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2003年第2期リレー小説 「蘇る大森林 〜ノエリットの奇蹟〜」第36回 (この後誰か拾ってくれるんだろうか……) 樹 黄砂 昼食を平らげ、後片付けまでをてきぱきと終わらせたネオはふうとため息をつ いた。 (一人の食事っていうのは、やっぱり味気ないな) 師匠が出掛けてからこちら、何となくこの小屋を空けたくなくて極力食事もこ こで済ませていたが、今度からは町に出ようかと思う。 (大体師匠、いつ帰って来るか教えてくれなかったから) 鍵はネオが管理しているから、もし自分の留守中にジークが帰って来たらと思 うと、たまに用事で町に出ても何だか落ち着かないのだ。だから寄り道すること もなく真っ直ぐ帰って来てしまう。 師匠思いだよなあ僕、と考えるのはもちろん自画自賛ではなく、むしろ自嘲に 近い。だって世間では僕ぐらいの年って、「遊びたい盛り」って言うんだろう? 反抗してなんぼなのではあるまいか。 「確か森に行くって言ってたけど……」 最後にジークの顔を見てから何日経つかと指折り数えかけ、やめた。親の帰り を心待ちにしている留守番の子供みたいだ。いくら何でもそこまで子供ではな い。 ネオをここに一人残してこんなに何日も出掛けるなんて初めてだったから、 ちょっと気になるだけだ。 (あの強烈な集団と一緒らしいし、そりゃ心配にもなるよ……) 「……何やってんだろ、僕」 無意識に部屋の中をうろうろしていた自分に気付き、ネオは再びため息をつ く。これでは時間は無為に流れていくだけだ。それどころか昨日も似たようなこ とをしていた気がする。ますますよろしくない。この不定形のもやもやした気持 ちを詩に表せればいいのだろうが、残念ながらまだまだネオには出来そうにな かった。 「掃除でも、しよう」 そう、何もしていないから思考が変な方向に向いてしまうのだ。手を動かして いればそれに専念出来る。掃除なら部屋も綺麗になって一石二鳥だ。 決心を声にして自分に言い聞かせ、ネオは箒を持ち出して掃除を始めた。 元々手先が器用で集中力もあるネオである。詩人を志すからには、それほど短 気でもない。思惑通り余計な考えも起こさず、しばらくの間ネオは小屋の掃除に 没頭した。 そしてそれが単なる掃除と言うよりも大掃除と言った方がいいような様相を呈 して来た頃。 「う……わっ!」 ネオの呻きに、硬いものが落下したような音が重なった。 「……あー」 やっちゃった、と額を押さえるネオの前には、小物入れとその中身が散乱して いた。棚に置いてあった小物入れを取り出そうとした時に手が滑ってしまったの だった。引き出しも飛び散ってしまっており、これを元通りにするのはかなり面 倒臭そうである。かといってこのままにしておくわけにもいかず、ネオは仕方な くしゃがんで床に散らばる小物類に手を伸ばした。 「あれ? これ」 ネオは散乱する中に封筒を見付け、手に取った。中に便箋か何かが入っている ようで、きちんと封もされている。差出人欄にはジークの名前。手首を返して表 を見れば、ジークの几帳面な筆致で宛先までがきちんと書かれていた。 それを見てネオは思い出した。グディ何とかという集団がやって来る前日の 夜、師匠は確かに手紙のようなものを書いていた。宛先を書いて封までしたのだ からきっと翌日にでも出すつもりで、けれどあの騒ぎに巻き込まれて出すに出せ なかったに違いない。 「……大変だ」 あれから何日経った? 急ぎの用だったら取り返しがつかない。ネオは片づけ もそこそこに、手紙を出すために町へと駆け出した。 九歳の誕生日に母さんから『ヴェリルザの歴史書』をもらって、第四層までを 自力で読めるようになって、そしてようやく第五層の暗号をざっと解読し終えた 頃。 母さんがグディエカーリオを従えたあいつに連れて行かれてしまった頃。 フリエは毎晩、『ヴェリルザの歴史書』を抱えて眠っていた。それが母さん― ―ウリスのにおいが一番濃く残っているもので、彼女を取り戻すための最も重要 なファクターだったから。常に手元に置いておかないと不安でしょうがなかっ た。もちろん王都のフリエおばさまのところまでの道行きの間、人目があるとこ ろでは書を取り出したりはしなかったけれど。 混沌。それが常に頭にあった。目的なのか手段なのか分からなくなってしまい そうなほどに。 だから。だからきっとあんな夢を見たのだろう。フリエおばさまの家にたどり 着く前夜の――夢、だ。 『フリエ=モエルティマ。君には、僕の歴史書の主になる意志がありますか?』 のっぺりと生気のない周囲の風景。ふわふわと頼りない手足の感覚。ああ、夢 か、とフリエは思った。 「『僕の歴史書』? じゃああなたは、七賢人の……」 朽葉色の長い外套を着た人物は淡く微笑んで頷いた。 『ええ。探求者ヴェリルザ……後の世では、そう呼ばれているらしいですね』 最初は、まだ若い、フリエと十歳も違わないくらいの女性だと思った。けれど 見れば見るほど、年齢も性別も判然としなくなって来る。皺が目立つわけではな いが、髪は、薄茶色がかっているものの、ほとんど白髪と呼んでいい色。足首ま で届く外套のお陰で体付きもよく分からないし、声で判別しようにも、男にして は高く女にしては低いトーンであり、中性的と言うより他にない。 「……中性的?」 フリエは自分の思考にはっとし、ヴェリルザを見つめた。 「もしかして、あなた」 『未来に血筋を残せない、突然変異の鬼子ですよ』 老成した瞳で己を貶める言葉を口にするヴェリルザに、フリエは素直に驚くし かなかった。 男でも女でもない体を持つ者。お伽話だけでなく、千七百八十年前の戦争前後 の時代を記録した文献にも散見される。それ以降ぱったりと記述が絶えているの で、中性とはそれそのものではなく、その時代特有の何らかの比喩ではないかと 見る向きも数多い。 けれど。目の前にいる、七賢人の一人は。 『フリエ=モエルティマ。君は、書の主になる意志を持っていますか?』 再びヴェリルザは問う。 「持ち主を選ぶのは、『ヴェリルザの歴史書』なんでしょう?」 ここで意志を表明したからといって、主になれるわけではない。候補者の一人 に加えられるというだけ。もちろん、ウリスを取り戻し、神を排除するために 『ヴェリルザの歴史書』の主になりたいと思ってはいるが。 しかしヴェリルザは、短い白髪を揺らして首を横に振った。 『僕は、誰も選びません。認めるだけです』 「……どういう意味?」 『僕は古今東西のあらゆる知識を集めて来ました。……いいえ、世界は広く人心 は不定、あらゆるなどという言葉を使ってはいけないのでしょうね』 どこか儚く、探求者は笑う。それは自嘲であり、世界への賛美であり。……伝 えられて来た偉大なる七賢人のイメージとのずれを、フリエは感じた。 『故に後世探求者などと呼ばれるようになったのでしょうが、けれど僕は賢人と 称えられるほどの人間ではないのです。なぜなら僕が知識を求めたのは、純粋に 己のためでしかなかったのですから』 忌避。排斥。いわれのない悪意。 自分自身に確信がなく、何が正しいのかも分からなかった。 正しいことを知れば言葉に、行動に、確たる芯が出来るのに、とヴェリルザは 続ける。 『無知は罪です。自身のことすらほとんど知らない僕は、さしずめ最たる罪人で しょう。だから僕は知識を求めました。自らの足場を固めるために。あるいは、 空っぽの僕の中身を埋めるために』 「それが、どうしたの」 『けれど知れば知るほど、知識を吸収すればするほど、僕は疑うようになったの です。この世にただ一つの真実などあるのかどうか。知識によって安定を求めた というのに、皮肉なことです。……ですから、僕は、たった一人を選ぶことは出 来ません。書の真の持ち主たることは本当に重い、その人の未来をねじ曲げてし まうほどに』 ヴェリルザは目を伏せ、小さく息をついた。そして続ける。 『フリエ=モエルティマ。それでも君が望むのであれば、僕は認めます。この 『ヴェリルザの歴史書』の持ち主となる意志を持てば、その瞬間に君は書の真の 持ち主となるでしょう』 本来ならば、快哉を叫んでもいいはずだった。フリエには意志があり、ヴェリ ルザは認めると言ったのだから。 (でも……我ながら、情けないと思うけど) 分からなくなってしまった。本当に自分にはそれだけの意志があるのか? 本 の持ち主にのしかかる重さを押してまで、本当にそれを望んでいるのか? そして今この時になってもまだ、自分が『ヴェリルザの歴史書』の真の持ち主 になれたのかどうか確信がない。 きっと、「選ばれた」のだったらどんな難事が待ち受けていようとためらいな く受け入れたと思う。だって向こうが自分を選んでしまったのだから仕方がな い。――本当に、情けないと思う。束縛は、窮屈で、不自由で、生温く心地良 い。進める道が一つしかないということは、何たる幸せか。 考えなくて済むから。 最後の最後で責任を転嫁出来るから。 そんな怠惰は自分には無縁だと思っていたけれど――思い返してみれば多分あ の時もそうだったのだ。混沌を決意した、あの時。 (それから、もう一つ) 自分の意志を信じ切れなかった理由。 目の前のグディアジェスラータを、膜一枚隔てたような現実感のなさで、フリ エはぼんやりと見つめる。 ――混沌。それがあれば神は世界にやって来なくなる。グディエカーリオも倒 せるし、何より母さんを取り戻せる。 ――グディアルメフでもグディシャルーフでもいい。混沌を。 混沌を望むのは、神を世界に近付かせないため。神の兵士を倒すため。 だから神に、混沌を願う。 その矛盾に気付いていないわけではなかった。必死に気付かない振りを、考え ない振りをしていただけだ。 そんな矛盾をはらんだ結論を、すとんと出してしまった自分。まるでどこかか ら降って来たような結論だった。 (精神干渉が得意な私だから、分かる。――人は誰に操られてるかなんて分から ない) 混沌は手段のための手段でしかないはずなのに、いつの間にかそれ自体が目的 であるような気になってしまっていた。目的と手段を取り違えるなんて愚の骨頂 だ。 『フリエ=モエルティマ。結論は出ましたか?』 いつの間にか目の前に、朽葉色の外套が閃いていた。この手の中に、今は書が ないのに、と思う。 フリエ伯母と、兄と、父と、この数日間で出会った多くの人達。特に父とグ ディアルメフ教団の人達には本気で疲れさせられたけれど。その中で重要なこと を思い出した。 (目的を達成出来るなら、手段なんか交換可能の使い捨てでいい。母さんを取り 戻せるなら、混沌なんか要らない) もし自分が操られているとしたら。操られて混沌を望み、そして今目が覚めた のか、それとも混沌を単なる手段の一つと認識するように今操られているのか。 (そんなことは分からない。……でも、関係ない) フリエは文字通り中性的な相貌を睨むように見つめた。 「あなたの揺らぎなんて、私にはどうでもいいこと。私は母さんと一緒に暮らす ことを望む。でも混沌の世界になったら、母さんと暮らすどころじゃないでしょ う?――私は、拒否する。あなたの望みなんて、私は知らない。混沌なんて要ら ない。私は私のやり方で母さんとの暮らしを取り戻す。あなたの歴史書を継承す ることを、私は拒否するわ!」 『……そうですか』 探求者ヴェリルザは、寂しそうに微笑み、フリエの前から姿を消した。 奥歯をかみしめるフリエ。周囲の光景は急速に現実感を取り戻しつつあった。 「全く! あなた方がぐずぐずしているから! あの『渦』に巻き込まれて飛ば されなかったのは本当に、本当に奇跡的なのですよ!」 白兎の声でフリエは意識を取り戻した。自分は何をしているのか、と混乱した 記憶をたぐり、気を失う前の最後のそれにたどり着いてはっとする。体にまとわ りつく倦怠感に抗ってフリエは身を起こした。 「奇跡じゃねえよ、ジークが飛ばされちまったじゃねえか!」 「ジークさんが?」 握ったはずの手が離れていったように感じたのは、やはり気のせいではなかっ たのか。フリエはジークがいたはずの場所を苦く見下ろした。 「お、先生、起きたのか。大丈夫か?」 アイゼンが顔を覗き込んで来るのに頷いて応える。 「ええ、私は。けれどジークさんが……」 「ですから我々が飛ばされなかっただけでも奇跡的だと言っているのです!」 アイゼンは、肩にかじりつくように乗っている兎の頭を指で軽く押さえ、顔を しかめた。 「お前ちょっと黙ってろよ。先生、どうする?」 「あなた方を心配して差し上げているというのに『黙ってろ』とは何というお言 葉か! それこそ探りの術をお使いになればよろしい、私を捜したように!」 「あ」の形に口を開け、アイゼンは兎のほうへ首をひねった。感心したようにト ントンと兎の頭を叩く。 「なるほどなー、頭いいな、お前」 「おやめなさい、あなたに叩かれる筋合いはありませんよ!」 兎とアイゼンの掛け合いに、フリエは「私もそうしようと思っていたところで す」と口を挟んだ。 「ここでの要領も掴めましたし、それほど時間はかからないと――」 「何を仰いますか! いつまた先程のような『渦』が現れるか分からないのです よ! まずはこの<通路>を抜けることが先決です!」 確かにその通りだった。ここで更に分断されてしまえば余計に合流は難しくな る。立ち上がったフリエは、左手――それはジークの手を握っていたはずの手 だったが――の中に何かがあることに気付いた。 「これは……羊皮紙?」 握った覚えのないそれを見てフリエは戸惑った。 「さあ、走った走った!」 「ちょっと待って下さい! アイゼンさん、これ、あなたのではありませんよ ね?」 なぜかこのまま<通路>から出てしまってはいけないような気がしたフリエ は、アイゼンを引き止めて尋ねた。 「ああ、違うな。先生のでもないのか? だったらジークのじゃないのか?」 そうかも知れないと曖昧に頷き、手掛かりを探してフリエは折り畳まれた紙を 開く。覚えのある質感のような気がした。 「? 茨と……あの本の暗号みたいだな。先生、これ何だ?」 横から覗き込んで来たアイゼンの言葉は正しかった。その暗号の文法は『ヴェ リルザの歴史書』のある部分とそっくり同じであり。フリエは空で解読すること が出来た。 「……グディエカーリオ? ではなくて、アジェスラータ……いいえ、特定個体 ではないのかしら……だとしたら、これは」 「何をなさっているのですか! ここは危険だと言っているのに!」 叫ぶ兎の言葉もほとんど耳に入らない。 「魔術か何かか?」 含まれる「魔術」の一言で、何とかアイゼンの言葉は認識する。 「ええ……いえ、この紙自体は何の力もありません。ただの紙です。けれど、… …神の眷属の召喚手順が詳細に記されています」 「じゃあ、それがあれば先生にもアジェスラータとか召喚出来るのか?」 「それにはもう少し検討が必要ですが……」 「へえ。じゃあその茨は?」 「茨?」 思わぬことを尋ねられ、フリエはおうむ返しに聞き返してしまった。アイゼン は「ああ」と頷く。 「本の表紙にもあっただろ、茨のマークが。だから何か意味があるのかと思って さ」 考えたこともなかった。なぜ七賢人の書の表紙には茨のリースの装丁がある? そしてなぜ、この暗号の周囲は茨のリースで飾られているのだ? 「茨……ドァルーン、リディイス、ソービュラー……」 書に関係する、知っている限りの言語に当てはめていく。けれどこれといって ぴったり来るものはない。 「単語そのものというわけではないのかしら。茨……茨が意味するものは、受 難、束縛、生と死」 唐突に、ある仮説がすうっと頭に浮かんだ。紙を凝視し、夢中で暗号を操作す る。 「生と死……対極にして表裏一体。つまり、これは」 フリエは顔を上げ、アイゼンと兎を見つめた。どんな表情をすればいいのか分 からなかった。 神の召喚が可能だというのなら。 「送還の、手順式です。エカーリオやアジェスラータだけでなく……きっと神自 体も」 神を世界の外へと送り返すこととて可能なはず。 そんなことを考えて、あまつさえ術法まで編んでしまった人間は、一体誰な の。 フリエは頭上を仰いだ。 空は、見えなかったけれど。 |