2003年度第一期リレー小説
超蜜柑
「The Tale of the Casket」第3回
劇は多くの観客にとってはそれこそ劇的に、彼女にとってはは淡々と進み、やがて終わった。劇に満足した様子の富裕層や貴族達はそれぞれ思い思いの馬車に乗り、自分たちの屋敷へと帰っていく。それは彼女とて例外ではない。ましてや、今回隣には事実上王にはなれないとしても、その権利を有するものがいるのだ。彼女に用意された馬車は、くるときもそうだったが、必要以上に豪奢なものであった。
男に促され、馬車に乗り込む彼女。それに続いて男も乗り込む。傍らの男は御者に一声掛け、馬車を走らせた。
道々、男は彼女の方を向いては今回の劇について熱く語った。実に素晴らしい、と。それを聞く度に彼女は劇に、男に対しての興味が失われていく気がした。異な、実際に失われているのだ。だが、相手は婚約者。彼女はこれからの自分の為にも失ってはならないのだ。
興味を失うことは即ち、愛のない生活に繋がるのだから。彼女は誰にともなしに小さく嘆息した。男に気付かれないように。男は今も熱心に劇の素晴らしさについて語っている。彼は今、主人公のつもりなのだろうか? 彼女にしてみれば彼こそが、自分の愛を踏み躙り、引き裂いた大国の王であるというのに。いや……やめよう。男について悪く考えれば考えるほど、結局は自分が傷付くことになるのだ。既に自分の運命が変えられない以上、自分からさらに悲劇的なものにするのは止そう。今のままでも十分に悲劇なのだから。
彼女がそう無理矢理自分の気持ちを納得させようとした時だった。ガタン、という何かがぶつかる音と共に馬車が大きく跳ねた。道の溝にでもはまったのだろうか? それまで嬉々として語っていた男は、突然の衝撃に水を差され、酷く不機嫌な表情を浮かべながら前方の小窓を乱暴に開け放った。
「おい! 何をやっているんだ!」
男の厳しい叱責が飛ぶが、御者からの返事はない。それを御者の従者からの侮辱と受け取ったのか、男は首元まで真っ赤に染めて再び似たような言葉を叫んだ。ただし、今度はもっと汚い言い回しで。それを内心で苦々しい表情を浮かべながら聞いていた彼女だったが、ふと疑問に駆られた。
仮にも王家御用達の馬車を任された御者が、主君に対して返事をしないなどという無礼を働くだろうか? そんなことはあり得ない。貧民層の質の悪い御者ではないのだ。ということは何かあったのかも知れない。そんな彼女の不安など露知らず、ただただ自分の怒りをぶつける男を尻目に彼女は前にいる御者を小窓からそっと覗いた。
御者は……確かにいる。御者台に腰掛け、馬の手綱を握っている。だが、全く微動だにしない。それどころか、主の叱責にすらまるで関心がないと言わんばかりだ。
「貴様ぁぁぁっ!」
元来、決して気が長い方でない男は、ぶるぶると拳を震わせて馬車から飛び降りた。彼女はそんな男などどうでも良かったが、御者の不可解な行動は気になった。そして彼女も男に続く形で馬車を降りてしまった。
馬車を降りて、幾分高い位置に御者を見た。だが、それが彼女達の死っている御者でないことはひ一目で分かった。闇に溶け込むように少し赤みがかった黒のタキシード、白手袋、そしてシルクハット。
「失礼……少々乱暴になってしまったようですね。……お怪我はありませんでしたか?」
御者はこちらを見ながら流暢に言い、軽く一礼した。その顔は歌劇で用いられるような白い仮面に覆われていた。
「わぁぁぁぁっ!」
――刹那、その場から弾けるように外に飛び出したのは男の方であった。男は彼女の見ている目の前で彼女を見捨てて馬車から逃げ去ったのだ。だが、彼女の胸中には怒りや失望といった感情は湧いてこなかった。あの男がその程度であることは理解していたからだ。だが、それ以上に彼女の心をその場に釘付けにしたのは眼前の男だった。彼女は知っていたのだ、目の前にいる仮面の男が何者なのか、を。
かつての話だ。最初はただの失踪事件だったのだ、結婚を数日後に控えた女性が突如姿を消した、ただそれだけの。だが、その失踪事件はそれだけでは終わらなかったのだ。次の日、やはり同じように結婚を控えた若い女性が行方不明になる。とは言え、一月の間を経てのことだったので特に関連づけて考えるものは誰もいなかった。ところが、その翌月も、またその翌月も同じことが起こったのだ。毎月一度、決まって結婚を控えた若い女性が行方不明になる。
そんな異常事態の中で一つの噂が囁かれるようになる。即ち――
「あの娘達は怪人に攫われたのだ」と。
そんな不気味な噂が流れる中で起きた次の失踪事件、遂にその怪人を目撃下という人物が現れたのだ。その人物は自分の婚約者を連れ去られた者であった。彼の話によると、その怪人は黒に近い赤色のタキシードに身を包み、頭には同色のシルクハット、手は白手袋、右手に薔薇、左手に褐色のステッキを携えている。そしてその顔は白亜の仮面に覆われているのだ、と。
今までの事件はすべて彼――彼女という説もある――の仕業なのか? その目撃者のそれらを聞く前に精神を病んでしまい、それ以来その婚約者も発見されてはいない。ただ確実なのは、おそわれた男は全くの無傷で、薬を使われた形跡すらないということだった。そしてその怪人に遭遇した女性は確実に連れ去られてしまっているということ――。
「あ、あ、あぁぁ……」
彼女ゎ自分の思いを全く言葉に出来ないままに口を動かすだけであった。確かに彼女は結婚前の若い女性――条件はすべて満たしている。だが、その連続失踪事件は既に十年も前から途絶えているのだ。誰かが怪人を退治したわけではない、捕らえられたわけではない。だが、ある月を境にぷっつりと事件はなくなった。そして今の今まで、人々の記憶から忘れ去られていたのだ。
それが今何故――?
彼女は恐怖のあまり、全く動くことが出来なかった。眼は見開いたまま閉じること叶わず、その口も閉じることが出来ないでいる。そんな彼女を仮面の奥の双眸で見ていた怪人は、ゆっくりと御者台から降り、音もなくゆっくりと彼女に向かってくる。
「お嬢さん……お迎えに上がりましたよ」
怪人は仮面の奥から優しい声で囁いた。聞くだけで相手を安心させてしまう、そんな魔的な雰囲気があった。
「あ、あ、あぁぁ……」
「怖がる必要がありませんよ。手荒な真似は致しませんから。ただ……少々あなたが不憫でしてね」
怪人はささやき、白手袋に覆われた手を彼女に向けた。そして指を一度鳴らした。
「あ……!」
その瞬間、彼女の意識は闇の中へと沈んでいった。
最後に見たものは、無表情な仮面を付けた怪紳士の姿だった。
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