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2003年度第二期リレー小説
「蘇る大森林 〜ノエリットの奇蹟〜」第40回           空色水母
(……頑張ったことは認めてください。)


膜を、隔てている感じだった。
孤独、疎外感。それが、そう呼ぶべきものだと知ったのはずっと後だったけど。

「ねぇ、アージィ、今何考えてる?」
うららかな午後の日差しが、湖の水面にきらきらと反射する。ベンチに並んで座る二人の前を、腕を組んだ恋人たちが幸せそうに通り過ぎていく。
「いや、あれは、もっと、バランスを考えるべきだと、俺は思う」
「……えっと、何のこと?」
メーテは、アイゼンの言葉に眉を一瞬ぴくりとさせながらも、努めて冷静に尋ねる。
「あのボート」
アイゼンがそう指差す方向に、豆粒大に見える一艘の手漕ぎボート。なるほど、確かに重さのバランスが悪いのか傾いている。
「そ、そうだね! あれじゃあ、ひっくり返っちゃうよね!」
メーテは、嬉しそうに勢いよく相槌を打つ。
「いや、そうじゃなくて、あのボート漕いでるおっさんのあの髭はおかし過ぎるだろ」
「そっちかよ!」
真面目な顔で説明するアイゼンの胸に、メーテは勢いよく裏拳を叩き込む。
「というか、目、良すぎ! ……うう、私、アージィのこと、いつまで経っても全然わかんない。わかんない。わかんないよぉ! うわぁぁぁぁぁぁぁん!」
叫びながら、ぼかすかとアイゼンを殴り続けるメーテ。一撃一撃がかなり重い。
「……俺は、おまえが分からん」
メーテの攻撃を受け流しながら小さく呟くアイゼン。その顔には、かすかな微笑。……メーテは、気が付かなかったけれど。

軽蔑を伝える視線。切り裂くための言葉。形を持った悪意。
……人間、というもの。
一緒に笑いあった、友達。いつもにこにこしていた、近所のおばさん。優しく諭してくれた、学校の先生。
人間というもの。……その中に住んでいる、本当の生き物。
突然。
みんな、みんな、怖い顔をして離れていく。
軽蔑を伝える視線。切り裂くための言葉。形を持った悪意。
『今まで、人間だと、思っていたのは、全部、偽物だった、の?』

名前を名乗らなくなった。
人と深く関わらないように、かと言って要らぬ詮索を受けないように、バランス良くやっていく術は身に付いた。
周りの人たちは、そんなアイゼンを受け入れてくれた。
親しみを込めて背中をばしばし叩かれたり、自分のちょっとした言葉に笑ってくれたり。
そんなことが、ただ嬉しかった。
でも。
膜を、隔てている感じだった。
何も知らない人たち。何も知らせない自分。少しでもバランスを崩したら、きっとまた壊れてしまう。
起こしてしまう。
……人間というもの。その中に眠る、本当の生き物を。

「うん、与えてくれるなら、受け取るよ。でも、自分から手を伸ばす気にはならなかった。……拒絶されているなら、尚更だ」
アイゼンは倒れた大木に腰掛けながら、隣に座る男に話し続ける。
「あの本も、……あの青い本のときも、選ばれた、と思ったから、俺はここまでやって来たんだ、多分。もちろん、『一族の使命』という単語もかなり大きかったけどさ」
アイゼンは、足元に目を落としながら軽く笑う。男は、そんなアイゼンを黙って見守る。しばしの沈黙の後、アイゼンが再び口を開いた。
「でも」
顔を上げた、前を見据えるその瞳には、確かに今までとは違う光が宿っていた。
「もう、終わりにする」
……気付いてしまったから。
「選ばれるとか、選ばれないとか、そんなこと知るか。俺は、俺のやりたいようにやる。拒絶されたって構わない」
自分の中の求める気持ちに、気付いてしまったから。
孤独、疎外感。……もう、どんなに言い訳しても誤魔化しきれない。自分で手を伸ばさなければ、決して手に入らないものたち。膜を壊さなければ、満たされることのない思い。
心はどうしても焦がれるのだ。周りに広がる、この限りない世界に。
「もちろん、それで手に入れられる保証は全くないんだが」
そう言って、アイゼンは屈託なく笑った。男は、静かに微笑した。
「……うん、こればっかりは、メーテに感謝だな」
アイゼンは、友人の魔術士に思いを馳せる。いつでも自分のことを全力で理解しようとしてくれる、大切な友人。ただ一人、外から自分の膜を破ろうとしてくれる大切な友人。
いくら感謝しても足りない。ありがとうでは軽すぎる。
「よく、分かった」
男は立ち上がり、アイゼンのほうに向き直る。青い鎧が、冷たい音を立てる。
「俺は、おまえを本の持ち主と認めよう」
男は、歯を見せて笑った。アイゼンは一瞬戸惑った表情を浮かべた。
「……いや、正直おっさんに認められてもしょうがないんだが。でも、ありがとうな」
頭を掻きながらアイゼンも立ち上がる。二人は、固く握手を交わした。
「そういや、まだ名前聞いてなかったな。俺は、アイゼン=シュバルツコゥル。おっさんは?」
辺りが、徐々に光に包まれ始めた。
「俺は、リスペランだ。おまえに、暖かき追い風が吹かんことを。頑張れよ、アイゼン」
リスペランは、最後に笑っていた。

「……きなさい! 起きなさいってば!」
兎の声。とりあえず、耳元でキンキン叫ぶ兎を軽くどこかへ放り投げ、アイゼンは体を起こした。近くで、フリエが倒れている。ジークは見当たらなかった。
頭がぼうっとする。アイゼンは頭を軽く左右に振った。焦点の定まらない目で、地面を見つめる。
……たとえ。
そう、たとえ、人間というものの中にあれが住んでいるのだとしても、人間のあの温かさが偽物だということにはならないから。
一緒に笑いあった、友達。いつもにこにこしていた、近所のおばさん。優しく諭してくれた、学校の先生。みんな、もう、自分の記憶の中にしか存在しないけれど。
……そして。
友人のことを思うたびに、この胸にぽっと燈る灯かり。
どんなときでも、自分を受け入れてくれると信じられる人がいるのは、何と言う幸せだろう。
手を伸ばして届くというなら、もっと近づけるというのなら、いくらでも伸ばそう。
拒絶されても、選ばれなくても、離れていっても、どこまでだって追いかけてやる。
「首を洗って、待ってろよ! 俺の、あの、……青い本!」
アイゼンは立ち上がり、空に向かって叫んだ。清々しい気分だった。……さっきから兎が足元で何やら叫んでいるが、気にしないことにする。
「そういや、夢の中のあの青いおっさん、リスペランとか言ってたな。……待てよ、最近どっかで聞いたことがあったような、……ないような。ううむ」
腕を組んで、真剣に考え始めるアイゼンだった。





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