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2003年度第一期リレー小説   超蜜柑

「The Tale of the Casket」(ドゥルクレン、君の為なら僕は悪魔にもなる)第21回 


  
 闇の中にいる。何も見えず、何も聞こえない。感覚もなく、何も感じない。私はその中で微睡んでいる。遠い日の幻を見ながら。

 奥方様の守護を命じられてから暫くの時が過ぎた。もっとも、私にはあまり感慨のない時間であったが。その間、花壇の花達は三度、その様相を変えた。まるで次の者に引き継ぐかのように、彼らは咲き、枯れ、そして散った。その度に奥方様は複雑な表情で彼らを見送っていた。地面に散った、変色した花びらを身ながら沈黙している奥方様を見るのは辛い。私は少しでも奥方様の心労を和らげたいと考えた。大婆殿にでも相談してみようか、いや、あの方は笑うに違いない。我々は所詮人形なのだ、と。
 今日も奥方様は花壇の世話をしている。奥方様は本当に花が好きな御方だ。毎日毎日、一つの状態に落ち着かない花達を世話するのは容易なことではあるまい。まして、この花壇にはそれこそ数多くの種類の花が入り乱れて生きている。奥方様は楽しいと言うが、あまり無理をさせてはなるまい。
 翌日、私は奥方様が暗い顔をなさっているのを見つけた。また一輪、花がその生を尽きたのだ。地面に落ちた花びらをそっと拾い、奥方様はそっと自身の胸元に仕舞い込んだ。花よ、何故お前はそうも散り行くのだ。永遠に変わらぬその輝きを見せていれば奥方様はその死に嘆くことはなくなるというのに。生とは、どれほど儚きものなのか。私は人形故にその本質は理解できずにいる。
「ドゥルクレン、どうしたの?」
 じっと見ていた事に気が付かれたのだろう、奥方様が私に振り向いた。
「いえ、何も……」
 私は一礼すると踵を返した。これ以上奥方様と話していると、何か妙なことを聞いてしまいそうになると思ったからだ。
 それから数日後、私は自分の術を駆使して一つの仕事を終えていた。永遠に枯れぬ花を作る、それだった。これで奥方様も悲しまれることもないだろう。私はそう思い、奥方様に花を私に行くことにした。奥方様は珍しく御寝所の方にいらしたので、私は軽くノックをして御寝所に入った。奥方様は椅子に腰掛けて何やら本を読んでいた。私が入ると奥方様は本を閉じ、私に笑いかけて下さった。
「ドゥルクレン、私に何かご用?」
「はい。先日、このような物を造りましたので奥方様にと思い……」
 私は持っていた一輪の薔薇を奥方様に差し上げた。奥方様は暫くよく分からないといった表情でそれを眺めていたが、やがて顔を上げると私に尋ねた。
「ドゥルクレン、これは?」
 心なしか喜んでおられぬご様子だった。
「枯れぬ花です。奥方様が花の枯れる様を見ては嘆いておられたので……」
 私が説明すると、奥方様は少しの間目を閉じて、私に諭すように口を開いた。
「この花は美しいわね」
 奥方様は目を細めた。
「咲いていた花の中でも最も見事な物を使いました」
「でも、哀しいわ」
 奥方様は静かに目を伏せ、小窓の方へと移動した。そしてその縁にあった花瓶にその花を生けた。そして花を撫でながらぽつりと語った。
「ドゥルクレン……確かにこの花は美しいわ。でも、この花はもう生きてはいないのよ」
「奥方様?」
 奥方様は私の前に立ち、私の目を覗き込みながら更に続けた。
「私を悲しませないという貴方の気持ち、とても嬉しいわ。でもね、ドゥルクレン。その為に命を作り替えてはいけないわ。花は咲き、枯れ、やがて散っていく。それは嬉しくも哀しくもあるわ。でも、それを逃れる為に生ある者から生を奪ってはならないわ」
 生ある者――私の胸が少し痛んだ。奥方様は生ある者、と言った。私は違う、生などない只の人形だ。
「奥方様……生とは何ですか? 私は生なき人形に過ぎません。私には、生というものが分からない」
 私が縋るように尋ねると、奥方様は静かに頭を振り、私の胸に手を当てた。
「あなたは生なき人形なんかじゃないわ。あなたは優しい心を持ってるわ。だから、自分のことを人形なんて言うのはやめて」
「奥方様……」
「優しい人になってちょうだい、ドゥルクレン。命に優しい人に、生ある者にもない者にも優しい気持ちを注げる人になって」
 奥方様はそこまで言うと私に笑いかけた。実に眩しい笑顔だった。私は知らず跪き、深々と礼をした。
「この薔薇はここに飾りましょう。あなたの優しさの印として」
 いや、あれは私の戒めの印だ。そしてあの薔薇が有る限り、私は決して命という存在を忘れることはないのだ。

 私は動くことも、立ち上がることすら出来ない。奴によって破壊された左眼は、もはや何も映しはしない。既に私の身体に残る力も僅かとなっている。だが、私達は目的を達したのだ。魔導の者の面汚し、人間の仇敵、主の敵である大魔女ラドゥラスクを我々の手で屠ることが出来たのだから。このままここで朽ち果てても私には後悔はない。
「ドゥルクレン、動けるか?」
 主がそっと手を差し伸べる。正直まともに動ける身体ではないが、私は身体を起こそうと主の手を取ろうとした。だが、予想に反して私の手は宙を掻き、どうしても主との距離は縮まらない。主はそんな私に軽く笑いかけ、肩を貸して下さった。
「も……申し訳ありません。私に今少しの力があれば、主のお手を煩わせることなど……」
 身を起こされながら弁解する私に、主は軽く頭を振った。
「良い……私もお前に命を拾われた。お前が身を挺して庇ってくれなければ、私が今頃あ奴のようになっていただろう。我が命を救うために失ったその左眼――すぐに直さねばな」
 主の視線はえんじ色の絨毯で苦悶に目を見開き、四肢を投げ出し倒れる一人の魔女に注がれていた。数々の邪法を極め、民を、国を恐怖に陥れた最悪の魔女。それは今、主の手によって深い眠りについた。我々を呪う言葉を遺して。
 ――愚かな魔術師よ
 ――哀れな人形よ
 ――私は決して滅びぬ
 ――どれだけの時を費やそうと
 ――どれほどの命を喰らおうと
 ――大魔女ラドゥラスクは闇には還らぬ
 ――愚かな魔術師よ
 ――哀れな人形よ
 ――束の間の安らぎと
 ――永遠の業苦にその身を焼かれるがいい

 主はまた館に到着されない。先程から大婆殿に何度も尋ねているが、主の到着を告げてはくれない。どうしたというのだ、主は。もはや残された時間は僅かだ。奥方様の御寝所の前で右往左往する私は、一向に冷静さを取り戻さぬ自分に苛立ちを感じていた。そこに水とタオルを持った大婆殿が廊下の向こうから現れる。
「大婆殿!」
 私は駆け寄るが、大婆殿の返事は先刻から変わらず、ただ首を横に振るばかりだった。私は落胆に肩を落とし、よろよろとおぼつかない足取りで壁にもたれた。
「ドゥルクレン、奥方様の具合はどうじゃ?」
「私の前では気丈を装っておられますが、このままでは……」
 分かっている。私とて主の知識を与えられた人形。奥方を蝕む死病がどれほど厄介なものかは分かる。それは刻一刻と奥方様の身体を喰らい、その命を闇に沈めようとしている。私はこの身がもどかしい。私は人形、人間達が苦しむ死病には決してかからぬ。だから、たがらこそ人間達の苦悶の表情を理解することが出来ぬ。奥方様の苦しみが理解できぬ。私が人間であったなら、奥方様の死病を肩代わりできれば……。
「私は無力だ!」
 私は怒りに任せ、渾身の力で壁を打った。作り物のこの身体は、頑丈に造られた壁すらも破壊してしまう。私は人間ではない。人形だ。作り物の命だ。人の神よ、何故、何故に人を私のように造ってはくれなかったのだろうか。そうであれば、そうであれば今奥方様がこうして苦しまれることもないというのに。
「ドゥルクレン」
 奥方様の看病の為に御寝所に入っていた大婆殿が扉を開けて私を招き入れる。私は一瞬身を固くしたが、大婆殿は軽く頷いて私の希望を後押ししてくれた。
 御寝所のベッドに横たわる奥方様はやつれ、生気を失いながらも私達に笑いかけてくれていた。その姿はあまりにも残酷であった。私は二度三度、神を呪う言葉を胸中で吐いた。
「……ドゥルクレン、婆や」
「ここにおります、奥方様」
 答え、奥方様の手を取る。奥嘉田様は少し安心したように表情を崩した。が、すぐに死病の発作が現れたのか表情に苦悶が浮かぶ。大婆殿がすぐに汗を拭いてやるが、汗は止めどなく流れる。
 既に限界だった。このままでは今夜まで保つまい。知識のみが肥大化した冷静な自分の理性がそう告げる。私は胸中ではっきりとそれを否定する。まだだ、まだ主がいる。主が今、この死病の治療法を探しておられる。主さえ来れば、こんな死病など。
「……今までありがとう、二人とも」
 聞いてはならない言葉を聞いた。私は動くことすら出来ず、大婆殿は無言で目を伏せた。
「何を仰られます、奥方様。今に主が奥方様をお救いすべく魔術の研究を終えて帰られます、それまでの辛抱です」
 知らず、私は強く奥方様の手を握っていた。はっとして手を離す私だったが、奥方様は首を軽く振り、再び私の手を握った。大婆殿がこちらに背を向けた。もはや、我々に出来ることなどないのだ、と。
「いいの……その気持ちだけで、私は……」
「なりません! 中庭の花壇の花達は、またあなたに世話されるのを待っております! 主も……まだ主とも話していないではありませんか! 弱気になってはなりません、主は必ず来ます!」
 これは私への言葉だ。奥方様を勇気づけたい、だが、本当は私自身が助かりたいだけなのだ。この身に涙は流れぬ。それでも今だけは泣きたいと思った。
「ドゥルクレン……あなたは本当に優しい人になったわ。それを、大切に……して。ずっと、ずっと……」
 奥方様の言葉が胸に響く。何故だ、何故今自分、こんな話を始めるのだ。まだだ、まだ終わりではない。終わらせてはならない。これからなのだ、これから。
「婆や……貴方も精一杯私に尽くしてくれました。礼を言います」
 視線を大婆殿に向ける。揺らぐ視界の中で、震えながら頭を下げる大婆殿の姿があった。
 大婆殿、何故肯定する。肯定してはならないのだ。我々は決して、この、現実を、肯定しては――
「ドゥルクレン、婆や……あの人に伝えて下さい。……今も、そしてこれからも、私はあなたを愛しています、と――」
 不意に握っていた手から力が抜けた。分からず、奥方様の顔を見やる。静かな、眠るような、明日の目覚めを、希望に満ちた明日を待つような寝顔。本当に幸せそうな――ありがとうと、伝えてくれているような。
「……大婆殿?」
 惚けたような、掠れた声が御寝所に響いた。それが自分の声だと気付くのにかなりの時間を要した。大婆殿は答えない。床に頽れ、肩を震わせている。
 私達は、主が到着されるまでその場から動くことはなかった。

 ドゥルクレンは自らが目覚めたことを数瞬の間、認識することが出来なかった。暫く呆然としていたが、やがて自分が現実に目覚めたのだと悟り、顔を上げた。朽ち果てた空間、えんじ色の絨毯。間違いない、巨匠によって眠らされたあの屋敷だ。ドゥルクレンは身を起こそうとしたが、覚醒したての肉体はほとんど力が入らず、壁にもたれる形で蹲った。
「……巨匠」
 何とか巨匠を止めなければ。奥方様を蘇らせたところで奥方様は決して喜ばない。それは生ある者の我が侭に過ぎない。
 だが、ドゥルクレンがそう思えども肉体は決して動かない。腕の一本ぐらいならば辛うじて動かすことも出来るが、全身を動かすことはほとんど不可能だ。だが、行かねばならない。奥方様の想いを無駄にしない為に。と、その時――
「おい、誰かいるのか!」
 不意に扉の向こうから響く男の声。次いでどかどかと数人が屋敷内を乱暴に走る足音。ドゥルクレンは瞳だけを動かして訝しがった。この廃屋に一体誰が。
「おい、人が倒れてるぞ!」
 扉の向こう側からこちらを覗いた男がドゥルクレンを指さして仲間に手招きした。すぐに男の仲間と思しき者達が数人寄ってきた。
「しっかりしろ! 一体どうした!」
「……あなた方は?」
 仮面が剥がれている事に気づいたドゥルクレンは左眼を手で隠しながら尋ねた。すると男の一人がドゥルクレンを抱き起こしながら説明してくれた。
「俺達は王立劇場のスタッフさ。次の舞台の出し物で廃墟のシーンがあるんだが、女優さんがイメージを掴みたいんでってこの廃屋に来てたんだ。ところであんたは?」
 ドゥルクレンは抱き起こされてようやく立ち上がると、すっと左眼を男に見せた。
「ひぃっ!」
 一瞬、この世の者とは思えぬ光景に男が怯んだ。ドゥルクレンは唯一まともに動く左腕を振るって男の頭を鷲掴みにした。
「失礼……助けて頂いた分際で不躾ですが、急を要しますのでね。あなたの生気を僅かばかり分けて頂きます」
 言うが早いか、ドゥルクレンの左腕が鈍く蒼く輝き、それと同時にドゥルクレンの身体に活力が蘇ってきた。それを見ていた他の男達も逃げようと走り出すが、ドゥルクレンは素早い動きで全ての男の生気を吸い取っていく。
「……暫く休めば問題なく動けます。では失礼致します」
 何とか動く分だけの力を取り戻したドゥルクレンは仮面を拾い、扉に向かった。早く巨匠に会わねばならない。それだけが彼を突き動かしていた。が――
「きゃぁぁぁっ!」
 扉の前まで来たところで、甲高い悲鳴に襲われた。見るとすぐ眼前に豪華なドレスを着た若い女性が立っていた。女性を襲うのは気が進まなかったが、今は非常時。ドゥルクレンは無言で女性の頭を鷲掴みにしようとした。が、しかし――
「むっ!」
 ドゥルクレンの手は空を切り、女性はドゥルクレンですら捉えられないほどの速さで背後に回り込んだ。そして、背後からドゥルクレンを弾き飛ばした。女性のものとは思えない衝撃がドゥルクレンに伝わり、溜まらずドゥルクレンは壁に激突した。
「……馬鹿な。弱っているとは言え、並の人間に私が付いていけないなどと……」
 ドゥルクレンは呻きながら振り返った。底には不敵な笑みを浮かべる女性の姿があった。
「あらあら、ごめんなさい? でもいきなり襲いかかるんですもの。私びっくりしちゃって……」
 嘯いて笑う女をドゥルクレンが睨む。その視線を楽しむように女が瞳を覗き込む。
「……何者ですか?」
 只ならぬ気配にドゥルクレンが思わず呻く。
「それはこちらの台詞じゃない? うちのスタッフ、みんなのびちゃって。どうしてくれるのよ」
 ドゥルクレンは女を凝視した。何かがおかしい。いや、おかしいのは先程のことで分かっている。だが、それ以上に不敵なものがある。そこでふと、ドゥルクレンは女の正体に気が付いた。確かこの女性は――
「王立歌劇場の方でしたな。見覚えがありますよ、看板女優のマルデリア=リンデローズ嬢ではありませんか?」
「あらやだ。私って意外と有名なのね。そう、私は王立劇場の女優マルデリア=リンデローズよ、お人形さん」
 あっさりと肯定し、マルデリア=リンデローズは口元を隠して微笑んだ。
「なっ!」
 何故それを、とドゥルクレンがリンデローズを睨んだときだった。彼女の周囲から闇が湧き上がり、彼女を包み込んだ。それは一瞬の出来事で、次の瞬間にはリンデローズは闇で束ねた漆黒のドレスを纏って現れた。そのドレスには無数の装飾品が付けられている。そのいずれもが漆黒の宝玉で飾られていた。
「魔術師だと!」
 ドゥルクレンが渾身の力で立ち上がり、身構えた。リンデローズは豪奢なドレスを引きずりながらドゥルクレンに近づいた。
「巨匠以外で高位の魔術を扱う者が残っていたとは驚きですね」
「巨匠? あぁ、あの愚かな魔術師ね。あんな三流と一緒にしないでくれるかしら」
 リンデローズは軽く笑い、腕を振るった。ドゥルクレンがその場から飛び去り、リンデローズの懐に潜り込んだ。
「貴方が何者か、聞かせて頂きましょう!」
「だからリンデローズだってば。でもね、あんたに分かり易く言うと……」
 一瞬の閃光の後、ドゥルクレンは再び壁に叩きつけられた。ずるずると頽れるドゥルクレンを見下しながら、彼女は綺麗な声で言った。
「大魔女ラドゥラスク、かしら?」
「馬鹿な!」
 よろよろと起き上がりながらドゥルクレンは叫ぶ。その名は、400年前に既に終わったはず。大魔女ラドゥラスクは過去の人物のはずである。
「生きているはずがない! 確かにラドゥラスクは巨匠が葬った! 私も確認している!」
「えぇ、そうね。確かにあの時私は死んだわ。でもね、あんた達が殺したのは所詮私の肉体止まり……私の魂までも滅ぼすことは出来てなくてよ」
「何を……言っている?」
 状況が把握できないドゥルクレンに、ラドゥラスクと名乗ったリンデローズは哀れむような冷たい視線を送った。
「そうね、分かり易く説明してあげるわ、哀れな人形よ。あの時、私が死ぬ前に私はこの世界に三つの呪いを遺した。一つは私の死後、我が邪法によって死を蔓延させること。二つ目は同じく世界を腐敗させること。そして最後の一つは、この大魔女ラドゥラスクの記憶に呪いを掛けたこと……」
「記憶に呪いを……?」
「そう、どんなに私が転生を重ねようとも、大魔女ラドゥラスクとしての記憶だけは消えない、という呪いをね。私はそうしてこの400年間、幾人の人生にも跨ってラドゥラスクの記憶を、知識を、力を引き継いだ。呪いによって負担の掛かる私の肉体は長くは保たないわ。でも、過去にも未来にもつながるラドゥラスクの魂は代を重ねるごとに強力になっていくのよ」
 ドゥルクレンはラドゥラスクの言葉が信じられなかった。そんな魔術など有るはずがない。肉体も魂も、輪廻すらも超えた魔術など見たことがない。ましてそれで復活など、考えられないことだった。
「時には同じ時代に何人ものラドゥラスクが存在したわ。そうした無数の私と協力しあいながら、私はずっと待ち続けた。私を殺してくれたあんた達に最高のタイミングで復讐する機会をね」
「復讐……だと?」
「そう。あんた達の400年は様々なラドゥラスクを通じて知っているわ。あの男の……愛しい花嫁を、あいつの目の前で消し去る。なかなか素敵でしょ? 実際の妻の方は私が手を下すまでもなく、私の遺した呪いの死病でくたばったから直接手を下せなかったけど」
 ドゥルクレンの目がかっと見開かれた。忘れかけていた胸の痛みが、先程の微睡みの夢と共に蘇る。あの苦しみを、悲しみを与えた者が目の前にいる!
「貴様が奥方様を!」
 ドゥルクレンが再びラドゥラスクに突っ込み、右腕を顔面に叩きつけようとした。
「学習能力がないのね……。この400年、邪法に更に磨きを掛けたこの私に人形の攻撃など――」
 再び閃光。ドゥルクレンは先程より派手に弾き飛ばされ、地面に転がった。衝撃をまともに受けたせいか、右腕に全く力が入らない。
「全く無意味よ」
「く……さすがに大魔女ラドゥラスクということか。しかし、今の巨匠には……」
「あらあら、随分信頼してるのねぇ。そうね……私一人だったら確かにまた騙し討ちされるかもね、あの時みたいに。でもね……」
 そこでラドゥラスクは大きく息を吸い、歌い始めた。恐ろしく綺麗な歌声だった。さすがは王立歌劇場の看板女優というところか。ラドゥラスクの歌が響く中、その音につられるように何者かの気配が高まっていく。それは一つ二つではなく、数多くあった。そしてそれらは暗がりの向こうからゆっくりとこちらに向かってやってきた。
「人間? いや、人形か? 違う……どこか妙だ」
 ラドゥラスクがぴたっと歌声を止めた。暗がりから出てきたのは全て人間だった。だが、どれも瞳に生気がなく、とても正気とは思えない。そこで初めてドゥルクレンはラドゥラスクの兵隊の正体に気付いた。
「洗脳……ですか。さすがに邪法の主ですね。一度にこれだけの人間を自在に操るとは」
 そう、ラドゥラスクは魔術で多くの人間を操っていたのだ。
「所詮は役立たずの木偶だけどいないよりはマシでしょ。楯にはなるわ。それに面白い連中もいるのよ、ほら」
 指した方角には、明らかに王立歌劇場のスタッフではない人間も混ざっていた。少し頼りなげな若者、中年の男、それらは見覚えがあった。
「まさか……この者達は……」
「そう、あのアズレセアとかって小娘の身内やら友人ってとこね。えぇと、お父様にカールさん、エスティーシャとかいうのもいたわね。で、これが傑作、希代の馬鹿王子よ。こいつらを使えばかなり楽しい事になるわよ」
 ラドゥラスクは心から楽しげに笑う。ドゥルクレンは既に事態が最悪であることを感じていた。そして、何としても巨匠にこの事を伝えなければと考えた。
「それじゃ、とっとと終わりにしましょう。これからあの男を追わなきゃならないし。やることが多いのよね」
 ラドゥラスクは残虐な笑みを浮かべて再び大きく息を吸った。そしてまた歌声が始まる。と同時に、今まで遠巻きにしていた者達が一斉に雄叫びをあげてドゥルクレンに襲いかかる。
「ここで果てるわけには参りません!」
 ドゥルクレンはタキシードの懐に腕を突っ込み、中に入っていた物を取り出すと地面に叩きつけた。凄まじい輝きを持つ閃光が迸り、一瞬全員の視界を塞いだ。そして、光が止む頃にはドゥルクレンの姿は消えていた。
 後に残されたラドゥラスクは面白そうに笑うと、傀儡達も動きを止めた。
「なかなか楽しいことするわね、あの人形。まぁ、捨て置いても問題はないわね。今頃はあの子の方も動いてるはずだし」
 再び楽しそうに笑うと、ラドゥラスクは傀儡達を伴って廃屋を後にした。 

 館の三階に設えられた書斎、その中にキュリアベルは一人でいた。無数の本がまるで彼女を睨んでいるようだった。キュリアベルは目を伏せ、静かに佇んでいた。それまでの彼女の静的な部分すら騒がしいと感じられる程の沈黙。
「……狐狩り」
 ぽつり、と。それはまるで水面を揺らす波紋のように、周囲の空間を嘗めていく。それに呼応したかのように、書斎中の本がガタガタと鳴り始める。やがてそれは大合唱へと変わり、キュリアベルを中心とした混沌へと塗り変わっていく。
「……それは優雅な貴族のお遊び」
 し……ん。キュリアベルが喋ると同時に本の合掌はすっかり止む。まるで王の言葉を聞く家臣のように。キュリアベルは漆黒のドレスを柔らかく揺らし、一歩前に進む。その際、彼女の全身を彩る無数の装飾品が美しいメロディーを奏でる。
「……獲物を仕留める為に、己の駒を配置し、自在に動かす」
 キュリアベルが振り向いた。彼女の視線の先の本が先程と同じようにガタガタと揺れ始めた。それはまるで歌劇の女優に対する観客のように。キュリアベルは手を伸ばし、今度は反対側へ。そして起こる本の拍手。
「知によって支配された狩人は、徐々に狐を追いつめていく」
 装飾品が奏でるメロディーに、本達が呼応する。
「哀れな狐は逃げ場のないことを知らず、必死に藻掻く」
 キュリアベルは装飾品の中の、胸元のペンダントを引き千切る。どんな色をも飲み込んでしまう程の漆黒。暗黒の輝きを放った宝玉。
「藻掻く狐を狩人は抑え、そして王が狐の首を狩る」
 宝玉を手近にあった机に置き、キュリアベルは静かに笑う。水面を揺らす風のように、静かに、しかし確実に。
「狐達は己の役目の為に動き出したわ。私達に狩られるという役目の為に」
 キュリアベルは不意に何かを呟く。宝玉から闇が溢れ、闇の中にいくつかの映像が浮かび上がる。館を出て巨匠の元へ向かうアズレセア。ドゥルクレンすら切り捨て、己が花嫁を探す巨匠。異界の門を解き放つ老婆。巨匠を救おうと館へ向かうドゥルクレン。そして残るは――
「永い時に蘇った大魔女ラドゥラスク……偽にして真なる存在。真にして偽なる存在」
 全ての駒が揃い、キュリアベルは高唱する。甲高く、何かに憑かれたような狂笑。大魔女ラドゥラスクと全く同じ瞳の輝きを持つ少女は、この世界の女王のように笑い続けた。

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