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2003年度 第一期リレー小説   村崎 永

「The Tale of the Casket」(今回のテーマは、「覚醒〜受身から受信へ〜」でした)第20回



 目を開けると、新たな涙のしずくが耳へと零れた。目覚めた自分を確かめながら、アズレセアはあえて起き上がらずに思いに浸っていた。夢の幸福と痛みが、まだ心を占めている。その感覚にはどこか覚えがあった。――夢。あの時に見た、幸福な夢。最初の日、あの寝台の中で見た夢はこれだったのだ。あの時は忘れてしまったけれど――彼女は静かに寝台を下りた。
 まだ空は暗く、窓からは欠けた月の光が薄く射していた。キュリアベルが去った後、考えに耽るうちに眠ってしまったらしい。あまりにもいろいろなことが起きた夜だった。思い返して、アズレセアは苦く笑った。もう取り乱してはいない。でも何をすればいいのかは、まだわからない。覆いを上げた鏡台に、自分の姿が映るのが見えた。歩み寄ると鏡像も近づいて来る。夢の映像をなぞるように、アズレセアは左手を鏡にあてた。
「あの夢を見せたのは、あなた?」
 振り返って、壁の肖像画を見上げる。部屋はしんとして、こだまも返さない。その部屋の中で、あの大きな寝台は主のように構えていた。アズレセアは再び寝台へと歩いた。今は確信する。あの時の寝台はこれと同じものだった、と。そしてまた、あの夢を見た。アズレセアは手のひらで支柱のひとつを撫でた。
「いいえ、彼女はもういないのね」
 死んだ人はもう帰らない。死とはそういうものなのだ。その人の実在以外の全てを残して、しかしそれだけは確実に奪い去る。数時間前に心を占めた絶望を思い出し、アズレセアは考えた。あの時の痛みは、例えそれが偽りであったことがわかっても、癒えきることはない。人が簡単に壊れることを、生生しく見せられてしまったのだから。
 主のいない部屋。そして、この寝台。アズレセアは新たな目で寝台を眺めた。そこに多分、鍵がある。不思議な確信に導かれて、彼女は寝台を検めた。それは、ほどなく見つかった。
 柱のひとつの下部に、薄く光る金字の銘が刻まれていた。卓から燭台を取り、火を灯す。
「愛しき青玉に贈る あなたとあなたの夢を あなたの安らぎを このささやかな箱が 永遠に守らんことを」
 その言葉を認めた彼女の脳裏に、一つの光景がひらめく。
(これが君の…僕らの寝台だよ…まあ素敵、きっといい夢が見られるわ…)
 幸福な、二人の姿。
 ゆらめく灯りの中、その銘の下に加えられた手書きの文字が浮かぶ。
「いつか 我が寝所が 棺にかわろうとも 我が思いの 寄る辺はかわらじ」
(ちょっと気取りすぎかしら…でもいいわよね、私の気持ちは嘘じゃないもの…)
 はにかんで微笑む彼女。
(あの人、気づくかしら? きっと気づかないわね、拘るくせに思い込みも強いんだから…でも、いつか、気づいてくれるかも知れない…)
 別れの予感に翳り、それでも幸福を湛えた顔。
 アズレセアはほっと息をついた。眩暈を感じて柱にもたれると、木の冷たさが優しく彼女を支えた。
「彼女じゃない…あなただわ。彼らを見ていたのは…。彼らの眠りを守り、夢を収めて…。この、夢を見ないものたちの館で…。この中には、今も彼らの夢が眠っているのね…」
 寝台は黙して答えない。それでもアズレセアはこの直感を信じた。知らないうちにまた涙が流れていた。自分がどうして彼らの物語に共鳴してしまうのかはわからない。どうして記憶を見ることが出来るのかも。それでももう、傍観者ではいられない。自分を守るためだけではない。彼を救うと、彼女に約束したせいだけでもない。知ってしまったから。彼の思い。彼女の思い。つくりものだった人形たちの、本物の願い。偽物の死の、それでも確かな痛み。それらを知っている私は、誰のにせものにもなれない。
 目を閉じていると、足元でかたん、と音がした。銘のあった柱から少し離れた台部に、小さな扉が開いていた。跪いて確かめると、精妙な彫刻に埋もれるように設けられた隠し扉があったらしい。中を探るが、意外に広いのか手には何もあたらない。肩口まで腕を入れて探すと、指先が何かに触れた。そっと取り出してみると、それは何の変哲もない子供用の抱き人形だった。黒い巻き毛の中の幼い顔は安らかに眠っている。アズレセアは子供のころに遊んだ人形を思い出して、それを抱き上げた。目が開くかと思ったのだが、その瞼は伏せられたままだ。かわりに、手縫いらしい産着の隙間から、一枚の封筒が滑り落ちた。拾い上げて宛名を読む。そこには、「ヒュアルスへ」とあった。少し躊躇った後、彼女は封を開けた。

 アズレセアの様子を確認しに来たキュリアベルがノックしようとすると、扉が内側から開いた。アズレセアが、見慣れぬ人形を抱いて立っていた。まだ赤い目をしてはいるが、これまでに見たことがないほど意志的な表情になっている。キュリアベルは戸惑いを表情に出さずに尋ねた。
「どこへ行くのですか?」
「彼に会いに行きます」
 答えは早かった。
「彼とは…?」
「彼です。あなたたちの作り手」
 前に進むアズレセアを引き止めるように、キュリアベルの手が動いた。
「巨匠はここにはいません」
「それでも行きます」
 彼女はキュリアベルの手を優しく外した。
「もう待っていたくないのです」
 アズレセアは片手でキュリアベルの頭を撫でて、柔らかく微笑んだ。
「きっと、もうすぐ終わりますから」

 去っていくアズレセアを見送りながら、キュリアベルの目は見開かれていた。
「これで、良かったのですか…?」
 おぼつかぬ口調で独り言ちると、彼女は次の仕事のために歩み去った。

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