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2003年度第一期リレー小説   村崎 永

「The Tale of the Casket」(仮:責任取る気わりと無し)第10回 



 キュリアベルは静かな眼差しを窓に向けた。しかし書斎のカーテンは閉められており、外の光も森の景色も映すことはない。
「そう、確かにここは異常です。あなたもここに留まることを選ぶなら、いずれ理解するでしょう。ここは時間の墓場、呪われた牢獄。…それでも中に住まう者には、安全な花園でもあるのです」
 逸らしていた視線をアズレセアに戻す。初めて視線が交わった気がした。その一瞬、人形のようだった少女が、人間に見えた。深い悲しみと苦しみを知る人間に。
「あなたは決めねばなりません。行くか、留まるか」
 再び人形の目に戻った少女は、年に不似合いなはずの大人びた仕草で指を組み、そして沈黙した。アズレセアの答えを待っている。
 また選択を迫られている。私の問いには答えてくれないのに。胸の内で嘆息するが、それでも心は決まっていた。この館も、森も、少女も、仮面の男も尋常ではない。ここには息苦しい支配の匂いがする。自分を拘束した彼らもまた、何かに支配されているかのようだ。自由など望まず、運命に諾々と従ってきた自分であるが、ここまで理不尽な運命を受け入れるには…そう、平凡すぎる。私はここの異常さに慣れる前に壊れてしまうだろう。
「私は行きます」
 その一言を怯えを見せずに言うことが出来たとき、彼女は不思議な満足を覚えた。例え、この選択のために命を失くすことになってもかまわない、と思えるほどに。
「ではお行きなさい、アズレセア様」
 アズレセアは返事の代わりに礼を返して、書斎を後にした。背後から、つぶやくような声が聞こえた。
「それでも、あなたに解放など期待はしません――」

 アズレセアは廊下を急ぎ足で歩いていた。今のこの勢いを挫きたくなかったのだ。老婆は呼吸も乱さずに後をついてくる。従者たちは既にさがっていた。
「この館に動きやすい服はないかしら」
 尋ねると、乗馬用の衣装がある、と返事があった。すぐに用意するように言いつけ、老婆が去るのを確認すると、自室に帰る代わりに中庭に向かった。昨日中庭への出口を見つけていたのだが、丁度食事の時間になって見ることが出来なかったのだ。キュリアベルの言葉に背くつもりはない。墓標を見つけたとしても遠くから見るだけだ、と自分を納得させる。どのみち誰も自分の疑問に答えてくれないなら、自分で知るしかないではないか。
 中庭に入ってみると、その完全に手入れされた庭園はやはり不自然に思えた。都の近くならともかく、こんな辺鄙な、人の出入りもない館でこの状態を保つのは不可能だ。この庭には毎日庭師が手入れをしていてしかるべきだ。…なのに、この庭には人一人いない。ふと、先刻のキュリアベルの言葉を思い出す。時の墓場、と彼女は言った。振り払ったはずの怯えが再びアズレセアを襲った。やはりここはおかしい。自分が亡霊たちに囲まれている、という想像を彼女は必死に打ち消した。例えそうだとしても…、私は出ていくのだ。そう決めたのだから。
 探したものは中庭の北にあった。寄り添うように造られた一群の墓標。それが見えたところで彼女は立ち止まった。これ以上進むのは、怖い。けれど、少し意外だ、と思う。なんとなく一つきりの墓を想像していたのだ。その数を数えようと目を凝らす。…中心に他より大きいものが一つ。その周りに、やや小さいものが囲むように――八つ。八。不吉な符合を感じて、彼女は動揺した。いや、ここからではよく見えない。数え違いかも知れない…。
「それ以上、お近づきになりませぬよう」
 思わず一歩進みそうになった彼女を、老婆の言葉が打った。その声は相変わらず平坦なままだ。振り返った彼女は、真っ青な顔をしていたに違いない。
「わ、私はただ…」
 月並みな言い訳を口にしようとした彼女を、老婆は遮って言った。
「衣装のご用意は出来ました。そろそろお食事にいたしましょう」

 食事はいつも通り、淡々としたものだった。それ自体は豪華でも、会話の楽しみも安らぎもない食事は味気ない。それでも、彼女は意識して普段より多く食べた。明日の朝出発するのなら、そうした方がいいと考えたのだ。もはや一刻も早くこの館を出たかった。どう考えても、ここの異常さは、悪趣味な変質者の域を越えている。一つ一つのことは大して異常でもないように見えるが、それらが一体となったこの場所の、異界じみた印象は益々強まるばかりだ。この無表情に給仕をする老婆も、お伽噺の魔女のように思えてくる。アズレセアは決して、敬虔な神の僕だったとは言えない。父は、表ではどうあれ、実際的な事柄をより重んじる人物であったし、彼女もその影響をいくらか受けている。単なる習慣でなく、心から神に祈ったのはただ一度だけ――自分の婚約を知らされたとき、彼に自分をさらって欲しいと、せめて自分を見て欲しいと願ったあの一瞬だけだ。それでも、悪魔や亡霊に関わることを思うと反射的な恐怖と嫌悪を感じる。あの墓標――先刻見た墓標のことを思い出すと不安になる。少女や、少女のつけた従者は本当に信じていいのだろうか。彼らは本当に、私を外に出してくれるのだろうか。
 食事を終え、物思いにふける彼女の耳に、軽いノックの音が響いた。老婆が待っていることを予期しつつ入るよう促すと、あの八人の従者が入ってきた。彼らは相変わらず灰色の衣を深くまとっていたが、その足下には小さな包みが置かれていた。中の一人が近づいてきて言った。
「お迎えに参りました。今から、森の外にお連れしましょう」
 その声には、近くでありながら、遥か遠くから呼びかけているような隔たった響きがあった。そのせいか、声を聞いても男女の判別がつかない。
「今からですって。もう夜ですのに…」
 困惑を隠さずに彼女が言うと、その従者は答えた。
「彼がもうすぐ老婆を迎えによこします。そうなれば逃げられない。早く着替えなさい」
 その口調には、不気味な声や怪しい風体にも関わらず、信頼を誘う強さが感じられた。アズレセアは迷いを絶つように言った。
「わかりました。部屋の外で待っていてください」

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