2003年度第一期リレー小説
めしや
「The Tale of the Casket」(キュリアベルに愛をささげました)第25回
凍える、冬の日のことだった。
当時まだ幼かった私は、寒さにめげず家を飛び出し、村の子供たちとかくれんぼをして遊んでいた。
物陰に隠れた私は、村の大人がこそこそと話すのを聞いてしまった。
近くの森で、この季節にいるはずがないツバメの死骸が見つかったことを。そのツバメが、村の女の子が大事にしていたリボンを足に巻いていたことを。おそらく、死骸はその少女が飼っていたツバメだろうことを。
「逃げ出しちゃったのかしらね」
「あんなに気に入っていたのに――――ちゃんには聞かせられないわ」
大人たちが声をひそめて自分の名前を出すのを、私は呆然とする頭で聞いていた。
私は、ツバメは寒いところでは生きられないという知識を持っていた。それどころか、常人には知りえない魔術の叡智が少私の魂には刻まれていた。
しかし、その知識と実際の行動を結びつかせるには、私はまだ幼かった。所詮引き継いだのは記憶と知識のみ。精神はこれから養われるもの。
――鳥は空を飛ぶものだから囚われているのはかわいそう――愚かにもそう思ってかごの蓋を開けた。それが引き起こすことには気が回らなかった。
それはまだ、魂の記憶に押しつぶされる前の、純粋な少女そのままの想い。
時が経ち、精神と記憶がなじむにつれて消え去る運命の、ちっぽけな感情だった。
静寂の中、キュリアベルは一人部屋にたたずんでいた。
先ほど戦闘をした部屋ではない。あの部屋は、人形とシャンデリアの残骸のおかげで、とても落ち着いていられる場所ではなくなっていた。
だからキュリアベルは別室へ移動し、そこでぼろぼろになった手の応急処置をした。その後、己の手の中にある青い宝玉を収め、キュリアベルは首をかしげた。
「さて、これからどうしましょうか」
「――悩む必要はないわ」
唐突に響いた声に、しかしキュリアベルは驚いた様子なく振り返った。先ほどまで誰もいなかったその場所に出現した存在が誰なのか、キュリアベルにはわかっていた。
「私が来た以上、やることは決まっているでしょ?」
マルデリア=リンデローズ。キュリアベルと同じく、魔女ラドゥラスクの魂を持つもの。
「破壊しましょう、あの男の居場所を」
彼女は、艶やかにに笑った。
以前から巨匠への復讐の計画は練られていた。彼の持つもの全てを――屋敷を、人形を、そして最愛の花嫁を、この手で完膚なきまでに破壊しなければ、ラドゥラスクの怒りは消えそうになかった。そのためリンデローズとキュリアベルは陰で様々に動いてきたのだ。
「人間たちを洗脳したと聞いていましたが……つれてこなかったんですか?」
「ああ、あれはまだ先のお楽しみよ。悔しいけど、大勢をここに移動させるには、もっと大掛かりな術が必要だわ」
忌々しげにリンデローズは答え、不意に何かを思い出したかのように笑い出した。
「ねえ、聞いてよ。あの男、人を喰って力をつけていたわ。かつては私を滅ぼしておきながら、結局は同じことをするんじゃない」
リンデローズは喉を震わせて愉快そうに嘲笑っていた。
彼女の言葉に、キュリアベルは内心なるほどとうなずく。巨匠はこの400年間、力を温存するため眠りと覚醒を繰り返していた。数十年に一度、彼の魔力の波が頂点に達する時期に目覚め、おそらくは妻を生き返らせるべく様々な画策をした。以前に目覚めたのはわずか十年前、その時も失敗に終わった。その際に失った魔力を取り戻すために彼は、かつて自分が糾弾した行為に身を堕としたのだろう。アズレセアという理想的な素体がいる以上、今回の機会は見逃せなかったに違いない。
「――それにしても、よくもまあ上手く入り込めたものね、あんた。いったい何をやったの?」
「400年前、魔女ラドゥラスクにさらわれて実験材料になり、当時の私は死にました。しかしその実験の影響で魂魄の一部が破損し、転生に組み込まれずにさまよっていたその魂の欠片が、今の私の元となっています」
「なあに? つまりあいつは、あんたがラドゥラスクの転生だって気付かずに、自分の元に引き入れたっていうの? 何て間抜けなのかしら!?」
リンデローズは声を上げて笑った。ひとしきり笑った後声を落としたが、表情にはまだ笑みが残っていた。
「ふふ、ここまで笑っちゃ失礼よね。その間抜けのおかげで私たちは、二重の意味で目標を達成できるんだから」
二重、という言葉にキュリアベルは反応を見せなかった。その様子に、リンデローズは拍子抜けしたように肩をすくめる。
「何だ、気付いていたの」
「……私はラドゥラスクの魂の欠片。あなたのような私以後の転生体には、あたかもパズルのピースのごとく私の分だけ魂に欠損があり、そのために私たちは齟齬なく融合ができる……」
「そう。あの馬鹿があんたに与えた力と知識ごと、ね」
リンデローズは口元に笑みを浮かべた。喜色に満ちた、しかしどこか黒いものを感じさせる笑みだった。
「愛しい恋人の墓守役だからかしら? ずいぶんと不相応な魔力がこめられてるわよね、あんた。それが手に入れば、私はより神に近づくことができる!」
興奮の声を上げ、リンデローズはキュリアベルに手を伸ばした。器を破壊し、魂の欠片を取り込むつもりなのだ。
キュリアベルに承諾を取る必要などない。神に座へのぼることこそ二人の――否、魔女ラドゥラスクの至上の望みなのだから。キュリアベルがこの行動を受け入れるのは当然のこと。
キュリアベルは静かに目を伏せ――リンデローズの手が胸にかかろうとした瞬間、目をあけて口を開いた。
「ところであなたは、ツバメが寒いところでは生きられないということを知っていますか?」
私が転生から外れた意思の残滓となって世界を漂ううちに、いったいどれほどの時がたったのだろうか。
ただ私は、世界の流れを眺め続けることしかできなかった。私の広めた呪いが人々を死に追いやっていることで多少の溜飲は下げられたが、それでもあの男に対する復讐心はくすぶり続けた。
あの男――かつでの自分、魔女ラドゥラスクを殺した魔術士。呼び名は巨匠。
彼は、不意に私の元を訪れ呼びかけてきた。
「久しぶりだな、ラドゥラスク」
「あら、こんなところにいていいのかしら? あなたの愛おしい恋人が、今にも死にそうだっていうのに」
その言葉が、彼にとって致死の刃となることを私は知っていた。あの女を、彼は虫唾が走るほどに愛していた。彼女の死は彼に深い傷を残すだろう。それをなしたのが自分の呪いであるということが、小気味良かった。
しかし、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「かまわない」
「――――は?」
「あれの死病の呪を解くのには間に合わない。だから、後で生き返らせる。今せいて会う必要はない」
――これが最期ではないのだから。
まるで自分に言い聞かせるような響きだった。
私は、こみ上げる笑いを抑えることができなかった。
「外法に手を出すっていうの!? あたしを殺したあんたが、つまらない正義感を振りかざしたあんたが、たったひとりの女のために道を外れるっていうの!? 傑作じゃない!」
「お前がどんな感想を持とうがかまわない」
彼は静かにこう持ちかけた。
「お前の望みは神へ近付くことと私への復讐、違うか? それの手助けを代償に、契約をしよう――」
その後彼の出した条件を飲み、私は神へ迫るための力と、復讐のための場を与えられた。
「は? ツバメ?」
唐突な質問に、思わずリンデローズは手を止めた。
「……もちろん知っているけど?」
それがいったい何なんだという視線を受け流し、キュリアベルは淡々と言葉をつなげた。
「私も、もちろんそのことは知っていました。何せ私には、ラドゥラスクから引き継がれた神にも迫る知識があるのですから、知らないはずがありません。しかし私は幼い頃、飼っていたツバメを冬に離したことがあります」
目をつぶれば今でも浮かんでくる。寒風の吹きすさぶ中、鳥かごの蓋を開ける自分の手。そこから勢いよく飛び出した、友情の証のリボンを足につけたツバメの姿。
「何でそんな馬鹿なことをしたのよ?」
「いくら知識があっても、精神が発達していなければそれを扱うことはできません。幼い精神では、ラドゥラスクの知識と記憶をもてあますだけでした」
「あっそう。それは不運なことだったわね。で、結局何が言いたいの?」
うんざりとした態度を隠そうともせずにリンデローズは問いかけた。伸ばした手を引っ込め、髪をかき上げる。
気を害した様子もなく、キュリアベルは淡々と答えた。
「つまり私は、たとえ同じ記憶と知識を引き継いでいても、その精神が違う限り同じ行動をとるとは限らないということです」
そう告げた瞬間、空気が変わった。
「どういうことかしら、人形?」
ゆらりと、リンデローズの背後に陽炎のようなもの立ち上った。彼女の殺気に呼応して高まった魔力だということが、キュリアベルにはわかった。
空間が、きしむ音を立てそうなほどに張り詰める。しかしキュリアベルは動じず、はっきりとした口調で言った。
「繰言は好むところではありません」
「そう。じゃあ私を裏切ったとみなしていいのね。まあ、どちらにしても結果は変わらないけど」
リンデローズは低い声で宣告し、手を突き出した。キュリアベルは動かず、冷静な瞳でその様子を眺め――
「――――が、はっ」
次の瞬間崩れ落ちたのは、キュリアベルの体ではなかった。
リンデローズが、不可視の重しに押し付けられているかのように、その場に跪いていた。
「……この部屋自体に術が……!? ……魔力が……吸われていく……?」
苦しげにうめき、リンデローズは胸を押さえた。その様子をキュリアベルは感情のこもらない目で見下ろす。
「ここは巨匠が奥方と暮らすために改装した屋敷――奥方を守るため様々な術が施されています。これは対侵入者用の術です」
この空間は通常の世界から切り離されており、侵入するためには空間の歪みが強いところを選ぶ必要がある。巨匠はそのようなところに術をかけておくのを忘れていなかった。体の自由と魔力を奪う術なのは、奥方がが命のやり取りを好まなかったからとキュリアベルは聞いていた。
「私はこの館の主として、屋敷の術をある程度自由に扱えます。そして――招かれざる客にそれ相応の対応をするのは主人としての勤めです」
「……何故、巨匠に与するの?」
「そうしているつもりはありません。ただ、あなたと融合するわけには行かないのです。そうすると、契約を果たさなければならなくなりますから」
「…………契約?」
眉をひそめるリンデローズに、キュリアベルはうなずいた。
「巨匠は私を人形とする際、契約を交わしました。私は力と復讐の場を与えられた代わりに、もし人を創造できるほどの力を得たら、奥方を生き返らせらせなければなりません」
それこそが、巨匠が提示した条件だった。キュリアベルはあの時軽い気持ちで受けたが――
「……何でそれがだめだって言うの? 確かにあいつが惚れた女っていうのは気に食わないけど、力が手に入るならそれでいいじゃない?」
眉をひそめて尋ねるリンデローズに、キュリアベルは短くが強い意志のこもった口調で答える。
「生き返ることを、奥方は望んでいませんから」
一瞬呆けたようにリンデローズは口をぽかんと開き、すぐに顔を怒りで真っ赤にした。
「たったそれだけのために――一度も会ったことのない奴なんかのために、みすみす機会を見逃すの!?」
「いいえ」
キュリアベルはきっぱりと否定した。
「私は、彼女と会ったことがあります」
己の失敗でツバメを喪った私を、周りの者は慰めた。
父は、泣いていても何も始まらないと言った。母は、ツバメの分も生きないとと諭した。それでも幼い心は慰められず、ずっと涙を流していた。
『ほら、そんなに泣かないで』
そんなときに声をかけてきたのは、同じ村に住む娘だった。踊るのが上手だった彼女は、優しく穏やかな気質で、村の年下の子供に対してまるで自分の弟妹であるかのように接した。私に関してもその例にもれず、泣いていると心配そうな目を向けてきた。
『ツバメはきっと、行きたいから行ったのよ。だってほら、鳥は私たちよりもか弱い生き物なんだから、死にはもっと敏感なはずでしょう? でないと生き残れないわ』
私の頭をなで、背中をさすりながら、彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。
『あなたのツバメは、鳥かごを出れば自分が死ぬことを多分わかっていた。それでも、飛ぶことを選んだのよ』
そう告げた彼女の口調は優しく、しかしはっきりとしていた。
『ねえ――だから、いつまでもそんな風に泣かないで』
少し成長して、この言葉は単なる子供を慰めるための方便に過ぎなかったのかもしれないということに私は思い至った。しかし、確かめるすべはなかった。彼女はあの冬の雪が解けた頃、ほとんど売られるような形で踊り子として村を出て行ってしまったから。
けれど、その言葉が幼い女の子の心を救ったのは確かだった。
「何があったかは知らないけど――」
ぎり、とここまで音が聞こえそうなほどに、リンデローズは唇をかんだ。
「たかがちっぽけな人間ひとりのためだけに長い時を越えた悲願を捨て……復讐の機会すら逃し……いったいどうするつもりなの!?」
「……………………」
ここでキュリアベルは沈黙した。双方が黙ったまま時がゆっくりと流れる。
「…………何も考えてないのね」
「そのうち思いつきます」
「……こんな奴のために私は……私たちの悲願が……!」
リンデローズの表情が屈辱に歪む。その口元がかすかに動き――次の瞬間、彼女の姿は掻き消えていた。
「………逃げられた」
ポツリと、キュリアベルはつぶやいた。
「魔力も、完全に奪えていない……」
が、そこに落胆の響きはない。もともとリンデローズを滅ぼすことが目的ではない。ただ、彼女と融合したくなかっただけ――契約を果たしたくなかっただけなのだ。
「……アズレセア様」
ぽつりと、キュリアベルは少女の名をつぶやいた。
キュリアベルの中で、巨匠に対する復讐心が消えているわけではない。これを解消するには、リンデローズと融合して巨匠の花嫁を殺せばよいこともわかっている。青玉の騎士を破壊した以上、殺害は容易なはずだ。
しかし、キュリアベルにはどうしてもそれが選べなかった。
『私はね、みんなのために踊ることが好きなの。私の踊りを見てみんなが笑顔になってくれると嬉しいの』
キュリアベルの記憶の中の、まだ若い頃の奥方はよくそう言っていた。実際、祭りの輪の中心で舞う彼女は楽しげであったし、周囲の者も彼女の踊りに表情をほころばせた。その笑顔を見て、彼女はさらに嬉しそうに笑ったものだった。
その彼女が、誰か一人のために踊ることを選んだ。
おそらく、強制されてではないのだろう。彼女はきっと、この閉ざされた屋敷にいたいからいたのだ。
――彼女とそっくりの容貌を持つ少女を思い浮かべる。
少女は選ぶということしなかった。ただただ事態に流され、涙を流すだけだった。ラドゥラスクの計画のためには、好都合といえた。
しかし、その少女が立ち向かうことを選んだ。青玉の騎士を拒否し、一人で走り出した。
その先に危険が待ち構えていることなど、気付いていただろうに。流されていれば、守られていれば、もっと楽だったろうに。
それでも、彼女は選んだのだ。行きたいから行ったのだ。
だからかもしれない、とキュリアベルは思う。自分が身を削ってまで青玉の騎士を破壊したのは――
きっと、見届けたかったのだ。冬の空を飛ぶことを決意したツバメが、どこまで飛べるのかを。
「……どうか今度は、暖かき地へたどり着かんことを」
青玉を握り締め、キュリアベルは祈りの言葉をささげた。
第24回にもどる
第26回にすすむ
目次にもどる