2003年度第一期リレー小説
非普
「The Tale of the Casket」(次の方、逃げないで下さいね) 第15回
館の件の部屋、時計はもうすぐ明日の時刻を刻もうとしていた。暖炉のほの暗い明かりが部屋を包み込んでいる。
アズレセアは、泣いていた。
わからない。
なにもかもがわからない。
どうして私がこんな目にあっているのか。
私が何をしたのだろう。
なぜ私なのだろう。
「うっ・・・う・・・」
アズレセアは、もうすでに涙でぐしょぐしょのベッドに、さらに深く顔を沈めた。
ただ泣くしかない。本当に泣くことしかできないのだ。
ここではいかなる疑問にも答えてもらえない。
とりあえずは平穏だった日常を取り上げられ、土砂降りのように降ってくる悲劇をただただ受け止めることしかできないのだ。
「なんでお父様が、エスが・・・」
親しかった人たちの顔が次々とまぶたに浮かんでくる。そしてあの人の太陽のような笑顔も。
「カール・・・」
嗚咽の声に交じり、口から愛しい人の名が漏れる。
「カール、カール、カールぅ・・・」
思考がぐちゃぐちゃに迷走する中、彼女はただ咽び泣き、その恋人だった人の名を呼び続けた。
ガチャリと、ドアが開く音がして、アズレセアは反射的に顔を上げた。
差し込んでくる光のほうを見やれば、そこにはこの館の主、キュリアベルという名の少女の姿。その姿を見るなり、アズレセアは叫んだ。
「あの人は、カールは、カール・ツァイスは今どこにいるのですか!? 無事なのですか!?」
彼女の口から最初に出たのは、キュリアベルに対する罵倒でも、現状に対する呪いでもなく、ただ自分の想う人を案ずる言葉だった。
そんなアズレセアに、キュリアベルは静かに言った。
「大丈夫・・・彼なら無事です」
「でも・・・」
キュリアベルは、さらに言葉を重ねようとするアズレセアを制するように、人差し指を立てて彼女の口元に寄せた。
「大丈夫、ですから」
キュリアベルはそうとだけ言うと、手元の袋からボールのようなものを取り出した。炎が揺らめいて一瞬それをほの明るく照らし、凹凸が陰影となって浮かび上がる。静かに閉じられた目、言葉を刻むことのない口、アズレセアの父親の首だった。
「!」
アズレセアは息を呑んだ。口元を手で覆い、目を見開く。しかしキュリアベルは、あろうことかその首を暖炉に投げ入れた。
何を! とアズレセアが言う間もなく、それは一瞬のうちに燃え上がった。そして、まるで硫酸をかけたかのようにどろりと溶けてその形を失う。
「そう、これは人の首ではありません。ドゥルクレン殿、仮面の彼から伺っております。『泉の映像ともどもあのときの全ては偽物だった』と。あと、『怖い思いをさせてしまってすまない』とも」
「・・・」
言葉を失うアズレセア。
「あなたに戻ってもらうためのドゥクレン殿の苦肉の策だったのでしょうね。あの八人の従者は強力です。一番確実で手っ取り早い方法があなたに折れてもらうことだったとはいえ、恐ろしいものをあなたに見せてしまったことを彼は深く嘆いていました。『許してくれとは言わない。でも、御家族、そしてあなたの愛するカール殿は御無事です。そのことだけは御安心を』これが彼から伺ったこと全てです」アズレセアは唖然とした。絶望のどん底に叩き落されたあの瞬間が目の前に浮かび、霞がかかったように消えてゆく。あれは違うのだ。お父様も、エスも、カールも無事なのだ。
「・・・よ・・・かった・・・」
ポロポロと、彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。みんなが、カールが生きている。そのことに心の底から安堵し、久々に感じた温かいイメージの中、彼女は泣いた。
「ところでアズレセア様」
アズレセアが落ち着くのを待って、キュリアベルが口を開いた。
「私がここに参ったのは、あなたにお話しすることがあるからです」
相変わらず、淡々とした口調でキュリアベルは言う。
「私は今まで、わざと筋の通ってないことを言ったり、抽象的で婉曲的な表現を用いたりして、あなたに極力情報を与えないように努めてきました。しかし今、その言わずにおいていたことをお話ししたいと思います。よろしいでしょうか?」
少しだけ考えた後、逆にアズレセアは訊いた。
「・・・なぜ・・・でしょうか」
「といいますと?」
「私は今まで、何もわからない中で選択を迫られてきました。ここでは私に知る権利はない、そう思っていました。それを、なぜ今になって?」
多少棘のあるアズレセアの言葉に対して、キュリアベルは静かにこう返す。
「事情が、変わったのです」
私が訊いているのは、「あなたは知りたいのか否か」ということだけです。目がそう告げていた。
軽くため息をついて、アズレセアは言った。
「お話しください」
これはチャンスなのだ、と、アズレセアは思った。情報。それが、私が一番求めていたものなのだから。
私に本当のことを知られたくないのなら、もっともらしい嘘を私に言えばいい。しかし今まで彼女はそれをしなかった。そこには何らかの意図があったのかもしれないが、こうやって腹を割って話そうと私に持ちかけてくる以上、今さら嘘をつくとは考えにくいと思った。
そして、そんな打算を抜きにしてもアズレセアはキュリアベルを信じてみる気になっていた。理由はない。ただ、感情の見当たらない青い瞳。アズレセアはなぜか、彼女と初めて視線が交わったときのその瞳の揺らめきが、ひどく人間を意識させたことを思い出したのだった。
「ぜひ」
アズレセアは促す。それにキュリアベルはゆっくりとうなずいた。少しよろしいですか、と断って、ベッドに腰掛ける。
「分かりました。お話しましょう、できる限りのことを」
神妙な面持ちで、キュリアベルは語りだした。
「まず、お話をする前に断っておくことがあります。この館に来てからの不可解な出来事について、できる限りの説明はしますが、それでもつじつまの合わない部分は何かしらでてくると思います。でもそれはしょうがないことなのです。誰にでも、その時その時の事情というものがあるのですから」
「はぁ・・・」
アズレセアは正直彼女が何を言っているのかわからなかった。しかし、それがわからないのも今の私の事情なのだと思い、彼女はこくりとうなずいた。
「さて、まずは確かなところからまいりましょうか。もうお気づきかもしれませんが、私は人間ではありません」
キュリアベルのまっすぐな視線に、アズレセアは静かにうなずいた。
確かにそれはうすうす感づいていた。おかしなことだらけのこの屋敷を考えても、ただの年端もいかない少女がこの館の主人に納まっているのはとても不自然な気がしたのだ。少なくても「ただの」少女ではありえないと思った。
「そして、この私を作ったのが、『巨匠(マエストロ)』という御方です」
巨匠(マエストロ)。その響きにアズレセアは寒気を覚えた。確証はない。でも彼が全ての「原因」だという気がした。
「もともと私は、とある少女の魂魄の欠けらを核にした、精神体ですらないものだったそうです。確かな方向性もないため、いわゆる『妖怪』や『幽霊』といった現象にもなれなかった。そんな私を世界に定着させ、知性、この少女の体を与えてくれたのが巨匠なのです。彼は偉大な魔術師にして最高位の人形師。あなたも、あのどこまでも続く森を見たでしょう。そしてあの珍妙極まる動物たちも。そう、ここは彼の作った世界。あなたのいた世界と隔離された、全く別の世界なのです」
アズレセアは愕然とした。信じられ・・・ない。魔術など御伽噺の中にしか存在しないものだと思っていた。それに、彼女を、この館を、この世界を作った!? そんな!
しかし、そう考えればつじつまの合うことも多いのだ。
奇妙な動植物。森にひっそりと立つ、時が止まったかのようなこの館。なにもかもが異常なこの状況も、現世の理とは相容れない秩序がここにあるとすれば説明がつくような気がした。
「巨匠は大変古い御方です。なんでも初代バルナック皇帝に仕えていたとか。彼が亡くなった後はずっと隠遁生活を送り、自分が求める神秘の研究をしていたそうです」
初代バルナック皇帝! バルナック王室は、ワインバーグ地方でも最古の王室である。現在は27代目だと聞いた。
「そして、巨匠には奥方がいました。それも長いこと連れ添った奥方が。あなたは庭の墓標を見ましたか?」
「・・・はい」
アズレセアは、あの薄気味悪い石の群れを思い浮かべた。中央に一つ、その周りに八つ。この館に来てから、訪れることを固く禁止されていた墓標。
「あれが、あの中央の石碑が、彼女の墓標です。そのために、私とこの世界は作り出されました」
「では・・・」
キュリアベルは目をつむり、胸に手を当てて静かに言った。
「お察しのとおりです。私は墓守。そしてその一貫として、この館の管理を預かっているものです」
沈黙が場を支配する。アズレセアにとっては驚くことばかりで、それを理解することでだけで精一杯だった。しかし、ここで終わってはいけない。私は知らなければいけないのだ。そしてこの少女もそれを望んでいる。
アズレセアは意を決して口を開いた。
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