Sponsored Link



2003年度第一期リレー小説「蘇る大森林 〜ノエリットの奇蹟〜」第41回 めしや
(漫画的シーンを入れてしまった……反省。登場人物、できるだけ抜かさないようにしたつもりですがはてさて)


 弾き飛ばされた。
 そう自覚するする間もなく、ティアは再びあの時流の中に戻っていた。
(――せっかく何かをつかんだと思ったのに!)
 しかし悔しがっている余裕はなかった。
 先ほどまで、一定の方向に流れていた時流が、今はもう滅茶苦茶に乱れていた。どちらが過去なのか未来なのかもわからない。嵐の中濁流に飲み込まれたかのようだ。身体を引きちぎる感覚がティアを襲う。
 痛む意識を抱えるティアの横を、様々な光景が通り過ぎていく。


 森のほとりの小屋で手紙を書いている男と、彼にお茶を運ぼうとしている青年。
 夜、ほのかなランプの明かりを頼りに、朽葉色の書を熱心にめくる女性。
 あたたかな光が降り注ぐ公園で快活に笑う青年と、彼の胸に勢いよく裏拳を叩き込む少女。
 森の中、無数の光が舞うのを見て顔を紅潮させながら騒ぐ若い娘と、それに気付いた様子のない青年。
 どこかの街を、胸にこれ以上ないほどきつく包みを抱きしめて、悲壮な表情で足早に歩く女の子。
 まるで追っ手を気にするかのように周囲を何度も見回しながら、何かから解放されたかのような軽い足取りで木々の間を駆ける白い小さな兎。
 武術訓練をしている、としか表現しようのない黒い兎たち。
 己の手の中の魔道書と、床に書いた呪印とを見比べて、何度も確認をする白い法衣の青年。
 どこかの洞窟の中か、王座のような椅子に深く座って目を伏せる老人。


 明るい森の中。二人の少年が、手に持った紙と目の前の青年とを見比べている。紙には、文字がびっしりと並んでいた。
「お兄ちゃん、このなぞなぞわかんない」
「難しすぎるよ」
「カーレルもクリスも、発想が硬いですね」
 少し離れたところにいたもう一人の青年が、呆れたように嘆息した。
「それはなぞなぞというよりすでにもう暗号だ」
「ごめん、ヒュ=レイカ。それに関しては僕もこの人間に同意せざる得ない」
 さらにその隣では、光の玉が上下に揺れていた。


 森の中の神殿。一歳ぐらいの赤ん坊を抱きかかえた女性と、黒ローブの男。彼の後ろには、やはり同じ格好をした集団がずらりと並んでいる。
「ウリス、今戻ったぞ――む、何だその子供は!?」
「あなたの子よ」
 男の驚愕混じりの疑問に、女性はにこやかな表情できっぱりと答えた。
「男の子よ。ファラリスというの」
 その言葉に、男は目を見開き叫んだ。
「何とっ、でかした! 我らが修行のためにこの神殿を長く離れている間に、子供ができ生まれたというのか!」
 ここで男はむせび泣きだした。
「……すまぬ、ウリス。私は夫でありながら、お前をこのような大変な時に独りにさせてしまった!」
「おおおおおおおおお!」
 感極まったのか、後ろの集団も声を上げて泣き出し始める。
「我がグディアルメフの同志たちよ! わが妻たる第一使徒と、たった今加わった第十八使徒の健闘をたたえ、闇の賛歌を贈ろうではないか!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 熱くなっていく空気の中、ぐずり出す赤ん坊をあやしながら、女性は多少口元を引きつらせたもののその笑みを崩さなかった。


 日の暮れ始めた森の中に、奇妙な光景があった。
 目を伏せ寝息を立てている幼い銀髪の少年が、ふわふわと宙に浮いて木々の間を移動している。その傍らには、光の球がやはり浮かんでいた。
「楽しんでくれたのは嬉しいんだけどね……」
 風の音も、小枝や落ち葉を踏みしめる音もないこの場所で、ただ声だけが空気を震わせていた。
「……遊び疲れて眠られるのは、ちょっと困るんだよなあ。こうやって力を制御・安定させて何かを運ぶのって、結構難しいんだよね。妖精たちに見つからないように村に戻すのも大変だし」
 光は少年の周囲を飛びまわりながら、まるでしゃべっているかのようなタイミングで瞬く。
「やっぱり制御が面倒だなあ……ラーカイトを呼んで手伝わせようか? いや、さすがに機の一族が他の一族の生き残りの村に侵入したことがばれたら、とんでもないことになるよね。それなら僕だけで潜入した方が見つかりにくい」
 まるでうなずいているかのように、光は上下に揺れる。
 その動きが、ふと止まった。
「……君も……いつかやがてクリスの――君の祖父のように、ハーラインの名を襲名して僕を敵視するようになるのかな……」
 いつの間にか少年の移動も中断されていた。その彼の鼻先で、光はじっと動かない。
 静かに静かに、声が響く。
「でも、覚えておいてね――君には僕よりも大切なものがあって、僕にも君より大切なものはある。君はいつか僕とは違う道を選び、僕はいつか君を裏切るだろう。それでも、君は僕の友達なんだ」


 森の中。狂ったように大地が――否、空間そのものが震えている。
 地面は激しく揺れてひび割れ、景色は歪みどこともしれない光景が映し出される。
 そのような尋常でない場所にいるのは、眠ったように動かない少女と、彼女をかばうようにして抱える青年。そしておろおろする少年と、平静に見える銀髪の男だった。
「何なんだ、どうなってるんだよこれは!?」
 青年の叫びに、銀髪の男が神妙な声音で答える。
「……グレンガランが強引に空間を捻じ曲げて転移しました。そのせいでこの空間が非常に不安定になっています。ここにいては危険です、時流の歪みに巻き込まれかねません。避難しましょう」
 一番小さな少年があわててうなずき、男の方に駆け寄る。しかし青年は動かない。
「待ってくれ――グレンガランは最初、ティアの身体を一番時流が歪んでいるところに運んで、思念を引き戻すつもりだったんだよな」
 青年の言葉に、少年が「――あ」と声を上げる。言わんとしていることに気付いたようだ。
「つまり、この状況はティアの意識を戻す好機、ってことだ」
「確かにその通りですが――」
 銀髪の男は、青年が至るであろう考えを予期していたのか、表情を変えずに淡々と告げる。
「グレンガランの能力ならともかく――あなた個人の力では、いかに時流の乱れに乗じようともティアの思念を引き戻すことは不可能です。私はこの場にとどまるつもりはありませんから、あなたに力は貸せません。そうすると、ファラリスを説得してここに残し、その力を借りなければならなくなりますが――あなたは、まだ幼いこの少年を己の事情に巻き込む気ですか?」
「…………!」
 青年の顔が赤くなり、苦しげに歪んだ。うつむいて、唇をかみ締める。
 何かを考えているらしい背中に、少年がおずおずと話しかけた。
「に、兄ちゃん、別に俺残っても――」
「いや、いい。お前に何かあったらおっさんにどやされる」
 青年の言葉に、少年は戸惑ったように「……どうかな?」と首をひねった。その様子に青年は小さく笑みを浮かべ――すぐに真剣な目を二人に向けて告げた。
「だから、俺一人でここに残る」
「――――え?」
「正気ですか!? 何の方策もないのに残るのは、無謀ですよ」
「手はある」
 きっぱりと告げる青年に、二人は押し黙った。
 ややあってから、銀髪の男が口を開く。
「――わかりました。では私たちは先に行きます。印を残しておくので、それをたどって来て下さい」
「助かる」
 青年が頷いたのを確認してから、銀髪の男は少年の手を引いて走り去った。
 残された青年は、しばらく腕の中の少女の顔をじっと見ていた。彼女が動く様子は全くない。
「……できるかどうか確証はない。でも、やるしかないよな」
 少女を抱える腕に、力を込める。
「……魔女フリグラ……!」
 目をぎゅっと伏せ、青年はささやくように、しかし強い息で呼びかけた。


 そして。
 柔らかな月光が差し込む屋敷の裏庭で、一人剣を振るう女の子がいた。
 小ぶりではあるが、幼い少女の小さな手にはまだまだあまる剣を、彼女は何度も何度も振るった。
 ふと、自分以外に草を踏みしめる音が響いたことに気付き、少女は動きを止めた。
 目を向けると、そこには青年が一人立っていた。月明かりに照らされた顔には、柔らかな表情がある。
「せんせい」
 少女は、ばつの悪そうな顔をした。
「ないしょにしててね、よるにおへやをぬけだしたこと」
「……ばあやが怖いか?」
 少女は首を横に振った。
「わたしがおこられるのはしかたないわ。わるいことをしてるんだもの。でも、わたしがおへやをぬけだしたことをおとうさまが知ったら、ばあやがおこられてしまう」
 青年は目を丸くし、そして頬をほころばせた。そっと、少女の頭をなでる。
「ティアは優しい子だな」
 少女はうつむき、はにかんだ様子を見せた。
 青年は目を細め、ふと思い出したように尋ねる。
「そういえば、さっきは剣を振っていたな」
「ええ、そうよ!」
 途端、少女の瞳が輝いた。
「わたしね、けんをふるのがだいすきなの! おおきくなったら『きし』になるの! このけんで、王さまをおまもりするのよ!」
 まるで、大切な大切な宝物を披露するかのように、嬉しげで誇らしそうに、少女は宣言した。
(今考えれば、先生は私の魔術を指導するために呼ばれたのだから――変に思ったでしょうね)
 これは確か、師匠と引き合わされてすぐの夜のことだ。まだ幼かったティアには配慮や分別といったものが足りていなかった。
 騎士に憧れたきっかけは、幼い頃に何度も枕元で聞いた物語だったと思う。王命の下に命をかける騎士たちが、幼いティアの脳裏でまぶしく踊っていた。
 それから、剣に興味を持った。家柄、剣を振る機会はあったので、わがままを言って素振りをやらせてもらい――そこから。剣を振るうことそのものが好きになった。
 憧れ。好きいう気持ち。
 それこそが、自分を突き動かす大きな原動力であるということを、今さらながら実感する。


 気付けばティアは、暗闇の中で腰を下ろしていた。
「かつて、ノエリット・ヴァーンの聖地たる過去の森に隣接するようにして、小さな国があった」
 闇の中、どこからか声が聞こえてくる。男の声だ。
「その国の王子として生まれた男は、即位をするから――そう、それこそ子供の頃からずっと、森を幾度も尋ね妖精たちと交流を持っていた」
 いつの間にか、ティアの目の前には青年がいた。朱色の鎧を身にまとっている。
「過去の森の中、妖精同士で争う事態になってしまった。男は仲間と共にその内乱を止めようとしたが、それは叶わなかった。結局、暴走したノエリット・ヴァーンのある一族が破壊神グディシャルーフを召喚してしまい――森は完全に破壊された」
 淡々と、青年は語っていく。
「男は破壊神と対面し、森を復活させ破壊神を退去させることに成功したが、一時しのぎにしか過ぎなかった。破壊神を喚んだ一族が、再召喚のために潜伏をしたからだ」
「……知ってるわ」
 ティアはぼんやりとつぶやいた。
「今、私はその光景を見てきた……断片的にしか思い出せないけど、でも私にはその知識がある。あなたがやったことを、知っている」
 時流の暴走の中を漂った際に、その経緯を見たのだろう。あの時見た光景を、今全て完全に思い出すことはできないが、それでも己の記憶の引き出しにそれらの知識がしまわれたことを、ティアは感じていた。おそらく、それらの知識と関連する出来事に会えば、自然と引き出しが開かれるのだろう。
「ならば話は早い」
 青年は頷き、ティアへ手を差し伸べた。
「騎士に憧れる少女よ。破壊神に対抗するため、王としてお前に託したいものがある」
 威風堂々とした態度だった。
 ティアは、動こうとしなかった。
 腕をわずかでも上げる気配すら見せず、ただ、青年を見つめる視線に力を込めた。
「……言ったでしょう。私、見たの」
 静かに、はっきりと、ティアは告げる。
 その瞳はすでに、青年をにらんでいるといってもいい鋭さを帯びていた。
「あなたがやったことを、見たの」
 青年の表情は変わらなかった。


 ※


 フォルスは再び、闇の中にいた。
「……まさかもう一度あなたと会うことになるとは思わなかったわ」
 墨色の女性は、心底呆れたようだった。
 フォルスだって、再会するとは思っていなかったし、そのつもりもなかった。あんな、少し言葉を交わしただけで性格の悪さがうかがい知れる者と、二度と話したいとは思わなかった。
 しかしそれでも、この状況では必要なことだった。
 真剣な眼差しを向けるフォルスに対し、しかし彼女は気だるげな様子で髪を掻き上げた。
「で、私に何を期待しているの? 『私』は単なる過去の残滓、かつて私がこの書を記した時に複製しておいた記憶が、『フリグラ』という人間の人格を再構成して受け答えしているに過ぎないのよ。何の魔術も行使できはしないわ」
 彼女の力を借りれないかと、期待していなかったわけではない。フォルスは少し残念に思った。が、しかし本当の目的は別のところに在る。
「――それでも。同じ七賢人の書同士なら、つながりがあるはずだ」
 フォルスは強い口調で断じた。それこそが、この女性に再び会いたいと願った理由だった。
「俺の糸だけでは無理かもしれないが、それも合わせれば強いつながりになる。それを使ってティアの思念を引き寄せれば――」
「無理よ」
 フォルスの希望は、あっさりと切って捨てられた。
「彼女はまだ、レルスタールに選ばれてないもの。不可能だわ」
「……そんな……」
 彼女がこのように言うからには、おそらくティアが選ばれてさえいれ理論上は可能だったのだろう。それだけにいっそう悔しい。
「くそっ、どうすれば……」
「そうね、祈ったら?」
「……何だと?」
 茶化すような口調の女性にフォルスは怒りの目を向けた。
 しかし彼女は笑いながらその視線を軽く受け流す。
「そんなに怒らないでよ。結構祈りってすごいのよ。あなただってあの時祈ったでしょう? だからあなたは、またここに来ることができたのよ」
「……どういう意味だ?」
 その言葉に興味が湧いた。フォルスは怒りを収めて尋ねる。
「『私』たちはね、継承者を選ぶ時と、七つの書が真にそろった際に起こる仕掛けの時以外、現れない仕組みになっているのよ。けれどあなたは、すこしでも彼女を取り戻す足がかりが欲しいと思い、もう一度私と会いたいと強く願った。その思いが、奇蹟とまでは言わないけど想定外の現象を引き起こした、というわけ」
 すごいわねえ、と彼女はとってつけたような拍手をした。その動作に再び怒りが湧き上がり、何か言おうと口を開いたフォルスだったが、結局何を言わないまま口を閉ざすことになる。
 彼女のまとう空気が一変したからだ。
 今まで彼女が浮かべていた皮肉げな笑みが消え、深い知性をたたえた瞳がフォルスを静かに見つめてくる。それは、この世の全ての智を知るかのような魔女の貌だった。
 底の見えない深い淵を覗き込んだ錯覚を感じ、フォルスはつばを飲んだ。
「祈りっていうのはね、本当にすごいものなのよ。魔術の才の有無に関係なく、強い思念は世界をも、神をも揺り動かす」
 そう詠うように告げる彼女の目が、ここでないどこかを見ているようだったから、フォルスは思わず尋ねてみた。
「……1700年前、あんたたちは祈りで神を動かしたのか?」
「…………そうねえ」
 彼女の表情が戻った。元の皮肉な微笑をその顔に浮かべる。
 しかしフォルスは、その笑みに先ほどよりの苦いものがあるように感じた。
 彼女は、遠くを見つめる瞳を崩さずにつぶやく。
「……もしそうだったら、話はもっと綺麗だったでしょうね」


 ※


 そこは、光に満ちた空間としか言いようがなかった。
 光以外に存在するものはたった二つ。一つは、朱色の鎧を身に纏い、腰に剣を下げた青年。もう一つは、ごく普通の服装であるが、腰に短剣をさしている青年だった。
「――もう来てしまったんですか、レルスタール」
 そうつぶやいて振り返る青年の表情と動きは、どこか硬い緊張をはらんでいた。
「そういう反応をするということは気付いているのだな、私がやろうとしていることに」
「『私たち』の間違いではないんですか? ここは時空の狭間。来るためにはあなたたち七人全員の力が必要だったはずです」
「確かに、皆の力は借りた。が、実質的に選択をしたのは私一人だ。マハールクとウェスティングはこれが定めだと言い、ヴェルリザは選択の内容そのものよりも私の意志に応えて協力してくれた。ブルンストとリスペランは最後まで悩んでいたが、私が押し切った」
「フリグラはどうしたんですか?」
「いつも通りだった」
 レルスタールと呼ばれた朱色の鎧の青年は、口元に小さく笑みを浮かべて答えた。
「あいつは、私が苦しい状況に置かれたときは皮肉すら言わずついてきてくれる」
 それは、どこか苦い笑みだった。
 しかしレルスタールはそれを振り払うように頭を振り、青年に向き直った。
「――時間を稼いでも、私のやることは変わらないぞ」
「……レルスタール!」
 苦しげな表情で、青年は訴えるように叫んだ。
「成功はしているんです。僕の祈りは破壊神に届いています。確かに反応が返ってきているんです!」
「だが、その反応を得るのにどれだけの時を要した?」
「…………」
「お前が未来の扉を開き、時空の狭間で交渉を始めてから、何日がたつと思っている」
「……森を蘇らせるよう祈っていたら、良い反応が返ってきました」
 青年は、レルスタールの問いを意図的に無視することに決めたようだった。
「まだこの世界は神の破壊に足るほど成熟はしていないから、元通りにして還ってくれと――このまま上手くいけば、内乱で亡くなった者たちは無理でしょうが、せめてこの降臨で命を失った者たちの復活だって、できるはずです」
「確証のないことだ」
 青年の訴えを、レルスタールは冷たく切って捨てた。
「そのようなことに世界の命運をかけることはできない」
「……何が世界ですか」
 うめくように青年はつぶやく。
「あなたは結局、自分の国を守りたいだけでしょう? これ以上破壊神が現界し続ければ、森を破壊しつくしやがてあなたの国に矛先を向けますからね」
「…………」
 レルスタールは何も答えず、腰の剣を抜き構えた。
 しかし青年は全く動じずに、むしろ笑みを浮かべた。
「僕に襲い掛かれば、グレンガランが飛んできますよ」
「それはない」
「何故そう思うんですか? ここは光ある場所。普通のスピリットだったら力が足りないでしょうが、グレンガランならここで起きていることを知覚し、瞬時に来ることができます」
「だろうな。しかし来ることはない。お前が、グレンガランにカーレルを守らせているはずだ。おそらくお前の名に誓わせて、カーレルのそばから離れないようにと」
「さあ、どうでしょうか」
 青年は微笑みながら首をかしげた。
 レルスタールはかまわず、一気に切りかかった。
 青年は――逃げず、前に出た。腰の短剣を抜き放ち前へ突き出す。しかしその刃が届く前に、レルスタールの剣が青年の胸を貫いていた。
「――――あ」
 膝から崩れるようにして、青年が倒れる。レルスタールは剣を胸から抜かずに手を離し、己の胸元で印を切った。そして呪を唱え始める。
「破壊神グディシャルーフよ、其を召喚せし一族の血を捧げ訴える! 召喚の契約は破棄したり、還りたまえ!」
 叫びと同時、空間に変化が起こった。光一色だった世界に、唐突に闇の穴が開いたのだ。
 ゆっくりと、吸い込まれるように青年の身体がそちらへ動いていく。
 その様子をレルスタールは、感情の見えない瞳で見つめていた。
「レルスタール……」
 かすかな呼び声に気付き、レルスタールは青年の顔に目を向ける。
 青年は口元から血を流しながらも、必死で言葉を紡いでいた。
「どうか……妖精の未来を……子どもたちの……カーレルと、クリス……それから生まれたばかりで名づけられていない……祭祀の一族のあの子の……ことを……」
「…………わかった」
 レルスタールはわずかな動作で、それでも確かに頷いた。
 青年は満足したように微笑んだ。もうそれで心残りはなくなったとでもいうように、するすると胸の剣ごと闇の口に飲まれていく。
 青年の身体が完全に闇に消え、その穴がなくなっても、レルスタールは視線を動かさなかった。
 やがて、空間いっぱいに広がっていた光は消え、かわりに荒野が広がっていた。地平線の先までひび割れた大地が広がるそこには、人影は一切見られない。
「気配が消えた……破壊神は去ったか」
 レルスタールはぽつりとつぶやき、目を伏せた。
 長い間視界を閉ざし続けていたが、やがてゆっくりとまぶたを上げ――その目を見開くことになった。
「――――な!?」
 目の前の光景が一変していた。
 いつの間にか目の前に倒木が出現していた。その木が、何に支えられているわけでもないのに宙に浮き、元の場所らしい根のある場所へと戻り、何事もなかったかのようにくっついた。
 足元に墨の塊が出現しており、それが寄り集まって青々とした色を取り戻し、草になった。
 そのような現象が、いたるところで起きている。まるで、時間が逆戻りしているかのようだった。
「……森が……蘇った」
 レルスタールは呆然と、天を仰いでいた。


 ――その光景をティアは思い出す。
 続いて、彼らと妖精の少年たち、そして異端のスピリットの交流を。
 ティアは知っている。時流の中で情報を得ている。召喚を破棄するためには、それを行った一族の血を引く者の命を捧げなければならなかったことを。他の機の一族は潜伏しており、居場所が確実にわかっているのは彼だけであったことを。
 目に熱いものが浮かぶ。それでもティアは目の前の青年を見据えて、はっきりと告げた。
「私は、あなたと同じ道は歩めない」
 何かを救うために、己にとって近しいものを切り捨てる。その選択を、受けれることはできない。
「だが、私の力がなければ破壊神降臨に対抗はできない」
「……それは……!」
 ティアは一瞬口ごもった。しかしすぐに口を開く。
「別の、もっと良い道を探すわ。私一人では力が足りないかもしれないけど、少なくともグディアルメフのメンバーは事情を話せば協力してくれるだろうし、あの剣士の人も――」
 ここでティアは、彼の名前を覚えていなかったことを思い出した。
「とにかく彼も、性格的には乗ってくれるはず。他の人は――ちょっとわからないけど、とにかく皆で考えれば何かが見つかるわよ!」
 それに――とティアは心の中で付け足す。
 あのいけすかない魔術士は、皮肉を言いながらもついてきてくれる気がするのだ。それを考えると、力が湧いてくる。
 ティアの叫びに、青年はしかし何の感慨も受けないようだった。淡々とした口調のまま尋ねてくる。
「そうしたとして、新たな道が開けるという確証はあるのか?」
「ないわよ」
 即答したティアに、青年は初めて表情を動かした。眉をひそめ、困惑の色を見せる。
「でもね、私は決めたの。自分の好きなことをするって。譲らないって、決めたのよ!」
 そう。出発の前夜、彼の前で剣を振りながら。
 あの時、『こう』と誓ったわけではないけれど、漠然と生まれ始めた感情がある。
 好きなことを、やりたいことを、諦めたくない。
 ぽつりと、青年はつぶやいた。
「若いな」
「…………え?」
 彼の表情を見て、ティアは目を丸くする。ティアを糾弾する言葉の内容とは裏腹に、青年の顔には笑みが浮かんでいた。
「ならば突き進むがいい、己が道を」
 ティアが呆然とその表情を見つめていると、唐突に新たな声が響いた。
「――話は終わったかしら?」
 女の声だった。
 鋭くそちらの方へ振り向くと、墨色のローブを着た女性が、いつの間にかそこに立っていた。まさか、とティアは息を呑む。その顔に見覚えがあった。
「……フリグラ。何故ここに?」
 ティアの疑惑を肯定するかのように青年は女性に呼びかけた。その眉間には深いしわが刻まれている。彼女に対して迷惑だとでも言いたげな表情だ。
 対する彼女は、口元を皮肉げに吊り上げて笑った。
「あら、嫌そうな顔をしないでくれる? 私だって、こういう状態になってまであなたのしかめっ面を見たいとは思ってなかったんだから」
「……残念なことにそういう点では気が合うな。私もお前のうるさい声を聞きたくはなかった」
「文句なら私の継承者に言って頂戴。想定外のことをしてくれちゃったのは彼よ」
「しかし選んだのはお前だろう」
「選択の余地がなかったんだもの。責められるいわれはないわ」
(何なの、これは?)
 突然繰り広げられた嫌味の押収――何となく痴話げんかにも見えたが――に、ティアは状況についていけず混乱する。
「まあとにかく――」
 ややあって、女性はようやく話を切り上げてティアの方に目を向けた。唇の端を吊り上げるようにして笑みを見せる。
「行きなさい。あなたと彼はこれでつながったから、戻ろうとする意志があればたどり着くわ」
 どこへ、とは彼女は言わなかった。彼が誰のことなのかも告げなかった。
 それでもティアは、何となくわかった気がした。だから、大きく頷いて立ち上がる。
「――ええ、行くわ」
 ティアは躊躇うことなく足を進める。その足が踏みしめる地面すら捉えることのできない闇の中、それでも恐れはしない。
 道は、確かにそこにあるのだから。
 後ろから、青年の声が響いてくる、 
「――私がたどった道を選ばず、しかし我が望む道を進む少女よ」
 まるで、そっと背を押すかのようだった。
「流れを引き寄せ、暖かき追い風を受け、胸を張って突き進め。無限に広がる大地の上、自らの意志をもって拓いたところがところが道となるだろう」


 ※


 ティアが目を開くと、間近にフォルスの顔があった。
(――――な!?)
 どくん、と鼓動が跳ねた。
(しかも、抱きかかえられているし――)
 視界の角度や背に回る感触からそのことを察し、さらに身体が熱くなる。
 そのうえ、フォルスはさらに顔を近づけて、必死な瞳で見つめてくる。
「大丈夫だったか、ティア!」
「だ、大丈夫だから、と、とりあえず離して!」
 あせってしまって口ごもりながらも、ティアは叫んだ。「あ。わ、悪い」とフォルスも同じような口調でティアから離れる。
 高鳴る鼓動を落ち着かせるため深く呼吸をしながら、ティアは頭を抱えた。
「……もう、どうなってるのよ」
 思わずもれたティアのぼやきの意味を、フォルスは取り違えたようだった。
「状況の説明は後だ。とりあえずここから離れよう」
 そう言われてティアは、ようやく周囲の状況に気付いた。大地が小刻みに揺れ、風景が歪んでいる。
(あの時見た光景ね)
 時流の暴走の中、フォルスとファラリスともう一人が話していたのをぼんやりと思い出す。
 ティアの感覚が、あの時の会話通り時空が歪んでいることを伝えてきた。この場にいたら確かに危険だ。
「――そうね、行きましょう」
 ティアが頷いて立ち上がろうとしたとき――一瞬早く立ち上がっていたフォルスが、手を差し伸べてきた。
(――――え?)
 一瞬頭が真っ白になるティアだったが、あわててその手を取り、腰を上げる。
「急ごう」
 短く言って手を離し、フォルスは走るよう手振りで示す。
 それに頷いて彼の横を走りながら、ティアは
(こんな時に何を考えているのよ私は――!)
 とにかく落ち着こうと、ティアは走ることだけに意識を専念する。
 しばらく無言で走り続けていると、不意にぽつりとフォルスがつぶやいた。
「……選ばれたんだな、俺たち」
 どこか感慨深げな声だった。
「…………え?」
 ティアは思わず首をかしげた。





<<BACK   NEXT>>