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2003年度第一期リレー小説   烏刃霧雨

「The Tale of the Casket」第22回 



 静寂を保っていた泉の水面が再び揺れはじめる。しかしそれは意図した結果ではなく、何か計算外の物が入り込んだことは老婆にはすぐに解った。それが決定的に老婆にとって望まない結果であることも、同時に確信することは容易だった。老婆は致命的に遅れてしまったのだ。老婆が立てた目算よりも、遙かに事態は加速度的に進行しているのだ。
「やれやれ、巨匠に逆らった結末がこれかのう。やはり、と言うべくして他はないか。」
 泉の奥底から浮かび上がってくる人の体、いや人というのは烏滸がましい、ただ魂が宿っている容器だ。巨匠の作り出した戦闘用の人形としては比類無き出来。けれど同時にそれは彼女が仕上げた唯一の最高傑作。この世から消え去ってしまうのだろうか。それを確認することが老婆の作り手の意図に沿うかは判断がつかないが、自分が見届けることを作り手は望んでいるような気がした。それはドゥルクレンとキュリアベルが己に対して行う言い訳と同じようなものだ。彼らがそうしたくなる気持ちも、老婆はどこか心の中で理解できた。それだけ彼女は強烈なのだから。
 それに……もしも巨匠が完全に破壊するつもりであれば破壊してしまっているだろう。そうでなければ破壊してはいない。自分は巨匠からは何も聞かされていない。雑用をこなすために作られた自分の使命は、後片付けをすることだ。
 老婆は泉の縁から手を伸ばし、それを、ドゥルクレンの体を岸に引きずり上げた。その際に反応がある様からして、壊されてはいないようだった。
「大婆殿か……済まない、無様な姿を晒しているね。」
 ただ酷く痛んでいる。いや、普通に考えて巨匠には彼女が手を加えた物を壊せるはずはないのだ。彼女が手を加えた唯一の物は、巨匠にとって大切にせねばならないものだ。
「自業自得じゃよ。これに懲りて二度と巨匠に対する企みなど……」
「そうではないのです。」
 老婆が口にした忠告を彼は強い口調で遮った。
「そうではないのです。」
 彼は二度繰り返した。
「巨匠ではないとするといったい誰にかね?儂よりちいっとばかし若いお主が人などに遅れをとるとは思えんが?」
 老婆の問い掛けにドゥルクレンは押し黙る。しばらく逡巡した後、おぞましい物を語るように顔を歪めて答えた。
「魔女ラドゥラスクです。」
 その名前を聞いたとき、老婆に不思議と驚きはなかった。むしろ合点がいった。
「成る程、“あれ”が不思議とまともに動いているわけだわい。で、これからお主はどうするんじゃ?」
「私は巨匠に問います。私は巨匠の傍にいるべきでしょうから。それに……」
 ドゥルクレンは仮面を外して老婆を見る。
 老婆はドゥルクレンの左目をまじまじと見る。
 嘆息。
 そこには青玉が嵌っていた。けれども老婆が知っている青玉の輝きとそれは異なる。
「……あの娘が特別なのかい?それとも今回が特別なのかい?奥方様がお主に嵌めて下さったあの青玉はどうしたんだい?」
「青玉の姫を付きっきりで護るべき人形が必要だと思いましたので、その者に託しました。」
「そうかい……もしお主が今の左目を巨匠の前で晒したならば、それは立派な裏切りだよ。」
「心得ています、大婆殿。」
「解っちゃいないと思うけどねぇ。まあよい。ドゥルクレン、こいつを持ってお行き。」
 老婆は懐から取り出したのは、彼の目の中に嵌っているのと同じサイズの宝玉。ただその色は、血のような赤。
「青玉が無くても戦えるとはいえ、かつてのお前は魔女に不覚をとったんだ。切り札は儂のような戦えん人形が持っておっても仕方がない。ほれ。」
「すみません、大婆殿。」
「さっさとお行き、時間がもったいないよ。」
 ドゥルクレンは老婆から赤い宝玉を受け取るとそれを懐に入れ、一礼すると森の中へと消えていった。
「蒼の宝玉が隠していた真実を、紅の宝玉が暴く。そのときお主は誰の敵になるのであろうのう、ドゥルクレン。儂“ら”の敵にならんことを願っておるよ。」
 老婆はしばらく、ドゥルクレンの消えた森を見つめていた。

 アズレセアは長い廊下を独り歩いていた。キュリアベルは彼はこの館にはいないと言ったが、不思議と足がある場所に引きつけられた。狂おしいほどに彼女を求める意識を、アズレセアは感じ取っていた。長い廊下の先にある部屋。老婆に連れられて、仮面の怪人と出会った部屋。
 そのドアの前に立って、一つ大きな深呼吸。
 慎重にドアを開ける。ギィという重厚なドアの開く音が、彼女の鼓動を速める。
 部屋の中に、彼はいなかった。けれど、そこには彼女が求める者がいたのだ。
「こんばんは、いい夜ですね、青玉の姫。」
 仮面の怪人が彼女を真っ直ぐに見つめていた。しかし、その仮面は彼の顔ではなく手に収まっていた。
「青玉の騎士は、青玉の姫の意のままに在ります、永久に。」
 カール・ツァイスはそう言った。青玉を嵌め込まれた偽物はそう言った。

 顔を真っ紅に染めた巨匠が、冷ややかに地面に転がった物言わぬ骸を見下す。
「人が作った人形も、人形が作った人形も、亡霊が作った人形も、三者三様異なるというのに、その全てが、最悪。」
 物言わぬ骸の鮮血をすすり上げながら、ぽそりとその言葉を巨匠は漏らす。彼の作品と、彼に隠れてドゥルクレンが作り上げたカール・ツァイスの人形と、ラドゥラスクが作り上げた動く死体達。その存在は、誰の心も救えない。
「人形を作った人も、人形を作った人形も、人形を作った亡霊も、三者三様異なるというのに、その全てが、最悪。」
 物言わぬ骸の脳と内臓を食しながら、ぽそりとその言葉を巨匠は漏らす。彼と、ドゥルクレンと、ラドゥラスク、その存在は、誰の心も救われない。
 それにこの物言わぬ骸も、救われない。青玉の姫の友の恋人だったか。下手に恋人と一緒に死ねなかったがために、動く死体ともなれはせず、焦燥と絶望の果てに“食われる”という運命しかそこにはなかった。
 生きるために散らさなければならなかった命に、祈りを捧げる。
「キュリアベル、古き友の血と肉で作ったお前が古き友の悪意を食らえば、お前は作り手を超えてくれるのか?作り手を超えて、古き友となってあれを蘇らせてくれるというのか?それとも……私の血肉となるか?」

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