強く、そして神々し く輝いていた。優しげな風は木々を抜け、大地の匂いを運んでくれる。エンシャンル オートの大滝はその一滴までが軽やかに舞い、宝石のように煌めいている。
「さぁさぁ、いよいよ始まりました! 世紀の料理対決、我らがグディアルメフ教団 VS異界の魔神料理人アジェスラータ! 真に究極の、至高の料理を完成させるは果 たしていずれか? 司会は不肖、私ことグディアルメフ教団第8使徒、元王都広報部 部長、ゲリング・ローンが務めさせて頂きます!」
 グディ屋台前方に急遽設置された司会席には、黒いローブにネクタイを締めたゲリ ングが唾を飛ばさんばかりの勢いで木製のマイクを握っていた。その傍らには、白亜 の少女ラグスティリアと白兎代表の兎が一匹。ゲリングが空いた手を彼らに向けて紹 介を始める。
「さぁ、まずは審判及び解説者の紹介です! 審判はアジェスラータ選手側からグ ディ=ラグスティリアさんをお呼びしております! えぇ、ラグスティリアさん、お はようございます」
「おはようございます」
 ラグスティリアが相変わらず血色の悪い顔を俯かせる。
「えぇ、ラグスティリアさんは、選手であるグディ=アジェスラータさんとは同僚と 言うことですが、説明をお願いできますでしょうか?」
 向けられたマイクに顔を向け、ラグスティリアは軽く頷いた。
「あなた方の指導者であるウィルド氏はご存知でしょうが、私とアジェスラータは我 が神の傍らに座する事を許された三柱の魔神の一角です。私達は三貴士と呼ばれ、そ れぞれが武、知、魔の力を司っているのです」
 新たに出現した単語に、司会者魂に火の付いたゲリングがすかさず質問する。
「三貴士についてのご質問、宜しいでしょうか?」
「三貴士……まずは今回の相手である、知将アジェスラータ。もう一柱は力の体現 者、武神ヴァリスタージュ。そして最後はこの私ラグスティリアです、私は彼の時代 では魔帝……魔王などと呼ばれていましたが」
 そこまで聞くとゲリングは司会席の下から巨大な書物を取り出した。『古代歴史大 全』と書かれたその頁を繰り、これですかと言葉を続けた。
「彼の時代……というのは今から凡そ2300年前の精霊戦争ですね。世界各地の精 霊達のバランスの崩壊によって生じた戦争となっていますが、その時に確かに禁忌と される術が用いられたという記述が残っていますね」
 よく勉強しているものだと感心しながら、ラグスティリアは肯定の意を示した。
「はい、私はその戦争の際にとある精霊に呼ばれました。とは言え、術も不完全で あったし、命じられた要求も愚かなものでした。結局、術者の求めに応じたまでは良 かったのですが、精霊達はその力によってその多くが滅びる結果となってしまいまし た。それを恐れて、私の術は禁忌とされたのです」
「なるほど。では、ラグスティリアさんからすれば魔王などという異名は甚だ心外で あると?」
「異論はありますが、事実を曲げることはできません。致し方ないことでしょう」
 軽く眉根を寄せてラグスティリアは締めくくった。一応の紹介も終わり、ゲリング が今度は白兎達に向き直った。
「はい、それではもうお一人の審判を紹介させて頂きましょう。白兎一族の方々で す。白兎一族の方々は民主主義の原則に則り、合議制によって判定を行うそうです。 えぇと、あなたは代表の……」
「私達に固有の名前は存在しませんから、一族の名で結構です」
 きっぱりと言い切る白兎。その様子は不機嫌そのものだった。
「こちらの説明はもう不要でしょう。かつてはノエリット・ヴァーンの友人であり、 我らがグディアルメフ教団第19使徒ノエル嬢の一族の方々です! 白兎さん、一部 ではノエル姫とヴェイド君が深い仲だということが報じられていますが?」
「全くの事実無根であり、明らかな名誉毀損です。そのような流言飛語を発した者に は、公式の場での謝罪と賠償を要求します」
 ますます不機嫌になった白兎を見て、ゲリングはそれ以上の追求を諦めた。
「……では、審判方の紹介はこれまでにして、そろそろ選手の紹介に移らせて頂きま しょう! 今回の理要理勝負はオードブル、メインディッシュ、デザートの三本勝負 で行われます。審判の方々はおいしい、と思った方に投票して頂き、得票数の多かっ た側がその勝負を一本取ったことになります。二本先取で完全勝利ということになり ます。それでは選手の登場です。まずは我らがグディアルメフ教団の皆々様、どうぞ !」
 どぉんどぉんどぉんどぉんどんどんどんどんどんどん!
 銅鑼が鳴り響き、雄壮にアレンジされた暗黒の調べが流される。そしてグディ屋台 に設けられた二箇所の入り口の内、右側からウィルドを先頭としたグディアルメフの 面々が足並みを揃えて登場する。
「出ましたぁ! 全ては明日の世界浄化の為に、今日の戦を踏み越える、我らが偉大 なる指導者、教主ウィルドぉぉぉぉ!」
 ゲリングが興奮を抑えずに絶叫する。そのあまりの迫力に隣にいた白兎が引き攣っ た表情を浮かべるが、彼は気付いていない。
「なお、私ことゲリング・ローンは司会という重大な責務を全うさせていただく為 に、今回の料理勝負には参加しません。あらかじめご了承下さい」
「第8使徒ゲリングよ! 貴様の抜けた穴は実に痛いが心配はいらぬ! 後はこの ウィルドと残りの暗黒の使徒共に任せて、貴様は貴様の仕事に専念するが良かろう !」
 惜しそうにウィルド達を凝視していたゲリングを宥めるようにウィルドは叫ぶ。そ の表情には一片の不安も感じられない。ゲリングは稲妻に撃たれたように硬直し、直 後に泣き始めた。
「き、教主……申し訳ありません! このゲリング……立派に司会を務めさせて頂き ます!……えぇ、失礼を致しました。気を取り直してここでルール説明の続きを致し ます。グディアルメフ教団は人数が多いということですので、全員を三つに分割し、 それぞれが別チームで戦うそうです。その編成は未だに明かされておりません。何や ら、秘策あり、ということでしょうか!」
「ふん! 相手は強大な魔神アジェスラータ! 生半可な作戦では到底太刀打ちでき ん!今回の班分けはこのウィルド、久し振りに持てる全知性を傾けた! 屋台建造時 から机上にて練り上げた完璧な配分、それは勝負が始まってからのお楽しみというこ とだ! もっとも、最後までそれを見ることは叶わんかも知れんがな! ふはははは !」
 腕を組み、目を伏せたウィルドの口元は確かに笑っていた。アジェスラータという 敵を前に、余裕さえあると思えるような不敵な笑みだ。
「おおっとぉ! これは事実上の勝利宣言かぁ! 教主が、教主が笑っているぅ!  異界の料理人など敵ではない、我はウィルドだとばかりに笑っているぅ! 恐るべし グディアルメフ、恐るべし教主ウィルド!」
「ほほほ。大した自信ですね」
 ゲリングの熱のこもった実況を遮ったのは、対戦相手ことアジェスラータだった。 登場した屋台からゆっくりと登場したアジェスラータの姿に、ゲリングは勿論のこ と、ウィルドまでもが驚愕に目を見開いた。
「な……なんと……」
 現れたアジェスラータは完全な戦闘態勢だった。頭には天を突く巨大なコック帽、 胸にはハートのアップリケ入りの純白のフリルエプロン、両手に巨大な包丁を握った その姿は、凄まじい威圧感を放っていた。
「この私を目の前にして、それだけの大口を叩けることは褒めてあげましょう。です が、それも束の間のこと。夢想に消える泡と同義と知りなさい」
 包丁を突き付け、アジェスラータが見得を切る。ウィルドが一歩後退るが、ここで 気圧されては呑み込まれてしまうと、気力を奮い立たせて胸を張った。
「笑止! 笑止笑止笑止笑止笑止! 例え貴様が最強の魔神の一柱だとしても、この ウィルドと使徒共の鋼の精神と絆は断ち切れん! 来るが良い、人間の団結力がいか に強大なものか、思い知らせてくれようぞ!」
 両者の間に火花が散る。それを合図としたように、ゲリングが絶妙のタイミングで 割って入った。
「両者共に気力は十分だぁ! それではそろそろ勝負を始めることにしましょう!こ のゲリング、この勝負の為に朝食を取っていないので空腹です!」
『承知!』
 ゲリングの言葉にウィルドとアジェスラータが同時に叫ぶ。と、その時だった。
「しばらく! しばらくしばらくしばらくしばらくしばらくしばらくしばらくしばら く!」
 刹那、ウィルド達の上空に影が飛来した。それはウィルド達を飛び越え、司会席の 眼前に降り立った。その突然の乱入者に、ゲリングが驚きを隠せずに実況する。
「どうしたことだ、これはぁ! 何と勝負を前にして突然の乱入だぁ!」
 視線が一気に乱入者に向けられる。黒いマントにタキシード、そしてシルクハッ ト。顔は白い仮面で隠していて分からない。白手袋に覆われた右手には薔薇が握られ ている。そんな異形の怪人は司会者ゲリングに顔を向け、指差した。
「この勝負、今しばらくお待ち願いたい! 見ればこの勝負……公平性に欠けており ます!どうか今暫くの猶予を与えて頂きたい!」
 どん! いきなり突き付けられたクレームにゲリングは一瞬己が司会者であること を忘れて呆然とする。
「そ、それは一体どういうことなんですか……えぇと」
「私は放浪の料理審判員、人呼んで味仮面と申す者。 此度の事情、この味仮面には 些か不満! 審判員が二人では勝負が付かず、まして互いに息の掛かった審判など言 語道断!かくなる上はこの味仮面、この戦の間に立ちたいと願い、こうして馳せ参じ た次第でございます!」
「つまり……あなたも審判に加わりたいと?」
 ゲリングの言葉に味仮面は頷く。
「しかしあなたは一体何者ですか? 味仮面とは聞かぬ名ですが……ん?」
 ゲリングの視線が味仮面の背後にいた、クエヤレルヤに注がれる。彼はわなわなと 肩を震わせ、青ざめている。
「クエヤレルヤさん、どうかしましたか?」
「味仮面……聞いたことあるヨ。世界各地の料理を食べ歩き、その卓越した舌で完璧 な判定をする、料理界の伝説の名前ネ!」
 呼ばれた男、味仮面が礼を取る。そして顔を上げた瞬間、凄まじいまでの裂帛の気 合いが迸った。その瞬間、周囲に緊張の糸が張り巡らされた。
「な……なんという気迫。これほどの威圧感を生み出せるとは……只者ではないな !」
 気圧されたウィルドが叫ぶ。味仮面はウィルドに向き直り、軽く肩を竦めた。
「遙か世界の果てに料理勝負があると聞けば赴き、公平なジャッジを下す。それがこ の味仮面の使命です! 今回はこの過去の森で異界の魔神を相手取って料理勝負が行 われると風の噂に聞き及び、こうして現れたのです」
「……一体どこからそんな情報を……」
 屋台の隅から遠巻きに眺めていたフリエがぼそりと呟く。すると味仮面がそれに気 付き、フリエの元に大股で歩み寄ってくる。フリエがある意味での恐怖を感じている と、味仮面の左眼が青く不気味に輝く。
「例え天の神々が見逃そうと、この味仮面の青き瞳は誤魔化せません!」
「そ、そうですか、分かりました」
 もうお近づきにはなるまい、そう心に誓ったフリエは早々に話を打ち切った。それ を好意の理解と受け取ったのか、味仮面はフリエから目を離し、アジェスラータと ウィルドの間に立った。
「如何ですか? この私とて、千回以上の料理ジャッジを行ってきた男。判定には些 かの不覚もないと自負しております。ここは私を三人目のジャッジに加えては?」
「我々の料理勝負の為に、わざわざこんな辺境までやって来たのですか? …… まぁ、私は構いませんが」
 アジェスラータは味仮面の情熱に気圧され、あっさりと了承した。
「不肖、この味仮面! ここより大海を三度渡った大陸の果ての街より馳せ参じた次 第です。ここに辿り着くまでに二日を要しましたが、何とか間に合うことができたの です。そう言って頂けると何より嬉しく思います」
味仮面がもう一人の対戦者、ウィルドに視線を送ると彼は無言で頷いた。
 こうして、料理勝負には新たな審判、味仮面も加わったのだった。
 どぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!
 そして、試合開始を告げる銅鑼の音がエンシャンルオートの断崖絶壁に鳴り響い た。
「さぁ、長い前置きはようやく終わりを告げ、両者が第一試合を行おうとしていま す。えぇ、この第一試合、グディアルメフチームは祭祀長グルグス、第6、7使徒ス トゥンラッド四男、末弟に加えまして第11使徒イェルストン、第12使徒ガトバ ギ、第14使徒マックンゼル、第15使徒ウェンスター、そして監督役に第16使徒 クエヤレルヤとなっております。教団に籍を置いております私の経験から申し上げさ せて頂きますと、非常に力のバランスの取れた編成だと思われます。さて、対するア ジェスラータ選手はたった一人での参加になるわけですが……ラグスティリアさん、 大丈夫なのでしょうかね?」
 ゲリングの言葉にも、ラグスティリアはまるで動じない。
「彼の世界で鍛えられたアジェスラータの料理術は、並の料理人が千人寄り合わせた とて勝負にはなりません。それはご覧になれば分かると思いますよ」
 言ってラグスティリアがアジェスラータを顎で指す。そこでは、アジェスラータの 妙技か披露されようとしていた。
「いきます!」
 叫ぶや否や、アジェスラータが両手の包丁を振り翳した。まな板には朝露に輝く野 菜が乗っている。そして、それを一気に振り下ろした。だが、アジェスラータの動き はそれだけだった。ゲリングが怪訝な表情で首を傾げた。
「はて? 別段、大した動きではなかったような……」
「……まさか、異界の者とは言え、あの技を実際に扱える者がいたとは……いやは や、世界は広いですなぁ」
 一人分かった風にしみじみと呟く味仮面に、ゲリングが恐る恐る尋ねる。
「味仮面さん……あの包丁の振り下ろしにはどんな意味が……?」
「ふむ。詳細を知りたければ、切られた野菜を凝視してみるが宜しいでしょう」 「野菜?」
 言われてゲリングがまな板の上の野菜を見やる。刹那、ゲリングの目がかつてない ほどに見開かれた。
「こ……これは!」
 なんと只一度の振り下ろしに見られたあの行為で、野菜が実に見事な千切りに変 わっていたのだ。遠目から判断するのは非常に難しいが、どうやらきちんと切り揃え られているらしい。
「な、なんとこれは見事だぁ! 素人目には只の一度の振り下ろしが、なんと超高速 で行われた千切りだったとはぁ! 実に見事、実に素晴らしきは魔神、アジェスラー タ!」
 ゲリングの言葉に味仮面が静かに頷いた。
「古代ラシアンティア伝説の宮廷料理人ガレルラヤナが得意とした奥義、疾風怒濤と 見受けました。しかも……どうやらあの魔神流のアレンジを加えているようですね」 「アレンジ、と言いますと?」
 味仮面は確信できていないのか、なかなか口を開こうとしない。自分の考えが正し いのかどうかと、逡巡しているようだ。そんな味仮面に助け船を出すように、ラグス ティリアが割って入った。
「手首の捻りですね。疾風怒濤の高速運動を可能にしているのは手首にあるのです が、ガレルラヤナの振り子運動とは違い、アジェスラータの手首は円運動のそれに近 いのです。それによって毎秒千回と言われる疾風怒濤の限界性能が、軽く二倍にまで 引き上げられているのです。あれを使われては野菜も溜まったものではないでしょ う」
 理屈は全くよく分からないが、とにかく凄まじい技である事だけは認識できた。そ うこうしている内にアジェスラータは次の作業に入ったようだ。
 アジェスラータの両腕に赤い文字が浮かび上がる。アジェスラータ得意の魔術が炸 裂する瞬間だ。アジェスラータの右腕が天高く突き上げられる。
「かぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 掌から赤い稲妻が奔り、エンシャンルオートの岩壁の一部を剥ぎ取った。そして落 ちる瓦礫を左腕から発した魔術で受け止め、誘導する。その岩はアジェスラータの前 までやってきて、止まる。
「おっとぉ? アジェスラータ選手が岩を持ってきましたがぁ? ラグスティリアさ ん、解説をよろしいでしょうか?」
「……予想外の事態が起こったようですね」
 ラグスティリアの額に汗が浮かぶ。その只ならぬ様相に、ゲリングまたもが恐る恐 る尋ねた。自然、マイクを握る手にも力がこもる。
「予想外の……事態とは?」
「……やはり強度的な問題でしょうなぁ」
 味仮面がぼそりと答える。
「強度?」
「疾風怒濤とは、見た通りたった一度のアクションで千回刻む高速の秘技。あの魔神 は優にその二倍を刻んでいます。ですが、料理人の技量がそれを許しても……」
「まな板がそれを許しはしないでしょう」
 二人の語りにゲリングの視線は、自然アジェスラータのまな板に注がれる。
「あぁっと、これはぁ? まな板が……まな板が木っ端微塵に砕けているぅ! これ では料理が続行できない! なんとぉぉぉぉ! 恐るべき妙技、疾風怒濤! なんと 野菜はおろか、まな板までをも千切りにしてしまっていたぁ!」
「……やはり、この世界のまな板では強度が足りませんでしたか……無念です、ア ジェスラータ」
 ラグスティリアが目を伏せて頭を振る。それに呼応するように、アジェスラータが 包丁で岩を軽く叩く。
 バガンッ! アジェスラータの一撃に脆い岩は耐えることができず、木っ端微塵に 砕け散った。アジェスラータから狼狽の様が見て取れる。
「……まさか、まな板がこの私の技に耐え切れぬとは……まな板も自前の物を用意す べきでした……何たる失態。替えを用意するにしてもあまりにも時間不足! む…… 無念です。この勝負、最早これまで」
 アジェスラータが両膝を付いて涙をこぼす。その悲痛な思いは対戦相手にも十分に 伝わっていた。
「ウ、ウゥ……」
 アジェスラータの寂しそうな背中を見たストゥンラッド五兄弟の末弟が動きを止め る。屈強な外見とは違い、心は繊細な彼はアジェスラータの突然の悲劇に動けないで いるのだ。
「あぁ! ここでストゥンラッド末弟も動きを止めたぁ! 同じく岩肌を削り、天然 の釜戸を造っている最中の出来事だぁ!」
「あまりにもアンフェアなこの条件に、彼の硝子の心臓が耐えきれないことでしょう か?しかし、このままでは勝負が付きませんな」
 味仮面が軽く唸ったその時、クエヤレルヤがストゥンラッド末弟の頬を叩く。 「しっかりするヨ!」
「ウ、ウガ……」
 叩かれた末弟が地面にどぉと倒れる。そして、潤む眼差しをクエヤレルヤに向け る。クエヤレルヤの目は怒りに染まっていた。
「立つヨ! お前そうして相手に情けを掛ければ救われると思ってるカ? 違うネ!  今、我々のすべき事は全力で料理を完成させることヨ! 例え相手が戦えずとも、 我々まで立ち止まっちゃ駄目アルよ!」
「ウ、ウゥ……」
 クエヤレルヤの厳しい叱責に末弟は泣きながら首を振る。クエヤレルヤはくるりと 背中を向け、震える肩を隠すようにして叫ぶ。
「ここは戦場ネ! 相手に同情したって誰も喜ばないネ!」
 クエヤレルヤも辛いのだ。遂に現れた好敵手が、たかがまな板の損壊という事故に よってこの勝負を降りなければならなかったことを。一番辛いはずの彼は、アジェス ラータの気持ちを汲み取り、敢えて心を鬼にして勝負に臨んでいたのだ。
「ウ、ゥゥゥゥ!」
 分かっているが、と末弟は号泣する。地団駄を踏む子供のように、泣きじゃくりな がら地面を叩く。クエヤレルヤは「戦えない者は必要ないネ!」と一蹴してその場を 去ったが、そんな末弟の肩を叩いたのはアジェスラータだった。
「ウゥ……」
「ありがとうございます……私の為に泣いて下さるとは。人の世界でこのような暖か さに何度も触れたのは久し振りです。ですが、今は戦場で相見える時。あの方の言う 通りです、私の分まで、料理を完成させて下さい」
「ウゥ……ウガァァァッ!」
 アジェスラータの言葉に火の付いた末弟が、どかどかと土煙を上げながら調理場へ と戻っていく。そんな彼を見ながら、アジェスラータは軽く微笑んだ……ような気が した。
 司会席ではゲリングが誰の目も憚らず号泣している。因みに、ラグスティリアは沈 痛そうに目を閉じ、味仮面は仮面によって表情は見えず、白兎達はよく分からないと いった風に呆然としていた。
「な……何と感動的な……光景でしょう……。戦場に……生まれた……新たな友情で す。ラグスティリアさん……どう見ますか?」
「……どうと申しますか……あの筋肉氏の精神年齢は一体何歳なのでしょうね?」
(アジェスラータ……相当にストレスが溜まっていたようですね……)
 引き攣るラグスティリアの頬。
「味仮面さんは?」
 ふぅむと腕を組む味仮面だが、その様子はいたって変わりない。
「互い憎み合いながらもそのどこかでは心が繋がっている……以前に私の知人が体験 したケースですが、いつ見ても美しいものですなぁ。しかし勝負は勝負。あの場で厳 しい決断を迫られたグディアルメフ側の料理長の英断には拍手を送っておきましょ う」
 味仮面が頷きながら軽く手を叩く。
 そうしている内に、グディアルメフ側の料理は遂に完成した。クエヤレルヤ指揮の 下、山の幸をふんだんに用いた究極のオードブルだ。
「さぁ、食べてみるアルよ!」
 と出された大皿には、鳳凰が舞っていた。いや、鳳凰を象った巨大な料理だ。素材 は人参、ゴボウ、白菜等々。鳳凰の目の部分には木苺が使用されている。クエヤレル ヤの料理技術とイェルストンの大道芸、そしてマックンゼルのデザインが組み合わ さって初めて可能とされる作品だ。
「遂にできましたぁ、グディアルメフ料理! しかも、これはすごぉい! 何と鳳凰 だ、鳳凰が天高く舞っているぅ! 素晴らしいぞグディアルメフ、素晴らしいぞクエ ヤレルヤァ!」
 ゲリングも興奮気味だ。
「ふむ。この料理の名前は?」
 味仮面の右目が深紅に輝く。クエヤレルヤは胸を張り、
「究極オードブル、飛翔鳳凰ヨ!」
「しかし……そもそもこれはオードブルなのでしょうか?」
 ラグスティリアの当然の疑問は無視され、遂に判定タイムとなった。とは言って も、アジェスラータの料理は完成していないので、例えどのような料理が出ようとも 勝利は確定しているのだが。
 とは言え、ラグスティリアが一口。刹那、ラグスティリアの眉根が寄った。
「どうですか、ラグスティリアさん!」
「山の幸をふんだんに使いながら、その特性を殺し合うのではなく、全てプラスのベ クトルに向けるこの妙技。使われた調味料はさっぱりとしていながらもそれぞれが目 立ちすぎず、しかし卑屈になっていない。なるほど、世界最高の料理人を名乗るのも 頷けますね」 と、普段の彼女では絶対に有り得ないレベルの饒舌さで言い切ったラ グスティリアはそっと口元を拭った。
 今度は白兎の番だ。彼らは手が使えないので相当に苦労していたが、やがて全員で 料理に食らい付くと凄まじい速さで平らげた。その後、やはり全員が顔を付き合わせ て合議を行う。そして代表の白兎が前に出て一言。
「大変良い人参でした」
 と感想を述べた。
「さて、最後は味仮面さんですが、仮面を付けたままでどうやって料理を食べるのか も見所ですが……」
 言いながら味仮面を見やったゲリングは、既に味仮面が料理を平らげているのを見 て怪訝そうに周囲を見回した。だが、誰も味仮面が料理を食べている瞬間を目撃して いない。ゲリングは残念そうに味仮面にコメントを求める。
「……味仮面さん、どうでしょうか! お味の方のコメントをお願い致します!」
「ふむ。では、一言で済ませることにしましょう。この料理は――」
 その後、味仮面の料理批評は一時間に渡って続いた。が、概ね好評だったようだ。
「はい! 審判の方々の祭典も終わり、結果発表の時間となりました! 結果……我 らがグディアルメフチームです! まずは第一戦、といったところでしょうか」
「まぁ、そもそもアジェスラータの料理がありませんから、結果も何もないのです が」
「右に同じですな。まさかこのまま終わるなどという事にはならんでしょうが」
 味仮面の懸念を打ち払ったのは、アジェスラータだった。
「ご安心を。次は秘策を用意しました。勝負は続行致します」
 自信満々といった態度に、早くも会場内は熱気に包まれていた。
「分かりました。では早速第二試合を開始致しましょう! 第二試合、メインディッ シュ対決です! 参加選手は我らが教主ウィルドを筆頭に、ストゥンラッド長兄、次 男、三男、そして第9使徒ロースティン、第10使徒チェンリキ、第17使徒ローラ ンドェルズとなっております。遂に我らが教主、ウィルドが主力部隊を伴っての出陣 です! メインディッシュは男の料理だ! 俺達に任せろ、とグディアルメフの男達 が吼えている! そして使う食材は何と、あのゾルキーです!」
 ウィルドとストゥンラッド強大がゾルキーを運んで登場する。セコンドのクエヤレ ルヤが拳を振り上げて檄を飛ばす。やる気は十分だ。
「さて、今度はアジェスラータ選手ですが、何やら秘策ありということです。どんな 秘策なのか楽しみですね、ラグスティリアさん」
 話を振られたラグスティリアが軽く頷く。
「アジェスラータも後がありませんからね。きっと本気で来るでしょう」
 と話していると、アジェスラータが姿を現した。が、その姿は更に異形、全身に文 字を浮かび上がらせている その文字を読み取ったラグスティリアの表情が一変す る。
「まさか、アジェスラータ!」
「行きますよ! カァァァァァァァッ!」
 その瞬間、アジェスラータの全身が金色の光に包まれた。そして、光は四つに分割 する。そして光はそれぞれが天まで舞い上がり、やがて地上に戻った。
「こ、これはぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 何と光の中からアジェスラータが出現する。その数四体。サイズは幾分小さくな り、人間大となっており、各部もデザインが若干違うが間違いなくアジェスラータ だ。
「分身の法……肉体に極度の負担を掛ける為、我々の間でも緊急事態にのみ使用する 幻の奥義です。アジェスラータ……この勝負にそれほどの情熱と覚悟を持っていたな んて……」
 ラグスティリアが見ていられないとばかりに目を背けた。
「はぁ……はぁ……ほほほほほ。私一体では制限される料理技術……分身の法を使っ た今ならば、全てを扱えます」
「なんとぉぉぉぉぉぉっ! アジェスラータ選手、自らの身体を四つに分けることで 全ての奥義を解放しようと言うのかぁぁっ! 凄まじい料理への執念だぁぁ!」
 ゲリングの声援を受けてアジェスラータ達が一斉に動いた。まず一体の全身に文字 が浮かび上がり、術を発動させる。その瞬間、全員の手に巨大な包丁が現れる。
「錬成の術!」
 ラグスティリアが身を乗り出した。
「ラグスティリアさん、どうしました?」
「あれは無から有を生み出す錬成の術です。あれを扱えるのはアジェスラータと私く らいのものです。それほどに強力で負担を書ける術を使うとは……」
 ラグスティリアの心配をよそに、アジェスラータはゾルキーを持ち上げて飛び立っ た。残りのアジェスラータ達がそれを追撃する形で空に舞う。
「まな板が使えない以上、地上では切れない……はっ、まさか空中で調理を終わらせ ようというのでは……その為の分身の法!」
 ラグスティリアの不安ははたして的中した。アジェスラータがまずゾルキーを放り 上げる。それと同時に二体のアジェスラータがゾルキーを取り巻くように旋回し、 次々に解体していく。残った一体が術の準備に取りかかる。そして、切れていくゾル キーに向けて七色の光線を叩き込んだ。
「ラグスティリアさん、あれは?」
「本来は七種の特性を持つ破壊光線ですが、料理用のアレンジが加えられています ね。言わば七種類調味料光線! 砂糖、塩、酢、醤油、味噌……その他諸々の組み合 わせで使えるようですね。あの光線には多種多様の高密度の調味料が含まれていま す」
「それは術の解析から分かったことですか?」
「アジェスラータの身体に浮かぶ文字列を見て気付きました。アジェスラータ独特の アレンジですが、なかなか面白い術です。私も今度使わせて頂くことにしましょう」
 嬉しそうに呟くラグスティリアを吊り目に、味付けが終わり落下するゾルキーを最 初のアジェスラータ三体が空中で待ち構える。そして、全員が同時に術を発動する。 掌から青白い炎が発せられ、落下するゾルキーを捉えた。
 一瞬で程よく焼き上がったゾルキーを虹光線を放ったアジェスラータが先回りして 大空でキャッチする。恐るべし早業で完成されたゾルキー焼き。四体のアジェスラー タががっくりと膝を付きながら融合する。
「か……完成です。ゾルキーステーキ……これが私の本気の料理です」
 どこからともなく拍手が湧いた。魔神にしかできない調理法を見せ付けたアジェス ラータに、敵も味方も忘れて喝采が飛んだ。
 さて、ウィルド達であるが、腕力だけに任せた料理が成功するはずもなく、結果は 惨憺たる有様だった。最終的にはチェンリキの怪しげな薬品によって変色したゾル キーをローランドェルズが組み立てて完成した「ゾルキー神殿」はとても食すレベル ではないの一言で選考から外されることとなった。
 当然、この勝負はアジェスラータの大勝利であり、審判達も満場一致の結果であっ た。

 そしていよいよ、勝負は最終戦に持ち込まれた。





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