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2003年度第一期リレー小説   めしや

「The Tale of the Casket」(仮:決定でもいい気がしますがどうしましょう)第7回 



 わけがわからないことだらけだった。
 ゆっくり考えよ、と言われたが何から考えればよいのかすらわからなかった。かといって怪しいこの屋敷を探索する気にもなれず、彼女は最初に通された部屋で呆然と座っていることしかできなかった。
 自分はこれからどうすればいいのか――マルデリア・リンデローズが演じた姫は恋人を信じて待ち続けた。けれど自分は?
 自分の恋人は彼女を救いには来ないだろう。彼女を救うということは彼の家族を危険にさらすということ。優しい彼にはそれができない。そのことが恨めしいが、彼女はその優しさに惹かれたのだから恨み切れない。
 恋人のことを思い出し、彼女は涙を流した。なぜ自分には、最も望む選択肢が与えられないのだろうか。机に顔を伏せ、彼女は嗚咽を漏らした。
 彼女が我に帰ったのはノックの音によってであった。
 いつの間にか眠っていたらしい。あたりはすでに暗くなっていた。
「……どなたですか?」
「私でございます」
 あの老婆の声だった。老婆は、失礼します、という断りの言葉とともに部屋に入ってきて明かりをともした。それにいたってようやく彼女は、老婆が手に何かを持っていることに気付いて目を見開いた。
「……そ、それは……」
「彼の君からの贈り物でございます。これをお召しになって部屋にいらっしゃるようにと」
 部屋に行く。その言葉に彼女は体がこわばるのを感じた。とうとうこの時が来てしまった。まだ何も決めていないのに。
「お召しかえを、手伝わせていただきます」
 老婆は有無を言わさぬ手つきで彼女の着替えにかかった。その様子に何も口を挟むことができず、彼女はなされるがままに着替えさせられていく。
 着替えが終わると老婆は、鏡面の覆いを取って彼女に示した。
「よくお似合いでございます、青玉の姫」
 彼女は息を呑んだ。鏡の中に呆然と立ち尽くす自分が身にまとっているのは、まぎれもなく純白の婚礼衣装だった。その服が意味するところに彼女は戦慄する。
 しかし、驚いたのはそのことだけにではなかった。
 彼女は不意に疑問を覚えたのだ。何故、自分は青玉の姫と呼ばれるのだろうか。目の色が青であったなら話がわかるのだが、今鏡の中で見開かれている自分の目の色は黒だ。また、今着せられたドレスにも青の要素は一切ない。
 本当にわからないことだらけだ。
 わからないまま流されていく。抗いたくてもどうしたらよいのかもわからず、決めかねているうちに理不尽な運命が襲い掛かる。自分はいったいどうなってしまうのだろう。
「それでは、ご案内します」
 老婆は彼女の手を取り部屋を出た。薄暗い廊下を、老婆の方は迷いなく、彼女のほうはぎこちない足取りで歩いていく。
 長い廊下の先に、精巧な細工を施された扉があった。
 ここか、と身構えるまでもなく老婆が扉に手をかける。まだ心の準備ができていないのに、と彼女はあせるが、開かれた扉の向こうに見えたのは新しい扉だった。
「ここは控えの間。次の間に、彼の君がいらっしゃいます」
 拍子抜けしている彼女の手を握ったまま、老婆は控えの間に入った。そのまま彼女を、正面の扉の前へ導く。
「私はこれで失礼いたします」
 老婆がすっと身を引いた。振り返って止めようとするが、無常にも扉は閉ざされてしまう。
 その瞬間、次の間への扉が音を立てて開き出した。まるで老婆が去るのを待っていたかのようだった。
 恐る恐る、彼女はそちらへ視線を戻した。
 部屋に明かりはなかった。窓越しに見える満月が唯一の光源であった。冴え冴えとした月光が、部屋を冷たく照らし出していく。
 その満月をさえぎるようにして、彼は立っていた。
 気絶する前に見たのと同じ、赤に近い黒のタキシードに白手袋、そして仮面と身につけている。シルクハットは外していた。黒く柔らかな髪が月光を反射して、銀色に輝いている。
 一瞬状況を忘れ、その光景に見入ってしまった。
「こんばんは――良い夜ですね、青玉の姫」
 声をかけられてようやく、彼女は自分を取り戻した。いったい自分は何をしていたのだろう。この男は、自分を慰み者にしようとしている変態貴族なのかもしれないのに。
 反射的に彼女が後ずさりすると彼は不思議そうに首をかしげた。
「どうして逃げるのですか? 逃げたところで貴女に待っているのは、愛してもいない婚約者か、愛していても結ばれることのできない恋人だけでしょうに」
 その発言が意味するところに気付き、彼女は口の中が乾いていくのを感じた。
「……知っているのですか、私の事情を?」
「ええ。あなたが身分違いの恋に悩んでいることも、意に沿わぬ結婚を強いられようとしていることも知っています」
「――卑怯です」
 声が、気付いたら出ていた。震えてかすれた声。
「卑怯、とは――?」
 仮面で表情こそ見えないが、彼が戸惑うのは気配でわかる。
「わ、私は何も知りません。あなたは何なのか。ここはどこなのか。何故私をさらったのか。どうして私が青玉の姫と呼ばれるのか――ええ、本当に何一つとして知らないのです。今目の前にいる、あなたの顔や名前すらも」
 ふつふつと、今までくすぶっていた怒りの炎が湧き上がっていく。今の状況に対する怒りだけではない。これまで自分に降りかかった全ての理不尽な運命に対する怒りが、彼女の口を突き動かしていた。
「それなのに私は選択を強いられているではないですか。おそらく、私の一生を大きく左右しうる選択を。それなのに何も教えていただけないのは不公平です。ひ、卑怯です」
 最後の方はだんだんと尻つぼみになっていった。自分の言葉が相手の不興を引き起こしうるものであることに気付き、恐ろしくなったのだ。しかし一度出てしまった言葉は戻らない。これ以上何かを言う勇気もなく、彼女は内心震えながらも彼女の言葉を待った。
「――貴女はご自分の立場をわかっていらっしゃらないようだ」
 どれほどの時間が経ったのか、静かに彼はつぶやいた。
「本来なら貴女は、そのような言葉が許される立場ではないのですよ」
 言葉の内容とは裏腹に、彼の口調は優しいものであった。
 驚く彼女の前で、彼は体を追って笑い出した。軽やかで高い声が、月に照らし出された部屋に響き渡る。
「全く――あなたは見かけよりも面白い方ですね」
 笑いながら、彼はそうつぶやいた。やがて笑いを収め、背筋を伸ばして彼女の方に向き直る。
「確かに貴女のいうことにも一理あります。ですから三日待ちましょう。その間に私のことを知ってください」
 彼がそう告げ終わると同時、彼女の背後から音が響いた。
「今宵は、お戻りなさい」
 音源は、控えの間へと続く扉だった。誰も触れていないはずなのに扉が開いていく。不気味さに彼女は体を震わせ、急いでこの部屋から逃げ出そうとした。
 しかしくすくすと、面白がるような笑い声を耳にして彼女は足を止めた。笑い声の主は考えるまでもなく彼だ。ふつりと、彼女の胸に小さな怒りと対抗心が芽生えた。
 先ほどの彼の態度で多少余裕が生まれたことも手伝って、彼女は振り返り彼の仮面を見据えた。
「『知ってください』とおっしゃりながら顔も名前も教えてくださらないなんて、ずいぶんと物事の道理にかける方なんですね、貴方は」
 勢いのままに言ってから、次の瞬間彼女は激しく後悔した。
「――そんなに、知りたいのですか?」
 ぞくりと、その声音に肌が粟立った。氷の刃を喉元に突きつけられたかのような、それでいて耳元で熱く愛をささやかれたかのような、奇妙な感覚が背筋を震わせる。
 彼女は動けなかった。うなずくことも、頭を振ることも、瞬きをすることもできなかった。
 ただただ、彼の手が仮面に伸びるのを食い入るように見つめていた。

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