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2003年度第一期リレー小説「蘇る大森林 〜ノエリットの奇蹟〜」第39回
(本格的に使ってて楽しい、アジェスラータさん)               超蜜柑


 エンシャンルオートの断崖絶壁に差し掛かった、グディアルメフの面々を無事 に絶壁の上まで送り届けること――それが、アジェスラータがウリスから授かった命 だった。その為にアジェスラータはエンシャンルオートの断崖絶壁に先回りし、障害 となるゾルキーの怪鳥を除いたのだった。ただし、人間が自力で断崖絶壁を踏破する こと自体が困難である為、いざとなればアジェスラータが彼らを運んでいくことも視 野に入れていた。むしろ、現実的な対応を考えるならば、その方法が最も簡単で単純 だ。
 ただ、ウリスからの情報によると、彼らはとても扱いが難しいようで簡単であ るし、その逆もまた然りなのだと言う。一度こじれると修正作業が恐ろしく困難を極 める為、要注意と。なるべく、事態を単純化して考えさせなくてはならない。確実性 を狙うならば説得はグディアルメフ教主、ウィルドに絞ること。使徒達全員の説得を 行う必要は皆無である。ただし、ウリスの娘であるフリエが同行しているので、子供 騙しのような手段は極力避けること。他の連中と違ってウリスだけは誤魔化すのが難 しい。
 本能のままに襲い来るゾルキーを殲滅しながら、アジェスラータはウリスから 言われた言葉を反芻していた。アジェスラータにとってゾルキーの怪鳥など物の数で はなく、百以上の群れを為していた怪鳥は小一時間も経たぬ内にその全てが地に墜ち ようとしていた。
 ただ一羽、群れの長を務めると思しき巨躯を持つ怪鳥がいた。それは多少の知 恵も持ち合わせているらしく、アジェスラータ相手に牽制を交えた非常に高度な戦闘 を展開した。が、元来戦闘能力に格段の開きがある両者の間には、ただの時間稼ぎに しかならず、長ゾルキーはアジェスラータの魔術の直撃を浴びて断崖絶壁の手前の広 場に墜落した。死亡を確認しようとアジェスラータが大地に降り立とうとするのと、 人間の一団がその場に辿り着くのは同時だった。
 全身黒ずくめの十数人の人間達。アジェスラータにはそれが話に聞いていた、 グディアルメフ教団だということがすぐに理解できた。今はどうなっているか分から ないけど、とウリスが述べていたそのままの恰好で、彼らは驚愕に目を見開いていた のだ。アジェスラータはなるべく彼らを刺激しないようにと気を遣いながら、衝撃を 与えぬように地に降り立った。
「ほほほほほ。お待ちしておりましたよ、皆さん」
 出来うる限り友好的な声音と態度を見せるアジェスラータ。それとは対照的に グディアルメフの面々は狼狽を隠しきれない様子。表情にはあからさまに恐怖が混 じっている。
(ふぅむ。これはいけませんね。クレイザード氏によるエカーリオ騒動が効いて いるみたいですねぇ……何とか彼らとマイルドな会話を成功させなければ)
 相手の緊張を素速く見取ったアジェスラータは、何か妙案はないかと彼らをぐ るりと見回した。が、ウィルドと白兎、黒兎、それにリスの娘フリエ、ついでに白い 奇妙な生物以外、彼らを判別することは出来なかった。とは言え、それだけ判別出来 れば十分なのではないか、と不意に気付き、何とか会話を成立させようと切り出し た。
「暗黒教団グディアルメフの皆さんですね? 私、グディ……」
「グディ=アジェスラータ!」
 報告にあった最も注意すべき人物、教主ウィルドが不躾に指差しながら絶叫し た。途端にその脅威が全員に伝播し、使徒達がざわめきだした。
「はい。私、グディ=アジェスラータと申します。以後お見知りおきを……」
 優雅に礼を取り、アジェスラータは顔を上げた。すると――
「おのれぃ! 聖者め、このウィルドの首級をあげる為に、邪神の手先まで寄越 すとは!何とも性根の腐った奴よ!」
「はい?」
 一瞬、言われた言葉の理解が出来ず、アジェスラータは普段ならば絶対に出さ ないような間の抜けた声を漏らした。まじまじとウィルド達を見ると、全員が思い思 いの獲物を手に、アジェスラータににじり寄っている。
(……私、何かまずいことでもしたでしょうか?)
 覚えのない非難の視線に、エカーリオの件が本格的に彼らのトラウマになって いると悟り、アジェスラータは大仰に腕を上げた。
「まぁまぁ、皆さん。私は別にあなた達を害そうとしに来たわけではありませ ん。少し私の話を聞いて頂きたい」
 精一杯の優しい口調にも、ウィルド達の反応は全く変わらない。
「そのような戯れ言が我々に通じると思っていたのか! グディ=アジェスラー タと言えば、暗黒神グディシャルーフ直属の配下である三貴子が一柱ではないか!  知将と名高い貴様の術中に嵌るこのウィルドと思ったか!」
「……えぇと。確かに私は三貴子の名を頂いておりますし、人間の世界では知将 と呼ばれてもいますが、今現在を以て特に策を弄しているわけでは……」
「貴様にそれを証明できる何かがあると申すか! このウィルド、貴様ら悪しき 邪神とは交渉の席など一切設けぬ! どんな甘い言葉で我々を誑かそうとしても、そ の手には乗らぬぞ!」
 アジェスラータの言葉を厳しく一蹴するウィルド。その瞳には、一片の冗談も 感じられない。本気の炎が滾るように燃え盛っていた。その迫力に、アジェスラータ の巨躯が一歩後退った。
(な、何なんですか……この無意味に増幅された気迫は……)
 理解できない。アジェスラータは己の思考の範疇に収まらないウィルドの行動 に混乱した。このような経験は初めてだった。意味もなく因縁を吹っ掛けられたのは 二度目だが、先のアイゼンは最後には分かってくれた。きっと根気強く話せば分かっ てくれるかも知れない。
 アジェスラータは人間という生き物を信じようと思っていた。
「いえ……どうやら我々の間に少し行き違いがあったようですね。どうか私の話 を最後まで聞いて頂きたい」
 冷静に、冷静に話し掛けるアジェスラータ。が、当のウィルドは全く意に介さ ない。それどころか、アジェスラータが一歩下がったのを見て、どんどん調子に乗り 始める。
「ふはははは! 何が行き違いよ! このウィルドに己の策を看破され、慌てふ ためいておるではないか? そのように動揺しては、知将の名が廃るというものよ!  この愚か者めぃ!」
「そうだ! 教主の仰る通りだ!」
「帰れ、邪神の手先め! 消え失せろ!」
「この卑怯者め! 恥を知れ!」
「ウィルド万歳! グディアルメフ万歳!」
 うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ! 
 ウィルドのアジェスラータを恐れぬ態度に打たれた使徒達が、一斉に雄叫びを あげて増長する。そして次々と浴びせられる罵声。更にその後に繰り広げられたウィ ルドコールの中、アジェスラータはただ黙って立ち尽くしていた。が、その心中は全 く穏やかではない。
(こいつらは……私の苦労も知らないで。大体何で私が……好きでこんなことし てるわけじゃないというのに……)
 胸中で文句を垂れるアジェスラータに対して、ウィルドがトドメの一言を見 舞った。
「はーっはっはっは! この程度で屈するようでは、三貴子とやらも、それを決 めた邪神も大したことはないようだな! 所詮は貴様ら三下に、このウィルドを倒す ことなど不可能と言うことだ!」
 ぶちん。その瞬間、アジェスラータの中で何かが切れた。三貴子としての命を 受けて早二千年。人間達に畏怖され、崇められることはあってもここまで屈辱的な扱 いを受けたことはなかった。アジェスラータは人間を信じようと思った。信じようと 思っていたのだ。
(……それももう終わりですね)
 請われるようにして人間界に干渉し、彼らの底なしの欲望に付き合って早二千 年。自分は決して気の短い方ではないはずだ。ある時は戦乱に巻き込まれ、ある時は 骨肉相はむ権力争いに手を貸し、心の安まる時など一時も存在しなかった。
 今回はそんな大それた事態ではなく、ただ人間達と会話するだけの筈、決して 争うわけではなかった。ウリスもそれを望まなかった為に求めに応じて召還されたの だ。元々、戦争が好きでない自分が、今回は人間の手助けが出来る、そう言われたか らここにこうして来たのだ。それなのに――
「さっきからぎゃあぎゃあとうるせぇんだよ!」
 遂に堪忍袋の緒が切れた。ついでに理性のタガも外れた。
「黙って聞いてりゃ……下手に出てりゃあ、言いたい放題言いやがって! たか が下等な人間風情が何を偉そうにほざくか!」
 ズダンッ! 踏み込んだ足が地面にめり込んだ。その衝撃に、グディアルメフ の面々の身体が宙に浮いた。声は、止んでいた。
「こっちは争う気がないって、さっきから何度も何度も何度も何度も何度も言っ てるってのによぉ! いいかげんに人の話聞かんと全員殺すぞ、本当に!」
 右手に赤い文字が浮かび上がる。紅雷と呼ぶべき赤い光の束が右手に収束され ていく。見た目は小さいが、アジェスラータが怒りのままに発動させた魔術だ。人間 が直撃を受ければ、確実に絶命する。
「ほら? どうした? あぁ? やるのか、やらないのか! さっきまでの威勢 はどうした? やってやるぞ、本気でやってやるぞ! それが望みなんだろ、あぁ !」
 普段の折り目正しいアジェスラータは完全に消え失せていた。二千年分の鬱屈 とした思いが、決壊したダムのように溢れ出ていたのだ。苦悩するように額に手を当 てたまま、アジェスラータが絶叫した。
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 天に向けて紅雷を奔らせる。紅雷はアジェスラータの思いを乗せるかのように 天空を引き裂いた。のたうつ蛇にも似たその動きは周囲を巻き込み、断崖絶壁や滝、 木々を薙ぎ払った。真上に向かって放ったはずの紅雷は、広く周囲を呑み込み、焦土 へと変えた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
 二千年溜め込んだストレスを一気に発散したアジェスラータは、大仰に肩で息 を吐いた。文字は消え失せ、その場に片膝を付いた。
「……私だって、好きでこんなこと……くっ」
 人間と同じ調子で目元を覆うアジェスラータ。気まずい雰囲気に、使徒達が顔 を見合わせた。その中でウィルドがずいっと一歩前に出た。そして、深々と頭を垂れ た。
「すまん。我々が間違っていた」
 謝罪の言葉。アジェスラータがそっと振り向いた。ウィルドは更に言葉を続け る。
「お主の苦労も分からず、辛辣な言葉を吐いてしまったな。このウィルド、人と しての礼を欠いていたようだ。破壊神グディシャルーフの手先と言うだけで悪と判断 してしまっていたようだ。本当に済まなかった」
 再び、礼をする。アジェスラータがウィルドに向き直った。ウィルドは膝を付 き、アジェスラータの手を取った。
「すまぬ。お主も辛かったのだな……このウィルド、今頃にしてそなたの苦しみ が理解できた。人という不出来な者に付き従う日々は辛かったであろう、くぅ……」
 ウィルドは泣いた。我が事のように泣いた。アジェスラータの腕を軽く叩きな がら、一人静かに泣いた。それを見たアジェスラータは、これまで忘れていた安らぎ を感じていた。
「……いいのですよ、私も大人げなかったですね。分かって頂けたなら、それで もう十分です」
 悟ったように言ったアジェスラータはウィルドを抱き起こし、そっと立たせ た。そして、優しく語りかけた。
「私の話……聞いて下さいますか?」
 ウィルドはこくりと頷いた。それを見ていた使徒達は誰とも知らずに泣き始め た。フリエを除く全員が、完全に感動していた。
「うぅ、えっく……いい話だね、ヴェイド」
「漢の友情って奴だな……心に染みるぜ」
「きゅ〜」
 小さい三人組は互いに頷き合いながら嗚咽を漏らしていた。それを冷静に眺め ながら、フリエは小首を傾げた。
(人語を解する兎はともかく、あのまん丸生物は理解できているのかしら、状況 を)
 とは言え、このまま怒り狂ったアジェスラータと事を構える事にならなくて良 かった。最大の危機を回避できただけでも幸運だったとしか言いようがなかった。フ リエは、ウィルドがアジェスラータを挑発している間中気が気でなかった。いつア ジェスラータが戦闘を仕掛けてくるかとも知れなかったからだ。
(……こっちがもう少し冷静だったら、こんなに話がこじれなかった気がす る……)
 緊張の為、極度に凝り固まった肩を軽く回しながら、フリエは大きく嘆息し た。

 小一時間が過ぎていた。
「……つまりは我らをこの絶壁の上に運ぶ、と?」
 ウリスの事は伏せ、残りの事情を掻い摘んで説明したアジェスラータを前に、 ウィルドが最後の確認とばかりに聞き返した。ウィルドの横に座るアジェスラータ は、肯定の意を示した。
「如何でしょう? あなた方にとっても悪い話ではないと思いますが」
 すっかり和んだ場の雰囲気に似つかわしい、アジェスラータの穏やかな提示。 ウィルドは好条件を突き付けられても即答しなかった。腕組みをし、難しい表情を浮 かべて唸っている。アジェスラータが訝しげにウィルドに話し掛ける。
「何か、問題が?」
「無粋だ……」
「は?」
 ウィルドの言葉の真意を図りかね、アジェスラータが聞き返す。ウィルドは すっくと立ち上がり、アジェスラータを正面から見据えて拳を振り上げた。
「本来、相容れぬはずのお主を利用して、安穏とこの崖を越えようと言うのが無 粋だと申しておるのだ!」
 力強く指差され、アジェスラータが鼻白んだ。
「い、いえ。私共としましてもそれには色々と理由がありまして……決して無償 というわけではありませんので」
「ほほう、理由とな?」
「えぇ、まぁ。それに、どうやってこの崖を越えるつもりですか? あなた方人 間が自力で這って登るとなると、相当に危険ですよ」
 アジェスラータの指摘に、ウィルドが胸を張った。
「ふっ、このウィルド。エンシャンルオートの断崖絶壁如きに怯むほど柔ではな いわ! 我が師が成し遂げられなかった偉業、私が代わって達して見せようぞ!」
 ウィルドが決意も新たに言い放つ。アジェスラータが軽く肩を竦めた。
「……まぁ、あなたは大丈夫でしょうね。しかし、他の皆さんはどうします?  見たところ、まず無理そうな方々がいらっしゃいますけど?」
 ちらりと小さい者達を一瞥するアジェスラータ。
「ノエルは大丈夫だもん! あんなの簡単に登れるもん!」
 無理だと決めつけられ、ノエルが不服そうに口を尖らせた。その横でヴェイド が顔を引き攣らせている。
「……とは言いたい所だが、さすがにこいつはなぁ……」
 崖を見上げれば、そこには地獄が待っていた。はっきり言って、ノエルもヴェ イドも崖を登るように身体が創られていない。まず無理だろう。そして――
「それにあなた」
 ぴしっと指を突き付けられたのは、きゅーちゃんだった。きゅーちゃんはきょ とんとした様子でアジェスラータを見た。
「あなた、その通常歩行すら困難な体型で、あの絶壁を登るつもりですか?」
 言われてきゅーちゃんの視線が上がっていく。そして、そのまま下へと戻る。
「きゅ〜」
 きゅーちゃんは目に涙を一杯溜めながらがたがた震え出した。そしてそのまま その場にへたり込んでしまった。アジェスラータが軽く肩を竦める。
「ほら、ごらんなさい。それにあなたに仲間を見捨てていくつもりは――」
「毛頭ない!」
 ウィルドが自信満々に言い切った。アジェスラータが頭痛を覚えたように額に 手を当てて項垂れた。
「ではどうするつもりですか? 素直に私の申し出を受けるのが得策ですよ」
「ぬぅ……。しかし、痩せても枯れてもこのウィルド、一度己で決めた途をおい それと変えるわけには……おぉ、そうか!」
 妙案を思いついた、とウィルドが一人で相槌を打った。そしてアジェスラータ に指を突き付けて、開口一番こう叫んだ。
「グディシャルーフが配下、グディ=アジェスラータよ! この私……いや、 我々グディアルメフ教団と勝負を致せぃ!」
 突然の物言いにアジェスラータが怪訝そうに首を捻ったが、すぐに合点が行っ た様子で相槌を打つ。
「ははぁ、成る程。ただで運んでもらうのでは己の誇りに傷が付く。だからこの 私と勝負して私を倒し、勝者の特権として堂々と私の申し出を受けようという腹なの ですね」
 理解の早いアジェスラータに対してウィルドは大いに頷いた。
「うむ! 我々とて暗黒神を祀る闇の眷属! 己が途は己の力で勝ち取るべし!  そう言うわけで……グディ=アジェスラータよ、我々と勝負をするのだ!」
「……宜しいでしょう。それであなた方の気が済むのでしたら。それで……一体 どのような勝負を私と行うおつもりですか?」
 アジェスラータはそこが問題だとばかりにウィルドに訊ねた。何しろ、グディ アルメフ教団が一丸となっても、単なる実力で言えばアジェスラータの方が圧倒的 だ。取っ組み合いや魔術勝負では話にならないだろう。だからと言って、彼らの性格 から考えて手加減をしても納得しないだろう。
「うむ……それだ。我々とて、恥ずかしくない戦いをしたいものだ。だが…… 我々と貴様の実力差は既に明白。となれば……」
 ウィルドがぐるりと使徒達を見回す。いずれもその筋では世界に通用する実力 者達。だが、それはあくまで個人技での話。今回はグディアルメフ教団が一致団結し なければ勝利はないだろう。ウィルドは考えに考え抜いた。
 そして、数十分の時が流れた。
「決まったぞ!」
 くわっ、と目を見開いたウィルドはアジェスラータに向き直った。腕を組むそ の姿には、一片の迷いも感じられない。肺に息を溜め、吐き出すと同時に周囲に響く 大音量で勝負名を告げる。
「貴様と我々で……味勝負だ!」
 一瞬、全員の動きが止まった。それを見たウィルドが、静かに解説を始めた。
「ふ。我ながら素晴らしい考えすぎて、ぐうの音も出ないようだな。この勝負は 真剣勝負、そして神聖なものでなければいかん! となれば、生命に根ざしたジャン ルで行われるのが定石というもの。なれば、衣、食、住いずれかに限定されるのは自 明の理というものよ!そこで考えに考え抜いた結果、我々が常日頃から生きる為に必 要な行為である食! この食を競おうではないか、とな! 幸い、こちらには世界最 高の料理人も付いておる。貴様には悪いが、この勝負もらったぞ! ふはははは!」
 勝ち誇ったようなウィルドの笑い声。それをアジェスラータが肩を振るわせ た。
「ふ、ふふ、ふふふふふ。この私を前に、味勝負などと……」
 さすがに馬鹿らしくてやる気が失せたのか。アジェスラータはすっと顔を上げ た。そして指を突き付ける。
「良いでしょう! 食神の再来と誉れ高い、このアジェスラータの、神の力を見 せて差し上げましょう!」
「は?」
 ウィルドの口が開いたままになる。目が点になる。それは使徒達も同様だっ た。アジェスラータはそんな事は歯牙にも掛けず、己のプロフィールを語り始めた。
「ふふふ。グディ=アジェスラータの任を受けて早二千年。実力主義の、入れ替 わりの激しい我が世界の厨房で千八百年間、総料理長として今なお君臨するこの私の 実力を、遂に人間の世界でも見せる時が来たようですね! 正直、どんな勝負を持ち 込まれようと人間のレベルで戦うつもりでしたが、料理勝負となれば話は別というも の! 全力で、神の料理というものを教えて差し上げましょう!」
 狂えんばかりに高笑するアジェスラータに、珍しくおずおずと訊ねるウィル ド。
「実は……料理が得意なのか? お主」
「それこそ三度の食事よりも!」
 ばばっとアジェスラータが見得を切る。
「腕前としてはやはり凄いのか?」
「千八百年の間に挑まれた勝負は実に五千回! いずれもこの私の圧勝でしたが ね!」
 アジェスラータが胸を張る。
「向こうの世界にしかない食材を使ったりとか?」
「まさか。そんなアンフェアな勝負は致しません。料理は食材も命ですが、何よ りも腕と心! あくまで実力で叩き潰すのみ! 存分に掛かってくるがいいでしょう !」
 ウィルドの頬に汗が伝う。既にアジェスラータは臨戦態勢を取っており、この ままではいつ料理を始めるか分かったものではない。
「待てぃ! 料理勝負とは言ったが、肝心な事を忘れていた!」
 それに水を差すように、ウィルドが待ったを掛けた。アジェスラータがつまら なそうにウィルドを一瞥した。
「何か問題が? まさか今更怖じ気付いたなどと言い出すわけではありませんよ ね?」
 疑惑の眼差しを向けるアジェスラータに、ウィルドが激昂した。
「無論だ! このグディアルメフ教団教主ウィルド、一度決めた勝負を捨てるほ ど無粋でも卑怯でもないわ! 問題は、だ。ここには審判がおらん!」
 言われてみれば、とアジェスラータ。唯一の第三者だったゾルキーは仲良く焼 き鳥になっているし、他の生物の気配も感じられない。アジェスラータが唸る。
「ふむ。このままでは極めてアンフェアな勝負ですね。まぁ、私は構いませんけ ど、あなた方の中から審判を選出しても」
「ならぬ! そのような非道卑劣な真似、断じてこのウィルドが許さん!」
 屈辱的な申し出に、ウィルドが吼えた。アジェスラータが肩を竦めた。
「構いませんよ? 美味の前では人は嘘を付けぬもの……真の強者がどちらか、 食した者が誰よりも理解するでしょう」
「な……なんたる自信……だが、確かにその通りだ! 我々は嘘は付けぬ。そう 言う意味では公平な判断となるであろう。だが!」
 ウィルドはびしぃっと指差す。
「それはあくまで我々の認識でしかない事だ! 善意の第三者の目から見ればあ くまで卑怯かつ茶番! そして、そのようにして得た勝利などには意味がない!」
 ウィルドは使徒達に向き直った。そしてマハールクの写本を掲げながら叫ぶ。
「うおおぉぉぉぉぉっ! 使徒達よ、我がグディアルメフの同士達よ! 第三者 を……我々を判定する第三者を捜し出すのだ! 言葉が通じれば動物だろうと植物だ ろうと何だろうと構わぬ! 我々の戦いが神聖なもの――そう、聖戦であるというこ とを証明するのだぁぁぁっ!」
 うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!
 使徒達が咆吼をあげた。そしてそれぞれが動こうとした時――
 森の茂みが一斉にざわめいた。
「何事だ!」
 ウィルドが叫ぶ。すると、茂みに隠れていた者達が一斉に飛び出してきた。白 い、小さな身体。百を超えるそれに、ノエルが叫んだ。
「あ、みんな!」
 ノエルの声を受けて、アジェスラータがさっと右手を突き出した。文字が輝 き、魔術の霧が白兎達を包み込む。それは、普段は喋れない白兎達を喋れるようにす る為のものだった。白兎の性質を理解しているアジェスラータならではの反応だっ た。
「姫様!」
「白姫様!」
 喋れるようになった白兎達がノエルを呼びながら集まった。それを見たアジェ スラータがウィルドに問いかけた。
「どうやら……審判団が到着したようですね」
「ぬぅ……しかし見ればノエルの知り合い。これではやはり……」
「案ずることはありませんよ。真面目な性格の白兎は嘘を付けないのです。彼ら ほど公平な判断を下せる者もいないはずですよ」
「なるほど……よし、分かった! この白兎達を審判として、味勝負、三番勝負 を開始するぞ!」
 ウィルドが拳を振り上げた。
「ただ……」
 アジェスラータがまだ問題があるとばかりに唸る。
「何だ、何が問題なのだ?」
「ふむ。競技の性質上、オードブル、メインディッシュ、デザートで勝負するの が妥当でしょうが、食材はどこにあるのですか?」
「あ……」
 肝心なことを忘れていたウィルドが言葉に詰まる。周囲をうろうろと回りなが ら、妙案を練り出そうと苦悩する。そして、不意に顔を上げた。
「お主の力で何とかならんのか?」
 アジェスラータが大仰に頭を振った。
「良いのですか? 私があなた方の食材に細工するとも考えられますよ?」
 試すようなアジェスラータの口調。ウィルドがぐいと胸を張った。
「それは無かろう! 貴様の態度はまさに料理人、まさに戦士! 卑怯無粋な小 細工を弄する者の雰囲気ではないことは、このウィルドとて分かるわ!」
「信用されていますね。まぁ、あなた方が良いのでしたら、そのように」
「うむ!」
 話が一段落した頃、ノエル達の方も話が進んでいた。
「白姫様! 一体今までどこに行ってらしたんですか! 私共がどれ程あなたの 身を案じて――」
「あぁ、もう分かったよ! ごめんなさい、ちよっとお散歩してただけだもん」
「散歩で数日もいなくなるものですか! 風の噂には貴女様が怪我をされたとか ! もう気が気で――」
 一団を代表する白兎がくどくどとお小言を続けている。それをノエルが仏頂面 で聞き流している。そんなノエルにうヴェイドが寄ってきて耳打ちした。
(すげぇおばちゃんだな。白兎ってのは無口なもんだと思ってたぜ)
(口が利けないだけで、別に無口じゃないよ。それに、今は特別だよぉ)
 ぼそぼそと会話していると、今まで小言を言っていた白兎がずいと前に出た。 そして、ヴェイドを上から下まで眺める。
「な、何だよ……」
 不躾な視線に、ヴェイドが呻く。
「白姫様。こちらは?」
「黒兎一族の族長、ヴェイドだよ。色々あって一緒にいるの」
 満面の笑顔でノエル。途端に白兎の顔が引き攣った。
「ひ、ひ、ひ、姫様!」
「ひゃあ!」
 突然の激昂にノエルがたじろいた。そんなノエルに更に食らい付くように白兎 は距離を詰めた。
「貴女は御自身の立場を分かっておいでなのですか! あなたは白兎にとって大 変尊いお方です! それが、ふらふらと訳の分からない一団に紛れ込んで……こんな 小汚い、野蛮で下品な黒兎と一緒にいるだなんて! もしもの事があったらどうする んですか!」
 白兎の酷い物言いに、ヴェイドの顔が歪んだが、それより先にノエルが口を開 いた。
「ウィルド様はとっても立派な御方だよ! 訳の分からない一団なんかじゃない もん! それにヴェイドは……ヴェイドは……下品で野蛮で、ついでに意地悪だけ ど……」
「おい……」
 怒気を孕んだヴェイドの呟き。まずいと悟ったノエルが遮るように大声を上げ た。
「とにかく! みんなとってもいい人達だよ! みんなの悪口言わないで!」
「まぁ! なんてことかしら! 白姫様が私に向かって酷いことを……はぁっ」
 衝撃のあまりか、白兎がその場に倒れ込んだ。それを他の白兎が支える。そん な光景を見ながら、ヴェイドが半眼で呻いた。
「俺の所も大概アレだが……お前もなかなか苦労してるんだな」
「うん、そだね」
 しみじみと呟く二匹の背後から、巨躯が動いた。
「あぁ、ちょっとすいませんね」
 やって来たのはアジェスラータ。4メートルを超す体躯の登場に、白兎達から 恐怖の悲鳴が漏れ始める。
「これから料理勝負を開始致しますので、是非ともあなた方に判定をして頂きた いのですが……」
 相手の反応には慣れているのか、構わずに続けるアジェスラータ。すると今ま で気絶していた例の白兎が起き上がり、アジェスラータを見上げた。
「料理勝負?」
「はい。互いの意地と名誉を懸けた真剣勝負です。あなた方白兎は大変正直で善 良な生き物だと伺っております。つきましては審判を務めて頂きたいのですが」
 アジェスラータの丁寧な物言いにすっかり安心した白兎が、ちらりとノエルを 見やった。
「白姫様もなさるのですか、それは?」
「勿論だよ! グディアルメフの一員として、ノエル頑張るもん!」
 えっへんと胸を張り、ノエル。すると、白兎は静かな口調で、だがきっぱりと 言った。
「お断りします」
「何故?」
「公平ではありません」
 アジェスラータが困ったとばかりに腕を組む。
「確かに……正直で善良ですね」
 度が過ぎるほどに。
「しかし、これでは幾ら経っても勝負が始められませんね。弱りました……」
 とは言え、近隣の動物たちに料理のアジェスラータなど分かるはずもなく――
「要するに、あなたに対しても優位性を持つ者が審判に加わればよろしいので しょう、アジェスラータ?」
 声は唐突に聞こえた。瞬間、エンシャンルオートの断崖絶壁に感じたことのな い程の魔力の波動が吹き荒れた。アジェスラータは勿論のこと、ウィルドや他の使徒 達、白兎達も狼狽を隠せない。
「この魔力――まさか!」
 その中で、心当たりがあるのだろうか。アジェスラータが虚空を見やり、叫 ぶ。
「ラグスティリア! あなたもこちらに来ていたのですか!」
 名を呼ばれると同時に、虚空に小さな影が現れた。
「ラーカイト様の、召還の儀により……」
 小柄な、白い少女。それはラグスティリアと呼ばれ、グディアルメフの前に 立っていた。
 色素を全く欠いた白髪、閉じられた目、痩けた頬に枯れ木のような腕と足。死 を目前にしたような、幽鬼の姿がそこにはあった。それを見たアジェスラータが訝し げに訊ねた。
「その姿……」
「化身の術を改良し、人化の術を施しました。ですが、今少しばかりの改良が必 要なようですね……まぁ、構いませんが」
 アジェスラータが胸中で頭を振った。人ならざる肉体を持ち、人ならざる物を 依代にしている彼ら別世界の住人にとって、人間に姿を変えること自体はそう困難で はない。が、それは化身と呼ばれる、言わば変装に過ぎない。だが、今回ラグスティ リアが行ったのは人化――現在の肉体そのものを人間のそれへと変質させる術だ。身 体の構造を根本から造り替える、創造に近い秘技だ。
「それを成功させるとは……さすが、魔を司るラグスティリア」
 知将と呼ばれ、術に長けたアジェスラータであっても、三貴子の一柱、ラグス ティリアの魔術には敵わない。その魔力は神にすら匹敵すると言われる彼女は、常に 神の傍を離れないはずなのだが。
「今の私は所詮、分霊ですから。私のことより……勝負の審判に、私も加わりま しょう」
「あなたが?」
「はい。どのみち勝負を終えて頂かなければ、彼らはこの場から立ち去らないで しょうし……」
 と、一旦言葉を切るラグスティリア。絶壁をぐるりと見回して――
「千七百年前に巡らせた、霊素の流れを調整する術や時空壁も随分と不安定に なっています……常世の霊気が流れ込む前に、障壁を張り直さなければならないで しょう」
 アジェスラータだけに分かるように、事情を端的に説明し、ラグスティリアは 勝負の回促した。アジェスラータが軽く頷き、ウィルド達に向き直った。
「よろしいですか、みなさん」
「異存はない!」
 ウィルドの力強い肯定を受けて、アジェスラータが手を伸ばした。
 ウィルドがその手を掴む。
 それが合図だった。

 こうして、エンシャンルオートの断崖絶壁において、「味勝負」が開始された のだった。





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