|
2003年第二期リレー小説 「蘇る大森林 〜ノエリットの奇蹟〜」(無駄に風呂敷を広げました。頑張れジーク さん) 第19回 樹 黄砂 彼女は床の中で目を開けた。まぶたを重くする眠気を振り払い、彼女はベッドの上 に身を起こした。 ぼんやりと部屋の中を見回す。小さなランプが、寝ていた彼女の顔に直接光が当た らないような位置に置かれているだけで、部屋は暗い。 少しの間――おそらく――眠ってしまっていたらしい。彼女は手で長めのおかっぱ にした髪をなでつけた。頭が冴えて来るのを待って窓に掛かったカーテンを開く。瞬 く星々の配置を見て、彼女は今が真夜中近いのを知った。けれど部屋の中にもう一つ あるベッドに人の姿はなく、代わりに階下に複数の気配を感じる。如何せん、宿の中 に響く怪しげな祈りの声のお陰でよくは分からないのだが。 思ったより長く眠っていたようだ。少女は窓を開け、ひんやりとした夜気を吸い込 んだ。子供は寝る時間だからと女将にベッドに押し込まれたのは、月が東の空、もっ と低い位置にあった時だった。大人達の集会はその時まだ終わっていなかったはずで ――分散した気配から、既に終わったと思われるが――、その中で各人が夜中まで起 きていざるを得ないような提案や決定がなされたのだろう。 「決断せよ――自分自身の指針を」 吹き込む風になぶられる髪をそのままに、少女は呟く。 「追うか追わざるか、命を賭す覚悟があるか否か」 決断など、わざわざ確認せずとも分かっている。 明日には出そろうであろう彼らの答え。 「七賢人の書の持ち主を自認する六人は、残らずグディエカーリオを追うことを決断 する」 彼女は特に驕るでもなく、自身の魔術にそれだけの信を置いていた。 『人の思考や感情に干渉する魔術』は、彼女に備わった魔術の適性の中で、最も高い ものの一つだ。思考や感情をほんの少しねじ曲げたり、勘違いをさせたりする程度で しかないものの、必要と術の性格から隠密性は非常に高い。ここ数日の間に出会った 人々の中には魔術士が少なくない数いたが、彼らの誰も少女が魔術士だと気付いてい ないのがその証拠の一端でもある。 「グディアルメフ教主ウィルド、そしてフリエ=モエルティマ……。彼らでさえ」 少女はふと顔を上げると、ドアの方を振り向いた。一瞬怪訝な表情を見せ、そして ドアに近付くとノブを回した。 「あれ、おじさん……あ、あの、おばさまはお部屋にはいないんです」 「ええ、それは知っています。下の酒場にいらっしゃいましたから。私はあなたにお 話があって来たんですよ、フリエさん」 「わ、私に――?」 小さいフリエは、目の前の男を見上げた。 「そうです。ああ、私の名前は知りませんよね。名乗っておきましょう。私はジーク =フリードル。詩人をやっています」 「ジーク、さん? 私に話って……」 「夜中に不躾とは思いますが、出来れば部屋の中に入れて頂けませんか? 少々込み 入った話になるかも知れませんから」 小さいフリエはためらいがちに頷くと、ジークを部屋に招き入れた。二脚ある椅子 のうちの一脚をジークに勧め、彼女はジークから少し離れるようにベッドに座る。そ んな彼女にジークはあくまで穏やかに話しかけた。 「外を見ていたんですか?」 「はい、ちょっと……目が覚めてしまって」 「そうですか。……魔術を使っていたわけでは?」 何でもないことのようにさらりと言われた言葉に息を飲みそうになり、フリエはど うにかそれを押し殺した。ジークの真意を測りかねながらも、戸惑ったように首を傾 げてみせる。 「あの……私、さっきまで眠っていたので、おばさまがここに来て魔術を使ったかど うかは……」 「腹の探り合いはお互い空しいだけです」 か細い少女の声を、穏和ながら芯の通ったジークの声音が遮った。 「この際、真実を語って頂けませんか? あなたのおばさんのフリエ=モエルティマ さんだけではなく、あなたも魔術士なのでしょう、フリエさん?」 ジークの率直な瞳に、かまをかけている様子はなかった。どういうわけか、ジーク は本当に彼女が魔術士であるということを見抜いたらしい。フリエは小さく息を吐い て苦笑いをすると、真っ直ぐにジークを見た。 「ええ、イエスです。私は確かに魔術士――けれどどうして分かったんです? 若い 魔術士お二人はおろか、おばさまやウィルドさんも見抜けなかったのに」 フリエは弱いながらも常に自分の周囲に魔術士の感覚を誤魔化す術を巡らせてい る。大抵の魔術士は違和感すら感じないはずだ。それは魔術士としての力量の差では ないにしても、だからといって魔術士でない人間が彼女の正体を悟るのは更に困難 だ。 「私は魔術士ではありませんから」 苦笑してジークは答えた。 「それにフリエ=モエルティマさんはあまり人間を見ない方のようですし、ウィルド さんは色々な意味でお若い。勿論彼らの、特にウィルドさんの魔術士としての能力と 知識が物凄いものであるらしいことは門外漢の私にすら分かりますが――事は、魔術 という領域外のものですから」 「長年、人とろくに交わらず森で過ごして来た人間の中に育まれた勘、ということ ?」 言葉を選びかね、説明に困っているようであったのでフリエは先回りする。頷いた ジークの双眸が、少しだけ鋭くなった。 「ええ。あなたからは、普通の子供とはどこか違った匂いがします」 言い切ったジークにフリエは素直に感服した。魔術士でもないくせに、しかも詩人 という己の身を守る力にも事欠く存在のくせに、ジーク=フリードル、随分とやるも のだ。そう思うと、なぜか笑いがこみ上げて来る。 「ふふ、ごめんなさい、ジークさん。私、あなたを少し馬鹿にしていたみたいだわ」 「馬鹿に、ですか」 特に怒りも見せず、ジークはフリエの言葉を反芻する。フリエはますます彼を買う 気持ちが強くなるのを感じた。 「ええ、あなたなら七賢人の書の本当の持ち主になれるかも――いいえ、既に真の持 ち主であるのかも知れないわね」 私と同じように、と付け加えると、ジークは目を丸くした。 「七賢人の書の、『真の持ち主』? あなたがそれであり……他の方達は違う、と言 うのですか?」 それぞれに書を手にし、千七百年以上分かたれていたそれらの六冊までを一堂に集 めることとなった六人。彼らは本の『真の持ち主』ではないのか? それはもっとも な疑念であり、初歩的な思い違いだ。 「七賢人の書は、古代妖精語や初期魔術文字などで書かれ、その上暗号化されてい る。読み解くには膨大な知識と能力が必要になるわ。けれどそれは、裏を返せばそれ だけの知識と能力を持っていれば誰でも読み解けるということ。まあ、今回集まった 六人の中には例外もいるみたいだけど」 フリエは冗談めかして言う。嘘はついていない。真実のうちのほんの一部分に目隠 しをしただけだ。彼女と対照的にやや苦しげな表情でジークは口を開いた。 「つまり……書を読み解き、指示に従ってここに集まるだけでは不十分だと?」 「本は持ち主を選ぶ。本がと言った方が適切かしら。あなたもよく知っているわよ ね。本人の意思は、必要条件ではあっても十分条件にはなり得ないのよ」 持ち主となる者の意志がなければ本は動くことが出来ない。だからこその必要条 件。けれどその意志は、本の選択に対してほぼ無力だ。 「……あなた以外に、書の真の持ち主はいないのですか? モエルティマ博士の娘さ んであるフリエ=モエルティマさんや、本を私達の中で最も理解しているらしいウィ ルドさんは……」 「そうね、書を完全に理解している人がいないみたいなのからすると、いないんじゃ ないかしら。朽葉色の、『ヴェリルザの歴史書』の真の持ち主はおばさまではなくて 私だし、ウィルドさんは結構いい線まで行ってるみたいだけど。だから、まだ誰も本 に真の持ち主と認められていないと踏んだからこそ、グディエカーリオと聖者の使徒 は本を奪って行ったのでしょうね」 実際には私がいたわけだけど、と呟いたフリエに向かって、ジークは初めて声を荒 らげた。 「なら! あなたが書の真の持ち主であるというのなら、なぜ名乗らないのですか! グディエカーリオを追うと、どうして言わないのですか……!」 「私が?」 フリエは思わず吹き出した。 「この私が? もし申し出ても、冗談と思われるか、止められるかね。あなたが私の 正体に気付いたことだって驚愕ものなのよ?」 「しかし、黙って何もしないでいるというのは……」 (他の人達が命を懸ける決断をしているというのに、書の真の持ち主である私一人が 安全な場所にいることが釈然としないのね、きっと) 眉間をしかめるジークを見ながら、フリエは思う。この潔癖さを、『ブルンストの 聖典』は求めているのだろうか、と。 ジークが重い嘆息混じりに問いを投げる。 「フリエさん、あなたは……何を求めているのですか? そして私達に何をさせよう としているのですか?」 無邪気な表情で微笑んで、少女は言った。 「混沌よ」 「……は……?」 「混沌。――グディアルメフでもグディシャルーフでもどちらでもいいわ。どちらに せよ、やって来るのは大いなる破壊。究極の混沌。神様でも一朝一夕には秩序に支配 された新しい世界を造り出せないほどの」 全くの混沌から世界を作るには、至高の神がせっせと働いてさえ六日もかかると謳 うお伽話もある。 「フリエさん――……あなた、何を……」 戦慄を隠せないジークに、フリエは柔らかく笑いかける。 「そこに、私の求めるものへ通じる道を切り開くことが出来るのよ」 混沌すら、目的のための手段の、そのまた手段でしかない。 本が奪われたこと自体は、ゆゆしいとは思うものの、致命的ではない。書の全てを 真に理解出来るのはその本当の持ち主だけで、持ち主を選んだ本はその者の許可がな い限り、一欠片の情報も他人に与えることはない。要するに、本を献上されても聖者 は目的を達成することが出来ないということだ。それよりも彼女がこの事態に期待す るのは、争奪戦の中で七賢人の書それぞれが自らの持ち主を選択すること。 少女は現在の保護者であるフリエ=モエルティマの持参品の中からペンとメモ用紙 を取り出し、何事かを書き付けた。インクが大体乾いたのを確認して紙を小さく折り 畳む。 「これを。持って行けばきっと助けになるわ」 「これは、一体……」 差し出された紙を反射的に受け取ってしまったジークが困惑気味にフリエを見や る。フリエは微笑で答えた。 「命を懸けての戦いに参加しない私の代わりよ。使うべき時はそのうち分かるはず」 「……」 確かに彼の不満の一つであろう点を、真綿に包まれた判別出来ないほどの棘と共に 何気ないように口にされ、ジークが何かを言いかけて口を開くが、声に出来ないまま に唇を引き結ぶ。しばしの沈黙の後、ジークはどこか諦念を漂わせつつ首を縦に振っ た。 「分かりました。それと……あなたのことを皆に話すかどうかは――少し、考えま す」 「ふふ、あなたの決断に文句は付けないわ。幸運を」 ジークが部屋を去った後、フリエは再び窓辺に立った。 彼は多分ぎりぎりまでフリエのことを話さないだろう。彼女のことを話せば本の真 の持ち主のことについても言及せねばならず、本に対する自負を少なからず持つであ ろう五人の精神的ダメージは察するに余りある。それを押してまで真実を伝えること は、あのジークには出来ない。 (私の代わりに上手く動いてね、ジークさん) 心の中で呟いて、フリエは風に祈りを乗せた。 「我らに、暖かき追い風が吹かんことを」 神聖語でなされた祈りは、誰にも聞かれずに流れ行き、月明かりの中に溶けて消え た。 |