2003年度第一期リレー小説
烏刃霧雨
「The Tale of the Casket」第11回
老婆から貰った乗馬用の衣装に着替えたところで、鏡の前に立つ。己の服装チェックなどしている余裕などないことは理解はしているが、鏡の中に映る自分自身を目の前にして鼓舞しないと、これから起こるであろう受難には耐えられないと思った。アズレセア、きっと貴女の前にはもっとマシな未来が待っているはずよ、と。最後に一度だけ、そのことを神に願った。ここからは少女がくれた藁にすがるしかないのだから。
「行きましょう。」
裏口から館を出るまで老婆に出くわすのではないかとひやひやしながら従者たちについて足音を殺しながら歩いていたが、幸いにも老婆と出くわすことはなかった。
館を出たところで森を抜ける道の方へ歩こうとした彼女を彼らは制止した。理由を問うと、その道は仮面の男の道であるので男に見つかる可能性が高いこと。また見通しが良いので明かりをつけるとその所在が察知されやすいこと。その他にも色々とその理由を言った。そして加えて彼女にあまり声を出さない方が良いと言うと、先ず4人が藪の中へと入ってゆき、残りの4人は彼女の後ろに立った。おそるおそる彼女も藪の中へと入っていく。一つ抜けたところで彼らが段々と明かりをつけていった。
三日前にベッドで目覚めた時に見た森と、今の森はまったく違うように感じられた。8人の同行者がそれぞれに持つ明かりのせいかもしれない。彼らの持つ松明より明るいそれは、この光量の少ない森の中では昼間とそう変わらないように感じる。また茂みの中から何か得体の知れないものが飛び出して来るかもしれないという恐怖がない。それは8人の同行者のおかげでなんとかなるという勇気、みたいなものでもあるし、またこの森は解放のに続く道であると、そうも信じることができた。少女は解放されない、などと言っていたかもしれないが、それでも確かに信じられることは、あの異常な白亜の館から、「青玉の姫」という名前から逃れることができるということだった。だからこそ彼女はなれない道なき道を8名の従者に取り囲まれながら無言で歩いていくという、傍目から見れば完全に異常な光景を作り上げることも平気だったのだから。
それにしても摩訶不思議な森だと思う。見たこともない鳥や獣、植物に最初の方は思わず後ずさっていたが、しかし、それが彼女たち一行を害する様子が見られないと、そのうちにそれらをしげしげと観察する余裕まで出てきた。平べったいくちばしを持つ七色の鳥、猿の頭をつけた愛嬌のある狼。陽の光など届くはずもないというのにピンク色の向日葵の花。館にもましておかしな空間に三日間滞在して慣れていなければ、おそらくパニックになっていただろう。しかしこのような悪趣味な数々のモノを作り上げるなんて・・・そこで一旦思考を切る。次の一つの素直な感想をどうするか少し迷う。
――もしもこれらを作り上げたのが神様であるならば、同じ手で作られた自分はきっと醜い。そして青玉も。
「辛いか?」
8人のうち一人が、足を止めていた彼女を気遣って声をかけたのに対し、彼女は首を横に振る。別に辛いから足を止めていた訳ではない。下らない思考に落ちていただけ。もっとも辛くないという訳でもないのだけど。
「もう少し行けば中途、泉がありますから。そこで休憩すると良いでしょう。」
別の一人がそう言った。さすがにその提案を断って先を急ぐほど彼女の中に力が余っていた訳でもないし、また館を出てすぐに最も懸念していた仮面の男に見つかるかもしれないというおそれもだんだん薄れてきたのは確かだった。
ほんの少しだけ、歩くペースが速くなった彼女が泉と対面したのは10分もたたぬうちだった。それほど大きくもなく、だけれども多人数でキャンプしたら楽しいそうな。そんな楽しげな空想にひたる誘惑にも駆られながら、彼女は靴を脱いで泉に足をつっこんだ。泉に両足をつっこむと、疲れた足にはひんやりとして気持ちよい。周りへの警戒を解かない8人に甘えて、彼女は徐々に緩めながらも張り続けていた緊張を解いた。
ここに新鮮な風が吹いたら最高の気分かもしれない。
泉の水は澄んでいて、底までも見えそうであったが、彼女の周りにある光では暗くて見えない。深そうには見えなかったが。水面が、彼女の足の動きにあわせて揺れる。泉の奧は更に見えない。何か見える訳でもない。そのはずだった。
突然、揺れる水面が静かになり、映像がそこに浮かび始めた。それは彼女の愛するあの人の顔。それを認識した瞬間、彼女の頬が弛んだ。しかしすぐにその違和感に気付く。今まで見たこともないような怒り。それが彼の表情を占めていた。
そして彼は今までに手にしたこともないような剣を構えている。刃物が怖いと言っていたはずの彼。その視線の先にはいけ好かない婚約者。彼女を見捨てたときと同じ、恐怖に支配された顔。振り下ろされる剣。赤く染まる。転がる婚約者の首。
願望かと思った。はじめのうちは。でも・・・。
映像が切り替わる。
儀仗服に身を包まれた兵士が映った。その顔に見覚えはないけれど、その服が近衛兵のものだということは王宮に出入りのある彼女にはわかった。その近衛兵が乱暴に館の門を開く。館の奧から慌てて侍女が出てきた。彼女が幼い頃から彼女の家に仕えるエス。彼女の数少ない理解者で友達。その男は彼女の家の屋敷にづかづかと踏み込むと、制止するエスを押し倒し、その衣服を引き裂いた。
映像が切り替わる。
王。婚約者の父親とは思えないほど威厳に満ちた人物。そしてそれを取り囲む重臣や衛兵。その前に荒縄で縛られて転がされている彼女の父親がいた。王は父に何かを告げると、衛兵の持ってきた剣をその手に握り、振り上げ・・・父親の首が、婚約者と同じように転がった。
映像が切り替わらず、終わった。
涙が視界をぐちゃぐちゃにしていた。
「幻・・・よね?」
そう思うしかなかった。そうとしか思えなかった。そうであるはずはなかった。そうであってはならなかった。
「現実ですよ、全てね。その泉は現実しか映さないのです。青玉の姫。」
彼女の希望を打ち砕く声がする。仮面の男の声が響き渡る。
8人の従士たちがそれぞれの衣の中から剣を引き抜いて彼女の周りを取り囲む。けれど仮面の男の声は森の中を反響し、男が何処にいるのかが分からない。
「嘘です!これは幻です!!!!」
彼女の絶叫が同じように森に響く。しかし彼の宣告はすぐに下る。
「貴女に解って頂くためには証拠を見て頂くしかないようですね。」
彼女の背後に黒いマントは降り立った。8人の従者の中心。彼女の真後ろに確かに仮面の男は降り立った。それに合わせて二つの落下音。まだ泉に足を突っ込んだままの彼女は、その顔を見上げる恐怖のため、自然とその視線は地面に向かった。
二人―婚約者と父親―の首がそこに転がっていた。見間違いでは、なかった。
「貴女のお友達のエスティーシャさんの遺体は、その傍らで泣き伏されている恋人の方がいらっしゃいましたのでそのままにさせて頂きました。噛み切った舌を持ってきても仕方ありませんから。さて青玉の姫、帰りましょう、あの館に。」
「帰りません!私は、あそこには帰りません。」
毛嫌いしていた婚約者。それだけなら冷静に見つめられる。大切な友人であり理解者の死は実際に見た訳ではないから受け入れられない。でも自分を道具としか考えていなかった父親だけれど首だけになって再び対面して、父を好きだった頃の思い出が彼女に更に涙を流させ、彼女の世界からそれ以外のものを追い払っていった。
「本当に、貴女は面白い。」
涙で歪んだ視界で男を見上げる。彼は決して笑っていない。仮面で表情は見えないが、そう思った。
「ですが、貴女には帰っていただかねば困る訳ですよ。だから一つ、取引をしましょう。」
再び物が地面に落ちる音がする。けれどさっきより重い音。そちらに視線を向けると・・・あの人が気を失って倒れた音。動けなかった彼女は、そのときだけは素早く、彼の元に駆け寄った。息をしている。生きている。
絶望の中に光明を見つけた彼女に、彼は更に宣告する。
「館にお帰り下さい、青玉の姫。さもなくばこの男を殺します。」
本気だ、と思った。男は自分が従わなければきっとあの人を殺すだろう。何の躊躇いもなく。
「甘言に騙されてはいけません!」
「黙れ、貴様ら。私に逆らえるほど偉い存在に作り上げたつもりはないんだがな。・・・壊すぞ?」
「我々は今はキュリアベル様の所有物です。貴方の指示に従ういわれはありません。」
にらみ合う1対8。人数差をはるかに凌駕する決定的な実力差のためか、雰囲気では明らかに仮面の男が8人の従者を押し込んでいた。
「そうか・・・ならば覚悟するがいい。」
「やめてください。もう。」
彼女にはそう言うしかなかった。もう未来は、それしかないと思ったから。
「思い直して下さって幸いです、青玉の姫。ではついでに申し訳ございませんが神に願って頂けますか?」
解放を、と彼は続けた。ような気がする。それに対して従者たちも何か言ったような。でも彼女はもう何も考えられなかった。彼の存在しか残されていなかったから。
神様、解放をお願いします。そしてあの人と幸せな未来がありますように。・・・解放?何の?そのことを問おうとした瞬間、8人の従者の身体が崩れていって、それは土へと還っていった。あとに残ったのは8枚の衣。8本の剣。8つの明かり。神に祈ってはいけませんよ、という彼女の言葉の意味が分かった。
檻が見えた。でも彼女は一人ではないなら、それはそれで良いかもしれないと思った。
「では、約束通り。この男の命は助けましょう。命は。」
男の言葉に、棘を感じた。
「それは・・・どういう・・・?」
男はおもむろに彼の身体を抱え上げた。彼の顔を、彼女に向けた。笑ったような気がした。寒気がした。そして片方の手の指で、彼の右目を無理矢理開くと、余った指をその眼球に近づけていく。
「何を・・・」
その瞬間、彼女は正視することに耐えられなかった。
再び目を開いたときには・・・・・・・・・
彼の右目は男と同じ青玉が埋まっていた。
彼女の記憶はそこで途切れる。
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