2003年度第一期リレー小説
超蜜柑
「The Tale of the Casket」(伝統を復活させました) 第12回
館の地下――豪奢な内装で住人達を包み込んでいる地上部分とは打って変わり、そこは煉瓦を積み上げただけの殺風景な、闇に支配された部屋であった。大物貴族ならば戯れに拷問道具の一つでも置いておきかねないこの部屋には、幸か不幸かそんな物は置いていない。否、それどころか何もないのだ。ベッド、タンス、鏡台、机、椅子――果ては窓すら存在しない。ただ、部屋の中央に一本の松明が灯されているだけだ。そしてその僅かな明かりに照らされながら立っているのは仮面の怪人と老婆の二人だけ。
先刻から二人は一言も発することはない。脱走した青玉の姫――アズレセアを仮面の怪人が捕獲して戻ってからずっとだ。老婆は何かを逡巡しているかのように眉間に深く皺を寄せている。仮面の怪人は相変わらず顔を白亜の仮面で覆っている為、表情は見て取れない。そうして、暫く静寂が過ぎていった。
不意にふっ、と松明の火が揺らめいた。それによって怪人と老婆の影が大きく動き、陰影が二人の顔を塗り替えた。そこで初めて、老婆が口を開いた。
「……何を考えておる?」
質問――そう呼ぶには鬼気迫るものが強かった。寧ろ尋問と言ってもいいだろう。この部屋には二人しかいない。即ち、老婆が怪人に対して発した言葉だ。だが、怪人は老婆の脅迫じみた調子には反応を示さなかった。代わりと言うべきか、怪人は黒いマントの内側からボールのような丸いものを取り出した。
「……それは寧ろこちらの台詞でしょう、大婆殿」
からかう様子もなく、淡々と呟いた怪人はそのボールのようなものを老婆の足下へ所がした。いや、それはボールではない。何故なら、それには確かに二つの見開かれた目が老婆を非難するかのように睨んでおり、苦悶に歪んだ口が呪詛を吐くかのように開かれていたからだ。その視線を受けても、老婆は微動だにしない。
「如何に青玉の姫が必要だからと言って、あのようなスマートではないやり方、少々感心しませんな」
言葉こそ責めているように感じるが、その実、彼の口調はこれまでにないほど穏やかなものだった。だが、そこには親愛の情はこもっていない。
「……儂らには手段を選んでいる時間など無いのじゃ。そんなことくらい最初から分かっておったろうが、これを始める前から!」
老婆が苛立たしげに右手の杖を地面に何度も突く。そんな老婆を見やり、怪人は肩を竦めて嘆息した。それはまるで言うことを聞かない駄々っ子をあやしている親のような仕草だった。
「大婆殿……そうした強引な手段が十年前にあの娘達を
巨匠の作品にしてしまった一因でもあるのですよ。今回の一件に関しましても、青玉の姫が心に負った傷は我々の予想以上に深いのです……あれでは使い物になるかどうか」
怪人はばつが悪そうにシルクハットを目深に被り直して顔を隠す。もっとも、生身の顔は既に仮面によって隠されているが。そんな怪人の様子を老婆はまるで汚い物でも見るかのような蔑んだ視線で見つめていた。
「ふん、利いた風なことをぬかすな、ドゥルクレン! 今回の一件が
巨匠がお考えになったことならば、儂らはそれに盲目的に服従するしかないのだ!」
老婆はドゥルクレンと呼んだ怪人怪人に向かって叫び、足下に転がっているそれを杖でドゥルクレンの足下まで飛ばした。ドゥルクレンはその様子に再び肩を竦め、静かに足下に転がった生首を持ち上げた。相変わらず表情の読めない怪人だったが、老婆はドゥルクレンがすっと目を細めたのを長年の付き合いから悟った。
「確かに……巨匠が我らに命じたならば我らはそれを実行せざるを得ません。そんなことは分かっているのですよ、大婆殿。しかし、巨匠が真に望んでいる物を手に入れる方法が巨匠が行う方法からでは絶対に入手することが出来ないとすれば、それが分かっているとすれば、我々はそれを巨匠に伝え、考え直しして頂くのもまた筋とは思いませんか?」
流暢な、滑るような口調でドゥルクレンは言い放った。瞬間、老婆の視線が細く険しくなる。
「……まだ駄目だと決まったわけではないぞ、ドゥルクレン。まだ結論は出ておらん」
老婆は腹から絞り出すように、苦しげに呻いた。自身が言っていることに自信が持てないでいるのだ。が、そんなことは怪人は既に分かっていた、老婆の言葉を聞く前から。
「十年前には八人もの犠牲者を出しておいてですか?」
「例えそれが百人になったとしても結局は何も変わらぬよ……」
老婆の口から疲れたような声が漏れた。そして同時に漏れる大きな嘆息が二つ。それを期に地下室から喧噪が消えた。再び静寂の時が訪れる。ただ煌々と周囲を照らす松明の炎の営みだけが、静かに二人を取り巻いている。
しばしあって――
「時に――」
口を開いたのはやはり老婆の方であった。怪人――ドゥルクレンは微動だにしない。が、老婆はそれに構わず先を続けた。
「お館様……あの小娘はどうしておる?」
老婆の問いに、ドゥルクレンは天井を指差した。その先には青玉の姫の部屋がある。
「キュリアベルでしたら……そうですな。今頃は姫を慰めていると思いますが? どこかの誰かから酷い仕打ちを受けた姫の、ね」
皮肉たっぷりに怪人が言うと、老婆はふん、と鼻を鳴らした。
「しかし、ドゥルクレン。あ奴が青玉の姫を外に逃がそうとしたのは明白じゃぞ。そんな奴と姫を二人きりにしても良いのか?」
「構わんでしょう。彼女とて、巨匠の恐ろしさを知らぬ訳ではありますまいに。今回の一件、一応は我々の計画の一部だったと巨匠には報告しておきますよ……次はそうもいかないでしょうがね」
肩を竦めるドゥルクレン。老婆はだからお主は甘いのじゃ、とドゥルクレンに聞こえないように小さく漏らした。それをドゥルクレンが聞き取ったかどうかは分からないがともあれ、ドゥルクレンは大した反応は見せなかった。
「……まぁ、邪魔になるようならば代わりを据え置けば良いだけじゃが……」
誰にともなしに呟いた老婆だったが、それは明らかにドゥルクレンに聞かせていた。ドゥルクレンはこれ以上は何も話すつもりが無いらしく、身嗜みを簡単に整えると右手に持っていた生首を松明の中に投げ込んだ。最初こそ派手な音がしたものの、すぐに生首だったものは溶けてその形を失った。
「……どれほど精巧に作られた物であっても、本物を超えることなどないのですよ、巨匠」
ドゥルクレンは消え行く生首を見やりながら独語した。そして今度は老婆に聞かせるように大仰な仕草をして見せた。
「では私は巨匠にこれまでのことを報告せねばならないので王都へと向かいます。私の留守中、青玉の姫については全てお任せしますよ、大婆殿」
貴族風に優雅に一礼し、ドゥルクレンは壁に溶け込むようにして佇む扉から部屋を後にした。後に残された老婆は暫く動くことはせず、ただ黙って松明の火の揺らめきに見入っていた。
「……ドゥルクレンよ、巨匠は本物を超えたかったのではない。本物を偽物にしたかったのじゃよ」
老婆が杖を一振し、唯一の灯りだった松明をが倒した。どしゃっという音と共に細かな火があちこちに散らばったが、やがてそれも消滅し、部屋には完全な闇が訪れた。
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